Snowfall

 夜の空は、昼間の面影を残し紫紺色に染まってもなお、天の色が見て分かる程に澄んでいた。空気は透明で儚く、虚ろであり純粋で、冷たく厳しいがそれでいて、時にとても優しい。
 冬の大気に解けてしまいそうで、吐く息の白さに目を見張ったユーリは首が疲れるに構わず上を向き続けていた姿勢を正した。
 今年のクリスマスは雪と縁がなかったらしい。それでなくとも今年はまた随分と暖かな日が続き、冬を思わせる冷え込みも数が限られていて、クリスマス当日が近づいてもあまりそういう気分が沸き起こってこなかった。カレンダーを見て、広告媒体などがやけに甲高くけたたましい声で季節を強調した台詞を述べるのをぼんやりと聞き流し、それで漸く、ああ、もうそんな季節なのだな、と思うに至る。
 そんなでも当日を間近に控えれば自然と心は浮き足立ち、毎年恒例のパーティーの準備やらなにやらで気忙しさも倍増するから、それでやっと、クリスマスが近づいているのだと自分でも認識出来る。
 だが終わってみると実に呆気ないもので、たった数時間の為に費やした貴重な時間と手間暇を思うと割に合わない気がする。だが既に帰路についている大勢の招待客が、別れの挨拶で楽しかったと口々に言ってくれたので、決して無駄だったわけではないと自分に言い聞かせ、そしてまた少し時間が流れた。
 夜闇は深く、どこまでも果てしない。吸い込まれそうな漆黒の世界にあって、星々の輝きは小さいながらも力強く、見守る月の輝きは優しい母親の微笑みに似ている。
「ユーリ」 
 呼ばれて微かに振り返れば、明かりの漏れるリビングの窓から直接庭に降り立つ男の足だけが見えた。
 少し前までの喧噪を思えば嘘のように静まりかえった室内の片づけを、三人揃って始めていた筈なのにアッシュが台所で食器の洗浄に入り、大量のゴミを回収場所へ運びにスマイルが居なくなった隙に、気を取られて外に出ていたユーリである。辛うじて彼は、コートだけは引っかけてきたものの、冬の夜は想像以上に冷えていて、たかだか城の前に行くだけでも足の先が凍るかと思ったスマイルは、戻った先で姿を見つけられなかったユーリが庭の中でぼんやりと輪郭を浮かべさせているのを見つけ、肝が冷えた。
「ナニ、してるノ」
 冷えるでしょ、と薄着の彼を叱って手を伸ばしたスマイルがユーリに一瞬だけ近づき、また離れる。赤いマフラーを首に緩く巻き付けられ、身に刺さる冷気から一部遮断された彼は、その温もりにホッとした顔をして表情を緩め、無言のまま空を仰いだ。
 つられ、スマイルも白い息を吐きながら上空を見上げる。
 昼間から変わらず雲の少ない晴れた空に、ぽっかりと浮かぶ月。周りを飾る星々に、一種のツリーを想起させられた。
「今年は、雪が降らなかったな」
 妙に感慨深く、感情のこもった声でユーリが呟く。空を見上げ続ける彼へと視線を流したスマイルは、ああ、と頷いて足裏の枯れ草を踏みつけた。
 微かな鈴の音が聞こえた気がしたのは、きっと自分たちが近くに居るからだろう。昼間の出来事を思い出し、ポケットに入れたままの鈴をズボンの上から確かめて改めてユーリを見つめる。
 もう電源が切られてしまい、自ら輝くのをやめてしまった巨大なクリスマスツリーは、しかし依然其処に在る。明日になれば色とりどりの飾りも外されて、来年の冬が来るまで存在自体も忘れられたかのようにひっそりと佇むだろう樅の木も、今日ばかりは特別だからと胸を張っているようであった。
「皆、立派だと言っていたな」
 スマイルがユーリ越しに見ているものに気づき、顎を引いた彼が小さく笑った。
「ぼくは飾り立てただけだよ」
 誰かが育てたわけでもなく、樅がひとりでに、気丈に生え育っただけだ。スマイルはそんな彼を、少しだけ着飾らせただけ。肩を竦めたスマイルは、だったら部屋の飾り付けだって皆褒めてくれていたではないか、と水を向ければユーリははにかんだ、照れくさそうな笑顔を浮かべるに留めた。
 アッシュの料理も皆舌鼓を打ち、一切れ残らず平らげて行った。
 パーティーだけならどこか、外で会場を借りてやれば手間も要らず楽なのだが、招待客の多くがアッシュの手料理を楽しみに来ているので、どうしても城の一角を利用せねばならない。無駄に広いスペースを持つ城の飾りやらなにやら、毎年飽きもせず続けてこられたのも、来てくれる人が居てそのいずれもが、ささやかな持て成しを心から喜んでくれるその表情を見るのが楽しいから、に他ならない。
 でなければ、一度試みただけで終わっていただろう。アッシュはどこかの会場へ貸し出し、ユーリはひとり冷たい棺桶の中で聖夜を沈黙で通すだけだった。
 クリスマスパーティーをしたい、と最初に言い出したのはスマイルだった。お祭り好きの彼が、ただ自分が騒げたらそれで良いという感じで周りを巻き込んだ企画が、思いがけず大事になり、その翌年も、また翌年も……と今まで繰り返されている。
 スマイルが居なければ、きっと何も動かなかっただろう。この庭に、こんな立派な樅の木が背を伸ばしているのにも気づかず、ユーリは寂しい日々を送っていたに違いない。
 そして大抵の年、この日は雪が降っていた。積もりはしなくても、窓の外をはらはらと舞う雪の光景が彩りを添えてくれていたのに、今年はついに最後まで無かった。
 だからだろうか、物足りなさを感じるのは。クリスマスだと言うのに、いまいちその気分に浸れないのも。
「降らなかったな」
 もう一度呟いて、ユーリは何も無い空間を蹴り上げた。
 明るい城内から漏れる光を受け、ツリーの下の方に飾られている金銀のボールや陶器で出来た天使が淡く輝いている。暗い闇の中に潜むべき吸血鬼が、こんな風に聖夜を祝い純白の雪を心待ちにするのは、空の遙か高い場所に鎮座している神様から見れば、さぞかし滑稽に映るだろう。
「そうだねぇ」
 相槌を返し、スマイルは一歩半、ユーリへと近づいた。
 ズボンのポケットで銀の鈴が鳴る。微かに、己の片割れを呼んで囁きかけている。気づいたユーリが微笑んで、自分もまたコートの中に手を入れて胸のポケットから小さなものを取り出した。
 彼の銀色の携帯電話に結ばれた赤い組紐に、スマイルは半ば引きつった感のある笑みを作る。どうやら彼は本気らしいと、明日には部屋の机の引き出しにでも置き去りにしていくつもりでいたスマイルは、微かに遠い目をする。
 ならば自分も、無くさぬよう、そして忘れぬようにどこかに結びつけておくべきだろう。考えて、考えつくのがユーリと同じ答えだというのが情けないところだったが。
 ものは大事にするが、それほど執着しないスマイルがひとつのものを持ち続けるのはそれなりに苦痛だったりする。目に見えるものしか信じられなくなっては、目に見えない自分はどうなるのか。だから見えないものを何よりも大切にしたがるスマイルには、ユーリが鈴に固執する理由が分からない。
 けれど彼がそう望むのであれば、叶えてあげたいと思う。部屋に戻ってまず真っ先にすべき事を決め、スマイルは目の前に示されたユーリの鈴を人差し指で弾いて彼に返した。
 近くに在るのに会えないでいる鈴の、どこか悲しげな音色が静かな夜に吸い込まれて消えていく。この切ない声は、天の神に果たして、どこまで届くのだろう。
「ユーリは」
 雪。
 まるで降ってきた時のように掌を上にして胸の前に差し出して、スマイルが空を見上げる。僅かな雲が西の空に見つけられるが、それも雪を地上にもたらす色をしていない。
「そうそう、クリスマスプレゼント」
 指を丸めてぎゅっと手を握り、ポケットに戻したスマイルが言う。半端に切れた会話に意識を揺らしたユーリは、脈絡の無い台詞の繋がりに困惑しつつもスマイルの向かい、首を捻った。
 昼間のやりとりがあったのと、パーティーの主催者として招待客をもてなすという仕事が忙しかった為、すっかり忘れてしまっていたと言ったスマイルに、ユーリはますます眉間に皺を寄せる。
 彼にしてみれば、完全に、スマイルは何も用意できていないと思っていた。自分がそうだったのだから彼もそうなのだろう、という勝手な思いこみから来ている根拠の無い勘違いだったわけだが、思えば確かに、彼はどこか抜け目ない性格の持ち主である。どれほど忙しかろうとも、少々の暇を片手に、プレゼントのひとつくらい用意立てていても何ら不思議ではない。
「あるのか?」
 思っても居なかっただけに、ユーリは驚く。
「まー……ネ。でも要らないっていうのなら、別に良いんだけど」
 スマイルにしてみれば、ユーリの態度はむしろ、自分からのプレゼントは必要ないみたいなポーズにも思えて、少々意地悪く言ってみても罰は当たらないだろう、という気分。さすがにユーリの性格上、此処で「要る」とは言わないが、どこか期待に満ちた双眸を見られただけでも結果的に、スマイルは満足を覚えてしまう。
 安上がりだな、と自分を自分で笑って、スマイルは更に一歩、ユーリに近づいた。
 寒そうにしながらも、彼の次の動きを見守っているユーリが面白くて、ついついスマイルは、膝を軽く折り曲げて身を屈めユーリに顔を近づけた。
 虚を突かれた彼の柔らかな唇に触れようかという瞬間、斜め横から飛んできた鉄槌がスマイルの側頭部をはじき飛ばした。つんのめったスマイルは、目の前で数個の星が飛び交う中で顔を赤く染め、肩を荒く上下させながら寒さ以外の理由で赤くなっている拳を握るユーリの姿を見た。
「ユーリさん、痛い」
「痛くしたのだから当然だ!」
 折角の良いムードも台無しの大声で怒鳴り、彼は更にもう一発食らっておくかと構えを取る。そればかりは首を何度も振って丁寧にお断りして、スマイルは殴られた箇所を静かに労って撫でつつもう片手を使い、コートのポケットをまさぐった。
 拳をおろしたユーリが見守る前で、彼が取り出したのは古めかしい懐中時計。竜頭を押して蓋を開け、薄明かりに晒した文字盤の現在時刻を読み取り、顎に手をやった彼は何か考え込む素振りを見せて隻眼を空に流した。
「スマイル?」
「あと四分半……」
 時計の蓋を閉ざして呟き、再びポケットに戻した彼にはユーリの呼びかけなど聞こえていない。半眼して唇に押し当てた親指を軽く嘗め、僅かに遠くなった気がする星明かりに耳を峙てている。
 彼が呟いた数字の意味が分からず、置いてけぼりの気分を感じながらユーリは巻かれたマフラーに手を置いた。柔らかな手触りに、自分に吐き出した息が重なって少し心が温かくなった気がした。
 左耳のピアスが、ちくちくと鈍い痛みを先程から訴えかけている。マフラーの端を掴んで耳を覆うようにしてやると、コートの袖から銀色のブレスレットが頭を覗かせる。
 吐く息が純白に染まりそうだった。
「あと三分」
 カウントダウンを続けるスマイルが、目を閉じて爪先で何度か地面を叩いた。誰かに合図を送っているようでもあり、リズムを刻んでいるようでもある。
「スマイル、さっきから何……」
「しっ。黙って」
 何を数えているのかと問おうとしたユーリの唇に、スマイルの包帯に包まれた長い人差し指が軽く押し当てられる。口を開く寸前だった為、危うく彼の爪先を噛んでしまうところだったユーリは、一瞬虚を突かれたあと、長く伸びた鋭利な武器となる牙に彼を招かぬよう、スマイルには分からない程の微細な配慮で静かに唇を閉じた。
「あと、二分」
 呟いて彼は、またしてもユーリから視線を外して空を見上げる。離れていった指先の名残を、自信の手でなぞって消え去った微かな温もりを欲して息を吐くユーリ。闇に紛れた形のない白さは、スマイルに届く前に掻き消えて跡形も残らない。
 用意してある、と言われたクリスマスプレゼントの正体もまだ明かされていない。焦らされてばかりの自分を感じ、ユーリは闇の中でひっそりと存在を主張する樅の木を仰ぐ。
 照明も落とされ、見上げる存在はもうユーリとスマイルくらいしか居ない。数時間前までは主役だったのに、舞台が終わればこんなものか、と一過性の流行を思い起こさせて、悲しくなった。
「あと30……」
 一際大きく深い息を吐き出し、スマイルが緩く首を振った。樅の木から注意を移し、怪訝な面持ちのまま彼を見返したユーリの前が、唐突に黒一色に染まった。
 いや、違う。突然両手を広げたスマイルが、予告もなくユーリに抱きついたのだ。彼の肩口に埋もれたユーリの目が反射的に障害物を感じて閉じられたから、視界が闇に包まれただけであって、自分が目を閉じていると気づいた彼は慌てて深紅の双眸を見開かせる。
 温もりが、すぐ其処にあった。
 ガーネット色をした左耳だけのピアスが、ちくちくと痛い。小さな、爪の先も無い大きさの宝石が泣いているようで、常からず感じている蠱惑的な薫りさえも露と消す程の痛みに、ユーリは浅く下唇を噛みしめる。
 ポケットの中で鈴が鳴っている。聞こえない程に微かな音色で、何かを祈り唄っている。
「ご、よん、……」
 スマイルの声が耳の真横から聞こえてくる。けれどこの体勢で、この位置からでは彼が今どんな顔をしているのか見えなくて、ユーリは彼の服を引っ張りながら軽く藻掻いた。
 けれどスマイルは許してくれず、余計に背中に回された両腕の拘束を強めてきて、だから余計にユーリは彼がコートの下に着ている黒のセーターが伸びてしまいそうなくらい、引っ張らなければならなくなる。
「にぃ、いち……」
 耳の横で、カウントダウンは続いている。
 ゼロ、と言ったのは果たしてスマイルだったのか、それともユーリだったのか。
 遠い空で、荘厳な鐘の音色が鳴り響く。ちょうど、十二回分。
 

「Merry Christmas!」

 

 聖なる前夜が終わり、聖なる日がやって来た。
 その瞬間に緩められた腕、見合わせた顔でふたり、肩を揺らして笑って、叫ぶ。
「ユーリ、クリスマスプレゼントだよ」
 そう言ってスマイルがユーリに上空を見上げるように、立てた人差し指を真上に向ける。促されて星々の煌めく筈の空を仰ぎ見たユーリの広い視界で、微かな、白い小さなものたちがはらはらと舞い降りてくる。
 それは最初、とても数が少なく朧気だったけれど、徐々に数を増して次々と空から地上へと降り注がれる。高い空からの長い旅を終え、地上を訪れたそれらは役目を終えた樅の木に見守られながらふたりの両脇を過ぎて大地に吸い込まれていく。
「ゆき……?」
「それも初雪デス」
 驚きを隠せず、呆然としながら空を見上げ、絶えず降り注がれる白の結晶に手を差し伸べるユーリの姿にスマイルは満足げに頷いた。まるで自分がこの日の、この時間、あのタイミングを狙って降らせたのだと言わんばかりの自慢げな態度で、いくら何でも彼が……と思うのだが。
 少し考えて、こいつならばやってのけるかもしれない、と思い直した。
 調子が良く、破天荒で荒唐無稽で、口達者の大法螺吹きで、けれど自分が言った事には最後まで責任を持ち絶対に約束は破らない。
 確かに、彼ならば天上の神さえも説き伏せてしまえるかもしれない。天候さえも自在に操り、思い通りの世界を演出してしまえるかもしれない。
 大袈裟でなおかつ恐ろしい考えだったが、彼だったら、と思えてしまえるところが彼の凄いところでもあるのだろう。
「凄いな」
 はらはらと降りしきる雪の白さに目を奪われ、掌に触れてスッと解ける一瞬の冷たさに頬を緩める。
「凄い、な」
 重ねて繰り返し、いつの間にか空一面を覆う雪雲から落ちてくる冬の結晶が地上に降り注ぐ景色に見入る。雪の花が舞う世界に、沈黙していた樅のツリーが白く染め上げられ、新たな空からの贈り物で着飾らされる様がとても綺麗。
 淡い光で地上が包まれ、次第に粒を大きくさせる雪が地表に触れても解けずにそこに留まり出し、やがて薄く白化粧が施されていく。このまま一晩降り積もった雪は、明日には城を覆い尽くして、白銀の世界を陽光に晒すだろう。
 たった数時間で様変わりした世界の様に、ユーリはきっとまた目を見張り、驚き感動するに違いない。
 コート一枚では寒くなってきた大地で、まだ雪の降りしきる世界を見上げ続けているユーリをスマイルはそっと抱きしめる。今度は背中から、優しく腕を回して彼を閉じこめる。
「気に入ってくれタ?」
「ああ、凄い。だが、どうせだしパーティーの最中でも良かったのではないか?」
 皆がもっと喜んだだろうに、と既に昨日となった日の出来事を口に出したユーリに、スマイルは赤いマフラーに顔を埋め、やや拗ねた声を出す。
「それじゃ、ユーリだけへのプレゼントにならないじゃない」
 君のために用意したんだから、と見えないけれどきっと唇を尖らせているのだろう。彼の言い分も分かるので、その気持ちがむず痒く背中に鳥肌が立ちそうだったユーリは笑って誤魔化した。
「そうか?」
「ソウデス」
 笑みを含んだ声で問うと、余計に拗ねた声で返される。今度こそ声を立てて笑い返し、ユーリは彼が額を押しつけている首に巻いたマフラーを前から引っ張ってスマイルの顔を起こさせる。そして緩い締め付けであったのを良いことに、彼は胸の前で結ばれていたスマイルの腕を解かせた。
 胸ポケットの中で、ちりん、と鈴が跳ねる。軽やかな音は、まるでユーリの今の心を反映しているかのように澄んでいて、そして何かを企んでいる色を含んでいた。
 空中に両手を左右に放り出され、慌てて引き戻した時にはもうユーリはスマイルの前から半歩退いたところに逃げていた。
「ユーリサン?」
 行き場を失った手を握ったり開いたり繰り返し、スマイルは小首を傾げる。腰の後ろに回した手を結ばせて、ユーリは雪化粧が始まったツリーの頭を見上げた。今はまだ雪帽子を被っただけの樅の木も、朝には真っ白いコートを羽織って真っ白の雪靴を履いて立っているに違いない。
 ツリーを片付けるのは飾り付けをしたスマイルの仕事なのに、自分で作業を大変にさせるとは。根回しが良いくせに、肝心なところでひとつ抜けているのが、やはりこの男らしかった。
「ユーリ」
 含み笑いで肩を揺らしていると、怪訝に思ったスマイルが重ねて名前を呼んで来る。
「どこまでもお前らしいのだな」
「? ぼくは、どこまでもぼくのままだヨ」
「まったくだ」
 どことなくかみ合わない、けれど表面上でふたりとも滑り合わせて深くまで踏み込まず、会話を一度終わらせて、ユーリはさっきよりも白さが増した息を長い時間かけて吐き出した。
「冷えてきたな」
「うん、そろそろ中に戻ろうか?」
 空から舞い降りる雪の姿を見上げ続けるのも飽きないが、雪という視覚的体感的効果も相俟って一層強く感じるようになった冷気には負ける。これで風邪を引いては元も子もないからと、スマイルはユーリを誘って明るい屋内を指さした。
 そして返事が無いのを同意と捉え、先に立ち踵を返して歩き出す。
 微かな城内からの光を反射し、薄く積もった雪の上に残される足跡が浮かび上がる。一歩、二歩、三歩……増えていく彼の居た名残を数えながら、ユーリは吐いた息の白さに目を閉じた。
 ポケットの上から鈴の形を確かめる。指先で強く握りしめ、もう庭の端、城の広間へ続く窓に片手を置いて開けようとしていた彼の背中目がけ、ユーリは走り出した。
「スマイル!」
 大声で名前を呼び、半身を乗り出して部屋に入ろうとしていた彼をその場に押しとどめさせる。肩越しに振り返った彼が、駆け寄ってくるユーリを見つけて出しかけた足を引っ込めて身体ごと振り返った瞬間、ユーリがスマイルの胸に突進した。
 ラグビーのタックルにも似た勢いそのままに彼にしがみつき、スマイルを驚かせる。
「ゆ、ユーリ?」
 身を反り返し、衝撃を後ろに逃しながらもしっかりユーリを受け止めたスマイルがうわずった声を出した。直後、しっかりと背中にまで回した手を結んだユーリが顔を上げ、スマイルの隻眼を紅玉の双眸でまっすぐに見つめた。
 じっと、何かを訴えかける瞳に言葉を失ったスマイルへ、背筋を伸ばしユーリは爪先を立てた。
 ふっ、と熱い息を彼へ吹きかける。
 一瞬の触れあい。閉ざされたユーリの瞼と睫の長さに見入ってしまったスマイルが、目を閉じるタイミングを損じてしまう程の、刹那の出来事。
「お返しだ」
 こちらは何も用意できていなかったからな、と言い訳じみた言葉を舌に載せ、ユーリははにかんだ笑みを浮かべた。
 半開きの窓を背に、スマイルの手がユーリの頬へそっと伸ばされる。
「スマイル?」
 気づかぬうちに積もっていた髪の上の雪を払い落とされ、すっかり冷えて悴んでいる肌を何度も撫でられる。
「メリー・クリスマス」
 耳元で囁かれた。
 ユーリも同じ言葉を返してやろうと、唇を開きかける。
 けれどその声は、深く重なり合った影の中、雪の降る音に吸い込まれて消えた。