咎人の祈り

 ハイランド王国皇都ルルノイエ──
 白亜の王城は、美しくきらびやかであるが、どことなく冷たい印象を見る者に与える。それは、ハイランドの歴史が戦争の繰り返しという事実が故の、絶対の力の象徴だったためかもしれない。
 人生の最期に、長すぎた戦乱に終止符を打とうとしたアガレス・ブライトも。
 世界の全てを混乱と恐怖で破壊し尽くさんと欲した狂皇子ルカ・ブライトも、もういない。
 血塗られたブライト皇家に最後に遺されたのは、ジルという、たった一輪の紅い華。
 彼女はひとつの手段でしかなかった。罪悪感を覚えることは、いつだって出来る。しかしこの、荒れ狂う大地を平定出来るのは今という時しかない。
 後悔はしないと決めた。自分の選んだ道は、とても険しく、厳しい道のりであることが分かるからこそ、後悔なんて出来なかった。もう、選んでしまったのだから。二度と戻れない道を。
 相次ぐ支配者の死。
 暗殺されたアガレス・ブライト。その跡を継ぎ、ラストエデン軍を猛追したルカ・ブライト。だが彼の夢は半ばで砕け散った。
 ルカのめざしたものは全ての破壊。人も、獣も、森も湖も山も何もかもを奪い尽くし、破壊し尽くし、誰も生きることのできない沈黙の世界を作り出すことだった。そして、ブライト家に伝わる獣の紋章は、それが可能になるほどの力を秘めている。
 今は黒き刃の紋章で、首をもたげ、すぐにでも地上に影響を及ぼそうとする獣の紋章をかろうじて封じていられる。だが、27の真の紋章それ自身と、二つに分かたれた真の紋章の力の差は歴然としている。いつか、封じきれなくなるときが来るかもしれない。それはそのまま、ここルルノイエ、強いてはハイランド全体の崩壊をも意味しかねない。
 ルカ・ブライトの死後すぐに取り行われた、ジルとジョウイの婚礼の儀は、指導者を失ったハイランドが内側から倒れてしまわぬようにとの、苦肉の策でもあった。
 狂皇をうち破り、勢いづいく一方のラストエデン軍をこれ以上勝手にしておくことは、ハイランドの諸侯達も快いものではない。しかし、国の代表として軍の先頭に立ち、すすんで前線という危険極まりない場所で指揮を執ろうとする者は、ついぞ現れなかった。
 だがキャロの一豪族の息子でしかなく、策にはまったとはいえ一度はハイランドを裏切った若干17歳の少年を国の主権者とする事にも、貴族達はあからさまに不快感を表明していた。
 ジルとの婚約は、アガレス・ブライトがまだ生きていた時に成立したことであり、本人も了解してのことだ。しかしその直後にアガレス王は死亡した。ルカ・ブライトの時だって、内通者がいてラストエデン軍に情報をもたらした為に、待ち伏せにあって反撃を受け、戦死したという噂もある。その内通者がジョウイの手の者だった、というのだ。
 ジョウイは否定している。根拠のないことだと言って。
 しかし噂が消えることはなかった。
 あまりにも都合が良すぎたのだ、ジョウイにとって。ルカの死も、ジルとの婚姻も、そして転がり込んでくるハイランドの王位の坐も。まるで狙っていたかのように全てが一瞬にして納まってしまっていた。それが、古くからハイランドの中枢を担ってきた貴族達の気に入らない部分だった。
 自分を差し置いて、あんな若造に国を任せるなどと……。
 ルルノイエの城を歩いていると、周囲からそんなひそひそ話が聞こえてきて、ジョウイを落胆させる。
 それまで権力が皇王一点に集中し、好きなよう権威をふるえなかった貴族達。ルカの時代になると更に軍部の影響力が増大したせいで、ますます肩身が狭くなる一方だったのが、ルカが死んでジルしか遺らなくなったことで締め付けが緩むと、恐らく諸手をあげて喜んでいたに違いない。
 けれど現実には、ジルは皇王の座をジョウイに明け渡し、政権を担うことはしなかった。
 ジョウイはルカの下、軍を指揮し都市同盟に多大なダメージを与えてきた。そのことは認めざるを得ない。ジルとの婚約も、そういったところの成果をみて決まられた事だと思われている。つまり彼のバックには、ルカ・ブライトが遺した強力な軍部がそのままつく形になっているのだ。貴族連中が望んだような、規制の甘い貴族中心の政治からはほど遠い。
「ジョウイ様……」
「気にするな」
 あまりにもあからさまな彼らの言葉に、不愉快を顔に出したのはジョウイではなく、一緒に歩いていたシードの方だった。
 烈火の猛将としても知られているシードは、こういう陰に隠れてこそこそ不満を言うような人間が嫌いだった。言いたいことがあるのなら、正面切って堂々と言いに来ればいい。そう思っている。
「しかし」
「口だけしか能のないような人間に、いちいち気を向けていても疲れるだけですよ」
 冷淡な反応を返したジョウイに不満そうなシードだったが、クルガンにも追い打ちをかけられ、「はいはい」と肩をすくめた。
 彼らが向かっているのは、城の正面門だった。戴冠式を済ませたジョウイがもうこんな、腐りきった貴族の巣にいる必要はない。
 城には戴冠式に参列するために、多くの貴族諸侯が集まっていた。その中にアトレイド家の当主の姿は当然あるはずがないが、ハイランドにこんなにも税金食いの虫がいたのか、と呆れる思いがジョウイの中に芽生えるに十分すぎる数だった。
 今は戦時中、つまり非常事態だ。それなのに彼らの纏う衣装は派手な飾り付けがされ、きらびやかで悪趣味な宝石が全身を飾っている。食べるものに乏しく、その日を生きるのだけでも懸命な人々がいることを、彼らは知らないのだ。
 そして自分たちの生活が、一体どういう人々の支えに上に成り立っているのかすらも……。
「愚かしい……」
 城の中を徘徊する貴婦人の姿を視界の端に認め、ジョウイは呟く。
 彼女らが期待していた、戴冠式後の豪華絢爛なパーティーは、行われなかった。非常事態であること、こうしている間にも多くの前線の兵士が苦しみ、戦っていることを考えると非常識極まりないことから、ジョウイが中止を決定したものだ。だが時間がなく、その通達が全てに回っていなかったらしい。新王の姿を見た婦人達は、折角新調したドレスの活躍の場がなくなってしまったことを、恨むような目で訴えかけてきたのだった。
 戦場は遠く、ハイランドを離れることのない人々にしてみれば、戦争は対岸の火事でしか無いのかもしれない。しかし戦場で必要な食料は加重された国民からの税金でまかなわれていて、そのことを考えればどうしても、ジョウイは無駄な食料や予算を浪費したくなかった。
「あーああ、つまんねえの」
「折角わざわざ来てやったっていうのに、なんだよ。俺らにオモテナシはなしってか?」
 まだ若い、おそらく貴族の嫡子であろう青年が、近づいてくるジョウイ達に気付かないまま大声で喋っていた。
「ちょっと功績あげたぐらいで皇王になれるんなら、俺もいっとけばよかったかもな」
「後ろの方でああしろ、こうしろって言ってるだけなんだろ? 楽勝じゃないか」
「でもよ。あんなぱっと出の奴の言うこと聞いてる軍に入るのは御免だよな」
「俺もそう思う……っ! お、おい……」
「え? あ!」
 青年の集団と数歩の距離にまで来て、ジョウイは立ち止まった。彼らもようやく3人の姿に気付き、慌てて口をふさいだ。
「お前達……」
 シードが我慢ならないと、爆発寸前の形相で青年達をにらみつける。クルガンも静かな表情だったが、眼は明らかに怒りを含んでいた。
「不満か?」
 その中で、ジョウイの声はよく響いた。
「戦場で安全な場所など、ありはしない。将として求められるのは部下をいかに使い、生き残らせ、勝利するか……その技術だ。功績ばかりを求める者は自滅する」
 そのいい例が、ソロン・ジーだろう。家名だけで軍を任せることは危険だという証拠でもあった。
「国を支えるのも、貴族ではない。土を耕し、土にまみれ、土と共に生きている人々だ。僕たちの食べるもの、身に纏うもの、すべてのものが彼らの生み出したものであり、彼らなくしてこの国はあり得ない。民への感謝の心を忘れたとき、国は簡単に覆される」
 都市同盟の南、かつて権力を欲しいままにした強国赤月帝国が滅びたのは、そこに大きな原因があった。
 民衆に求められなくなった国は滅びるしかない。そうさせないためにも、ジョウイは知恵を絞らねばならなかった。
「……さっすが、庶民出のオウサマは言われることが違いますねぇ」
 静かに言ったジョウイに、リーダー格の青年が口元を歪めて言った。
「貴様!」
「おっと、俺に殴りでもしてみな。あんたの首ぐらい、どうにだって出来るかもしれないぜ?」
 拳を振り上げたシードに、臆しもせず青年は吐き捨てる。彼の身分に思い当たったクルガンが、止めるようにシードを制した。
「俺達は生憎、土の上で汚れたことがなくってね。さすが田舎町で育たれたことだけあって、平民の事をよく分かっておられる。我々では、とてもとても考えが及びませんでしたよ」
 大仰なポーズをつけてそう言い捨て、口元に薄笑いを浮かべる。はっきりとジョウイにも見えるように。
「……言いたいことをいわせておけば……」
 クルガンに押さえつけられたシードが吠えるが、手を出せない相手な為、吠えるだけ。悔しくて唇を噛むと、力を入れすぎて血が出た。
「…………でしたら、これから理解していただきたいものですね。いつまでも無知のままでおられては、将来のハイランドを担われる方としては、恥ずかしい限りでしょうから」
 ふっと表情を緩ませ、顔を上げたジョウイが笑う。
「なっ!?」
「違いますか?」
 よもやそう切り返してくるとは思ってもみなかった青年が言葉を失い、、真正面からジョウイに見つめられて凍りつく。
「確かに、そうですな。ご自身の無知ぶりを改善されないようでは、いくら良い家柄の出であろうとも、ハイランドを任せることは出来かねますな」
 クルガンもシードの拘束を外して、ゆったりとした口調で青年を見下ろした。シードも、ざまーみろとばかりに勝ち誇った表情でふんぞり返っている。
「時間が惜しい。クルガン、シード、行くぞ」
 どちらが勝者かは、明らかだった。
「畜生!!」
 歩き出した3人の後方で、青年の悔しがる声が聞こえたが、もう誰も振り返ったり気にしたりしなかった。
 しかし、ジョウイに傷が全くなかったわけでは、なかった。
 後悔はしない。選んだ道を悔やむことはしない。信じてくれた人のためにも、歩みを止めることは許されない。それでも時々、胸の奥がちくりと痛むことがある。
 ──ちがう、平気だ。
 それは必ず、一人きりになった日、月のきれいな夜に訪れた。
 ──痛くない。こんなのは痛くない……。
 罪悪感など、あるはずがない。これは皆が望む未来のための戦いだ。これは正しい未来のための戦いだ。誤りなど……あってはならない。
 戦いは平行線のまま、ラストエデン軍のリーダーを殺すこともできないまま、いたずらに時だけが流れていく。よどみなく進んでいた計画の歯車が、少しずつずれていってはいないか? そう考えて、急ぎ首を振って否定する。
「僕は間違えてなんか、ない。こんな事でつぶれてなどやるものか。僕には……力があるのだから…………」
 だがその呟きはどこか寂しげだった。
 消せない想いが、まだ心のどこかでくすぶっている。棄てたはずの想いが、嵐の前触れのように静かに時を待ち、たたずんでいる。
 ジョウイは右手を胸の前に掲げ、その甲に浮かぶ紋章を見つめた。
 右手を抱き寄せ、彼は背を壁に預けて全身から力を抜く。
 まるで祈るように……窓から差し込む月の光を浴びながら、彼はそっと目を閉じ、紋章に爪を立てた。