懐かしい人

「坊ちゃん、どこに行っていたんですか?」
「探しましたよ」
 トラン湖に浮かぶ古城、レイクホーン城の中で今日もまた、解放軍のリーダーを巡る過保護な会話が始まっていた。
「探した……って、僕になにか用?」
「いえ、用とかそういうことではないのですが……」
「勝手にいなくなられると心配になるでしょう」
 解放軍リーダーであり、今は亡き5将軍のひとりテオ・マクドゥールの嫡子であるラスティスに尋ねられ、長年彼のそばで仕えてきたクレオとパーンはほぼ同時にそう答えた。
「城から出る訳じゃないんだし」
 そこまで心配しなくても大丈夫だと、ラスティスは苦笑いを浮かべる。だが付き人で母親代わりだったグレミオを失い、今度は実の父までも──それも自らの手にかけることで失ったばかりのまだ10代の少年のその表情は、どこかしら哀しげに見えて苦しかった。
「……それで、どちらに行っておられたのですか?」
 こほん、とひとつ咳払いをしてクレオが尋ねる。話題がそれたことを、ラスティスは正直ありがたいと感じた。
「ああ、アレンとグレンシールの所にね」
 死んだテオの部下であり、今は彼の遺言で仲間に加わった二人の名を口にする。しかしパーンはぴくり、と眉をつり上げた。
「なにか、されませんでしたか?」
「……大丈夫だよ、パーン」
 あの二人は心底テオのことを信頼し、敬愛していた。だからこそそのテオを殺したラスティスのことを憎んでいるかもしれない。そう憶測したパーンの多少強まった語気に、ラスティスは微笑みながら首を振った。
「嫌味事はね、言われたけど。でも楽しかった。話がしてみたかったんだ、彼らとは」
 今は5将軍のうち生き残っている半数が、この城にいる。そして彼らは解放軍のために戦うことを約束してくれた。一度は恨んだ相手でも、恨むだけでは何も解決しないから、ラスティスは彼らをそのままいけ入れた。
 戦いの始まるきっかけなんて、その時はとても重要なことに思えたかもしれないけれど後でゆっくり冷静に思ってみれば、ひどく稚拙でくだらないことだったりする。争い会う理由など、本当は初めから無かったのかもしれない。でも譲れなかった。この道だけは、誰にも。お互いに。
「父様の話を、聞きたかったんだ。ずっと……考えてたから」
「坊ちゃん……」
 自分に正直に生きて、それを全うできたからテオの死に顔は穏やかだった。それでもラスティスは確かめたかった。自分が解放軍を導いていると知ったときの、父の顔を。
「こんにちは」
「何をしにこられました」
 にこやかな声と、むっつりとした声と。右と左から同時に声が降ってきてラスティスは冷や汗をかいた。
「……少し、話がしたくて……いいかな?」
 困りながら上向いて答えると、またしても奇妙にはもった声が下りてくる。
「我々とですか?」
「貴公と話すことなど、ありません」
 優しげな笑顔の金髪の青年が、グレンシール。
 多少棘のある物言いの青年が、アレン。
「アレン、失礼だぞ。テオ様のご子息であり、解放軍のリーダーに向かってそれはないだろう」
「失礼も何も、俺はまだ認めていないぞ」
「あ、二人とも、…………」
 止めようかとも思ったが、自分がここでしゃしゃり出たら余計にこじれると思い直し、やめておくことにする。ただ彼らの前で盛大にため息を付いてやれば、通りがかったミルイヒが何事かと首を伸ばしてきた。
「おやめなさい、みっともない。テオが見たらなんと言うか」
 大体の事情をラスティスから聞き、呆れた調子でミルイヒが仲裁に入った。
「ミルイヒ様……!」
 テオと同格の存在に気付き、二人揃って敬礼するがミルイヒはそれを首を振ってやめさせた。
「いいですか。テオはあなた方にご子息を任せたのですよ。その重要性をもっとよくかみしめてみなさい。今はラスティス様をお守りすることが、テオを守ることにもなるのですよ」
「それは……そうかもしれませんが」
 アレンがまだ納得がいかないように唇を噛む。グレンシールはそんな同僚の肩を叩き、顔を上げるように言った。
「ご忠告、痛み入ります。ラスティス様、どうぞ中にお入り下さい。ここではゆっくりと話もできませんから」
  先にミルイヒに頭を下げ、グレンシールは言葉なく動向を見守っていたラスティスを誘って城の中に入っていった。
「……どうぞ」
 アレンも彼を促し、マントを翻してグレンシールに続く。残ったラスティスだが、
「大丈夫です。彼らだって本当は分かっているんですよ。ただ、まだ少し心の整理が付いていないだけで」
 ミルイヒに背中を押され、彼はひとつ頷いて中に入った。
 真昼だが城の中は薄暗い。壁にいくつもの燭台が並び、蝋燭の火がゆらゆらと揺れている。兵舎として使われている一角を改造して広くした部屋には、簡単な食事を作るための水場も用意されている。向こうにクワンダ・ロスマンの姿も見えた。
「お茶、どうします?」
 慣れた手つきでティーポットの用意を始めたグレンシールに、「いります」とだけ返事をしラスティスはアレンが腰掛けたテーブルに近づいた。
 空気がぴりぴりしている。しかしここで引き返しては、多分もう、ゆっくりはなせる機会が作れないような気がする。ラスティスは自然と握り拳を作って、アレンの真向かいに座った。
「……」
 無言でアレンはラスティスを見、そして視線を外す。交わされる言葉もなくただ沈黙が流れ、ラスティスはいたたまれない気持ちにさせられた。
「おやおや、まったく。なにをやっているんだ? アレン」
 3人分のカップとポットを載せた盆を持ち、戻ってきたグレンシールは呆れ声で同僚を笑った。
「ラスティス様も、気にしないで下さいね。こいつ、本当はすっごく喋りたくて仕方がないんですよ」
 テーブルに盆を置き、ぐに、とアレンの頬を指で突いて、グレンシールはまた笑う。
「こら!」
 その手をはたいたアレンだが、勢い余って盆に載せたカップが転落しそうになり、慌ててテーブルに身を乗り出してギリギリのところでカップを掴んだ。ちょうど、ラスティスのすぐ手前で。
「あ、…………大丈夫……?」
 4人掛けのテーブルはそれほど大きくない。それにカップが転がったのはラスティスのいる方向で、なにも反対側のアレンが手を伸ばし、届かないからと行ってテーブルに体を載せてまで捕まえる必要はなかったはず。それなのに。
「アレン……」
 ぷぷぷ、と笑いがこみ上げてくるのを必死でこらえるグレンシール。ポットの中の熱湯がこぼれないように、アレンがテーブルに乗りだしたときにさっとポットだけを持ち上げていた彼だったが、まさかここまで彼がするとは予想していなかったらしい。だん、とポットをテーブルに戻し、こらえきれなくなって腹を抱えてその場にうずくまった。
「なんだ、それ。おまえ、何をやって……」
 肩が震えているのが鎧の上からでも分かる。大笑いされなかっただけ、まだ周りの注目を集めないで済む分良かったかもしれないが、ここまでウケられると正直、呆然としてしまったラスティスだってどう反応を返せばいいのか分からない。やはり、笑うのはまずいだろうが……ノーリアクションでもアレンは多分、怒るだろう。
「笑うな!!」
 顔を真っ赤にしたアレンが、テーブルからいそいそと下りてうずくまるグレンシールに怒鳴りつける。だが火に油を注いだ結果しか生まず、目尻に涙まで浮かべたグレンシールはそれから約5分してようやく立ち上がったのだった。
「お茶、冷めてしまいましたね」
「誰のせいだ」
 ポットに触れて温度を確かめたグレンシールの呟きにアレンが速攻で嫌味を返すが、
「お前だろう」
「…………」
 間髪置かず言い返され、彼はそっぽを向いた。
「悪い悪い。俺が悪かった、機嫌を直せ。ラスティス様の前だぞ」
 からから笑いながらという、とても本心から言っているとは思えない口振りだったが、グレンシールの言葉にアレンは仕方なく、といった顔で前を向いた。
「それで、お話とは?」
 ポットからカップに、いくらか冷めたお茶を注ぎながらグレンシールがラスティスに尋ねる。
「……父様のことが聞きたくって」
 渡されたカップを両手で包み込むように持ち、彼は真向かいに座る二人を見ながら言った。
「テオ様のことですか?」
「知らないのか?」
 意外、という響きを込めたアレンの言葉にラスティスは首を振って違う、と否定した。
「家での父様のことは良く知っている。戦場で何があったとかも、よく話してくれた。僕が知りたいのは……」
「ラスティス様が反乱軍……いえ、解放軍のリーダーとなられた時の、テオ様ですね」
 お茶を一口含み、グレンシールが穏やかな声でラスティスの言葉をつないだ。こくん、とラスティスが頷くのを待って、彼はアレンを見る。
「なんだ」
「君が話せ」
「どうして」
「その方が早いからさ」
 どういう意味だ、とアレンはグレンシールを睨んだが彼はカップの紅茶を優雅に口に運んでいる最中でアレンの視線を完璧に無視していた。
「あとで覚えていろ」
 苦々しげに吐き捨て、アレンは黙って待っているラスティスを見る。
「報告が入ったとき、テオ様は『そうか』とだけ、呟かれた。それだけだ」
 横で聞いていたグレンシールが微笑む。
「本当に?」
「ああ、本当にそれだけだ」
 しつこいぞ、と険のある表情で言い返されたラスティスは、そのまま視線を泳がせて微笑むグレンシールを見た。しかし彼も、
「私もその場にいましたが、アレンの言うとおりですよ。その後すぐ、我々は退室しましたから」
 後のことは知らないのだと暗ににおわせ、グレンシールは言葉を切った。
「……そう」
 ラスティスが俯くのを眺めながら、グレンシールはポットから新しいお茶をカップに注ぐ。3つあるカップのうち、中身が減っているのは彼のものだけだった。
 アレンが言ったとおり、テオはそれ以外の言葉を口にしなかった。しかしその表情はどこが苦々しく、そしてすがすがしくもグレンシールの目には映っていた。それは独り立ちしていく息子をそばで見守ってやれない事への苦悩と、いつか互いの進む道がぶつかり合うことが避けられないものであることを予想しての苦しみ。そして、自分を越えていく道を見つけた息子への深い愛情を感じさせる表情だった。
「後悔、なさっていますか?」
 もう湯気も立たなくなったカップを見つめ続けるラスティスに、グレンシールは問いかける。
「……分からないよ、今はまだ」
「してもらっては困る」
 むすっと、アレンが言った。
「テオ様のことを後悔するようでは、お前は解放軍を導く事なんて出来るはずがない。テオ様の死を後悔するようなことがあれば、テオ様の死を無駄にするようなことになったら……俺はお前を許さないからな!」
 ばんっ!とテーブルに拳を叩きつけ、アレンはまたしても身を乗り出してラスティスに怒鳴った。
「はい!」
 反射的に頷いてしまったラスティスに、グレンシールのこれで何度目か分からない笑い声が聞こえた。
「……笑うな!」
 耳まで真っ赤になってアレンが叫ぶが、グレンシールは聞いちゃあいない。
「いいな、その性格。俺には絶対……マネできない……」
 熱血漢なのは良いが、勢いに流されたのは分かるが……リーダーを「お前」呼ばわりし説教くらわせられるその性格、グレンシールはとうてい真似できないと痛感した。
 熱くなると周りが見えなくなるのが、アレンの良いところであり、欠点でもあった。グレンシールは冷静沈着である分、余計なことにまで気が回ってしまう性格だった。だから、彼はアレンにテオの言葉を伝えさせたのだ。
 あの一言にテオがどれだけたくさんの想いを込めたのか。それは、現実に知るものはもういない。テオにしか分からないことだったから。しかしおそらく、ラスティスには伝わったのではないかと彼は思う。アレンの飾らない言葉が、言葉の向こうに隠された様々な想いを見せてくれたはずだ。そう信じたい。
「……最後にひとつ、聞いても良いかな」
 また喧嘩を始めそうな二人に、冷め切った紅茶を飲み干して気持ちを落ち着けたラスティスが尋ねかける。
「なんでしょう」
「なんだ」
 また声がハモっている事につい表情が緩んだ彼は、静かに、
「二人はどうして、父様の部下になったの?」
 それで幸せだったのか、と彼は問いかけた。
 ほんの一瞬の沈黙。そして、ふん、と鼻を鳴らすアレン。
「なんだ、そんなことか」
 つまらない質問だな、と彼はラスティスを笑う。グレンシールがそれを咎め、
「その質問は、例えばあなたに『どうしてテオ様の子供に生まれてきたのか?』と尋ねるのと同じ事ですよ」
 優しい微笑みと共に、グレンシールはそう答えた。
「それって……」
「ええ、そういうことです」
 ラスティスがテオの息子として生まれてきたのが運命なら、アレンとグレンシールがテオの部下として働くこともまた、天命だった。ラスティスがテオの子で幸せであったのなら、アレンもグレンシールも、当然テオの部下であることは誇りだった。
「テオ様は今でも我々の誇りです。そして、あなたも」
 お茶を勧めながら、グレンシールが微笑みかける。その向こうでアレンも、頭の後ろで手を組むというやる気のないポーズではあったが、
「まあな」
「照れ屋なんですよ」
「グレンシール!」
 ぶっきらぼうな言い方をしていますが本心からではないですから、とラスティスに耳打ちする同僚の声はばっちりアレンに聞こえていた。
「本当のことだろう」
「言っていいことと悪いことがある!」
「いつかはばれることなんだ。早いほうがいいに決まっているだろう」
「そういう問題ではなくてだなあ……」
 どうしてこうも口論の多い二人が仲良く一緒にいられるのだろう。ついに噴き出したラスティスに、立ち上がってグレンシールに詰め寄っていたアレンはばつが悪そうに頭を掻いた。
 ラスティスが笑ったのは、本当に久しぶりだったから。
「照れてるな」
「いちいちうるさいんだ、お前は!」
 茶化すグレンシールにまた怒鳴るアレン。ラスティスの笑顔は当分、途切れそうになかった。