考え事

 ほのぼのするような暖かい日の午後。レイクウィンドゥ城の城主ことセレンは、城の庭にある池の前でボーっとしていた。
 腰掛けるのにちょうど良い高さの石に座り、ぼへーっと池のアヒルを眺めている。彼が何をしているのかは分からないが、大切なリーダーの邪魔をしては悪いと池の前を通り過ぎる人達は皆遠慮してそそくさとそこから立ち去っていく。
 おかげで、セレンはひとりでのんびりとできた。ただし、そのことを本人が自覚していたかどうかは、謎。
 だって、セレンは考え事をしているように見えて実はなんにも考えていなかったのだから。
 自室にいたらナナミが騒ぐし、シュウやリドリーが今後のことを考えろ、と勉強を強要してくるし、道場に行けば修行修行とやかましい人達がいるし。レストランに逃げれば人だかりができて騒々しく、酒場は酒臭い。たまにはひとりでのんびりしたいと、結局落ち着いたのがこの場所だった。
「ねむ……」
 ぽかぽかのお日様が心地よい。あくびが自然とこぼれて、セレンはのびをした。
 たまにはこんな日も良いかな、ほやーっと考え池に石を放り投げる。水紋が広がり、きらきらと光がはねた。
「もうちょっとこうしてよう」
 さぼり癖がついたわけではないが、連日の作戦会議や鍛錬でセレンはくたくただった。とりあえずシュウにさえ見付からなければもう少しはここでのんびり羽を伸ばせるだろう。誰にも邪魔されないというのは、いいことだ。
 だが、そうも上手くいかなかった。
「あっれ? セレンじゃん。なにしてるんだ? そんなところで」
 顎をつき、また一見考え事をしているように見える体勢を作ったセレンをずり、っと落っことした人がいた。
「……シーナ……」
 恨めしげにセレンは、突然声をかけてきた人を振り返る。
 トラン共和国大統領を父に持ち、美人の母に負けず劣らずの美貌を誇る(自称)、超尻軽男のシーナが、セレンの座る石に影を落とす巨木の枝に手をかけて立っていた。
「……何か用?」
「用が無いと話し掛けちゃ駄目なわけ?」
 邪魔するな、と眼で訴えてみるがシーナは軽やかな笑顔でそれをかわした。
「で、何してたの?」
 さりげなく近づきながら、シーナが続けて尋ねてくる。しゃがみ込んでセレンと視線の高さを合わせ、にこにことお得意のスマイル攻撃(笑)。
「何もしてないよ」
「あれ? 考え事してたんじゃないの」
「してたよ」
「何もしてなかったんじゃないの?」
「何もしないことを考えてたの!」
 むかっ。
 いちいちいらないことを言ってくるシーナに、セレンは腹が立ってきた。大体、シーナはマイペースすぎる。たまには相手の気持ちを考えてものを言えば、ナンパ率だってもうちょっと上がるかもしれないのに。
「暇なんだな、今回のリーダーは」
「なんだよ、それ」
「いや、こっちのこと」
 前のリーダーはいっつも難しい顔をして考え事ばっかりしていたなあ、とひとりごちるシーナ。
「わるかったね、どうせボクはなんにも考えてないお子さまだよ」
  一度だけ会ったことのある、門の紋章戦争の英雄。ラスティス・マクドゥールはたしかに、セレンにくべればずっと考え方も上で、統率力もあるように映った。彼と比較して、自分のふがいなさを思い、セレンはずいぶんと落ち込んだことだってあったのだ。
「すねない、すねない。セレンだって立派なリーダーだぜ。俺が保障してやる」
「シーナの保障なんて、ちっとも当てにならないよ」
 可愛い女の子であれば誰だって良いらしく、手当たり次第に声をかけるシーナに言われても少しも説得力がない。言ってやると、シーナは困ったように頭を掻いた。
「じゃあ……オヤジが認めたんだ。安心してリーダーやってろ」
 トラン共和国を立派にまとめ上げているレパントの保障付き、と言い直すシーナ。馬鹿正直。
「そんなこと言われても……」
「どう言ったってセレンは落ち込むもんなあ」
 まるで落ち込むのが趣味みたいな言われ方で、またセレンはむっとなる。
「からかいに来たんなら、いい加減にしてよね。ボク、帰る」
 帰るといっても、ここが彼の家なわけだが。
 立ち上がりかけたセレンだったが、しかしシーナが下から腕を掴みひっぱたためにバランスを崩して見事にシーナの上に落ちてしまった。
「シーナ!」
 ふざけるな、声を荒立てて組み敷く形になった彼に怒鳴りつける。だが、下敷きになったシーナはおかしそうにからからと笑い声を立てた。
「女みたいだな、軽くてちっとも痛くない」
ひょい、と見かけによらない強い力でセレンをどかし、そのまま草の上に寝転がったシーナは憮然としているセレンに言う。
「からかってないさ。セレンはセレンで、ラスと違う。この城にいる連中はみんな、おまえを慕って集まった奴らばっかりだ。おまえならこの国を立て直せるって思ったから、勝ち目の薄い賭けに乗ったんだ。違うか?」
「…………」
 そうかもしれない。そうでないかもしれない。確かめたことなど無かったから。
「今度聞いてみな。おまえは、おまえが思っているほど頼りない存在なんかじゃない」
 シーナの広い手がセレンの頬に触れる。彼はゆっくりと、体を起こした。
「ラスになる必要なんて無い。セレンはセレンのまま、おまえが思うようにやればいい。ラスはトランを救ったけど、おまえが救うのはトランじゃないだろ?」
 比較対象として見る必要なんて無いんだ、とシーナは優しい声でささやく。
「おまえひとりが戦っているんじゃない。俺達がなんのためにいるのかも考えろ。もっと自信を持って良いんだぜ、おまえは」
 こつん、とシーナの額がセレンの額にぶつかった。目の前にきたシーナの顔がやけににやけていることに気付き、セレンははっとする。
「やっぱりからかってるじゃないか!」
 どん!とシーナを押し返し、彼は怒鳴った。びっくりしたようにシーナが目を丸くする。
「……頭固いなあ、見かけによらず」
「悪かったね!どーせ、ボクは頭悪いよ!」
「いや、そーじゃなくて……」
 これは何を言っても逆効果になりかねない。女の子の相手ならいくらでも対処のしようがあるが、セレン相手ではさすがのシーナも形無しだった。
「セレンさあ……もうちっと柔らかく考えた方が良いんじゃないか?」
「…………」
 完全にすねてしまったらしい。シーナの言葉に、セレンは無反応。
「頭悪いって自覚あるんだったら、頭良い奴に考えるのを任せちまえばいいじゃん。戦いたくないんだったら、戦いたがってる奴らに任せちまえばいいんじゃねの?」
「……できっこないこと、いわないでよ」
 しかしちゃんと聞いてはいたらしい。無責任なことをひょいっと言ってのけるシーナに、セレンは顔を上げて反論した。
「それじゃ、ボクは必要ないじゃないか」
「だったら、考えろよ」
 しかし、セレンの返事をあらかじめ予想していたのか、にやりと笑ったシーナが勝ち誇ったように即座に切り返してきた。
「お前が出来ること、考えろよ。ラストエデン軍のリーダーとしてじゃなくて、セレンっていうひとりの人間として、どこまで出来るのかをな。何も自分から重荷をしょって立つ必要なんてないんだぜ、お前、まだ16歳じゃん」
 出来ないことの方が多い年齢だと、シーナは笑った。
「その為に俺達や、シュウやリドリーがいるんだしよ。お前はお前であればいい、それ以上を望む連中なんて、無視してればいいんだよ。俺みたいに」
 それは……良くないと思うが。
「ま、とにかくだ。16歳は16歳にしか出来ないことだってある!要は後悔しなきゃいいんだ。自分が一番楽しいって思える生き方、探せよ」
 よ、っと立ち上がり、シーナは真上からセレンをのぞき込むようにして言った。
「……なんか、シーナが違う人みたいだ」
「どーゆー意味かなぁ?」
 ぐにいとセレンのよく伸びる頬を外向きに引っ張り、額に怒りマークを付けたシーナが尋ねる。
「いふぁい、いふぁい!」
  ばしばい彼の腕を叩いてギブアップを訴えるセレンを見て、ようやくシーナはセレンを解放した。
「俺はいつだって真剣なんだよ」
「…………」
 セレンは真っ赤になった頬を両手で包み、ふんぞり返るシーナを恨めしげに見上げる。悔しいが、今は彼の言うことの方が一理あった。
「……いいのかな、それで」
 でもまだ分からない。リーダーがどういうものか、自分がどうあるべきか。
「聞いてなかったのか?後悔しなきゃ良いんだよ、お前が。他の連中の事なんて気にするなって。お前の人生だぜ?他人にあれこれ言われてその通りにしか出来ない生き方なんて、俺は絶対に御免だね」
「……シーナは、後悔してないんだ」
「ん?……まーな。オヤジには怒られてばっかだけど」
 思い出したのか、頭を掻きながらシーナは言葉を濁らせる。
「シーナ……強いね」
「お前の方が強いだろ」
 リーダーをやっていられるセレンの方が、ずっと強い。シーナの言葉に、セレンは首を振る。
「ボクは強くない。ずっと迷ってる。迷って……答えが見付からない」
 立てた両膝の間に顔を埋め、セレンは唇を噛んだ。肩が小刻みに震えていて、少しだけ考えたシーナは、そのセレンの頭をそっと撫でた。こういうことをすれば、子供扱いしていると彼は突っぱねるのだが、今回はおとなしくシーナの手を受け入れていた。
「迷ってんなら……やっぱり、考えてろよ。時間はあるんだからさ」
「…………うん」
 長い時間をかけて、セレンは静かに頷いた。