Chain

 人混みで雑多な空間を通り抜ける。気温は日に日に寒さを増しており、吐く息も白く曇るのだけれどこれだけ人が居るとその体温だけで周囲の空気も幾らか暖められよう。
 買い物の人波でごった返す大通りの片隅で、ショーウィンドーの前に待ち惚けを喰った顔をして彼は頭上を仰いだ。
 ともすれば降雪に見舞われても可笑しく無さそうな雲行きである、だがこの都心部では例え雪が降ったとしても地上の舞い落ちてくる前に溶けてしまって雨になるはずだ。それほどに地上は暖かい。
 もっともそれは空高くに層を成す雪雲にとっての話であり、地上にいる彼らにはこの気温でさえ背筋が震えるほどの寒さだ。
 季節は十二月も半ばを過ぎた、あと幾数日を終えれば年締めの最大イベントクリスマスがあり、それが過ぎて一週間もしないうちに新年が訪れる。街中の人混みはそれに向けての買い物に精を出す人々の群れだ。
 そしてそれは彼も同じ。
 何処へ行ってしまったのだろう。
 ぽつんと、行き交う人の流れへと視線を戻した彼は寒そうに背筋を震わせ、焦げ茶色の手袋のはまった両手を握りしめた。ダッフルコートの襟を少しだけ立てる、首許を覆う手袋と同色のマフラーの端を弄りながらもう一度彼は上空を仰ぎ見た。
 向かい側の通りに聳えるテナントビルには、冬のセールを告げる垂れ幕が下がっている。色とりどりに装飾された窓ガラスの中には、やはり鮮やかな色使いでラッピングされた商品が目に痛い。
 溜息のように吐き出した息が白く煙る。
 目の前を通り過ぎていくのは、手を繋いで楽しそうなカップル。大きなプレゼントを抱えて歩く親子。恋人への贈り物を捜してか周囲を見回しながら歩く男性、女性たち。みなそれぞれ、どこか忙しなく、ソワソワして、それでいてとても楽しそうな顔をしている。
 そんな中で彼だけが浮かない顔をして佇んでいるのには理由がある。
 ゆっくりと彼は視線を、上空から己の足許へ落とした。ガラスに触れないように壁に軽く凭れ掛かっている彼の右足すぐ脇には、大きな紙袋がふたつも置かれていた。中には、綺麗にラッピングされた玩具が入っている。
 買い物は大方済んでいた、あとは帰るか何処かに立ち寄って喫茶店で一服するかのどちらかだったはずだ。
 クリスマスツリーを飾り付ける為の星や電球、窓を飾るためのスプレーに、クリスマスイブのお楽しみであるサンタクロースからのプレゼント。
男ふたりで子供用の玩具売り場を彷徨き、ああでもないこうでもないと悩みながら三人分も買い漁っていく光景は、売り場の店員からしたら些か奇異に映ったかもしれない。いや、実際奇妙な光景だったろう。
 それも両方とも、黒のコートに黒のスラックス。しかも片方に至っては左目を黒の眼帯で覆っていたわけだし。そしてもう自分は銀髪だ。
「まったく……」
 この寒い中、どうしてくれよう。今度は腕組みをしてなんとか暖を取りつつ彼は小さく呻いた。
 カモフラージュ用としてサングラスはかけているものの、それでも彼はかなり人目を引いて目立つ存在だった。行き交う人もじろじろと彼へ好奇の視線を投げつけてくるから、それが不快で仕方が無い。見つけたら一発くらいはそのへらへらしている顔に拳を叩き込んでやるべきだろう。
 その前に、無事合流しなくてはならないのだが。
 そう。彼は現在迷子状態だった。とは言っても、現在位置が分からないわけではない、帰り道もなんとか覚えている。迷子と言うよりもツレとはぐれてしまっただけだ、そして携帯電話は困ったことに向こうが城に忘れてきており、こちらから連絡の付けようがないのが現状。
 そして向こうからの連絡はない。
 ポケットの中の携帯電話を指でなぞり、彼はまたため息を零した。
「ばかもの」
 連絡のひとつくらいしてこい、と携帯にひとりごちて彼は姿勢を正した。ここでこうしていても仕方がない、この荷物をひとりで持って帰るのは苦労だがここまで持ってきたのも自分だからなんとか大丈夫だろう。
 考え直し、待つことを止めて彼は身を屈めて紙袋の、垂れ下がっている持ち手に指先を引っかけた。
 最初に持ち上げるときは、息を止めて腹に力を入れるくらいの事が必要だった。だが、持ちあがってしまえばそれほど辛いわけではない。むしろ片方の袋が中身の嵩が大きい所為で変に真ん中で膨らんでしまっており、その所為でふたつの袋を片手で一緒に持つとバランスが悪くなってしまう、ただそれだけだ。
 けれど両手でひとつずつ持つと、なんだか見てくれが格好悪いのでしたくない。変に拘ってしまうところが彼にはあって、それが自分への負担を増やしている事も実はちゃんと、彼は理解している。
 それでも、棄てられない事は誰にだってあるはずだ。
 人波の列は途切れない、どこに入れば通り過ぎていく人の邪魔にならずに合流できるだろう。
 色鮮やかなはずなのにモノトーンに映る景色と人混みをぼんやりと眺めながら、彼は吸った息を吐き出して意を決し、歩き出そうとした。
 その時だった。

 交差点の終着点と合流する通りだった。
 丁度青信号に切り替わった直後だったようで、向かい側の通りからこちらへと横断歩道を渡りきった人々は左右に分かれ、思い思いの目的地へと歩き出そうとしていたその合流点。
 たまたまだった、タイミングが悪かっただけなのだろうが別に狙ったつもりは全くない。けれど、そのタイミングに運悪く遭遇してしまった。
 並んで歩いていたのだ、ふたりで両手に、あるいは片手に大きな荷物を抱えて。
 買い物は殆ど終了していた、あとは小物を幾つか買い込んで帰りを電車に乗るかタクシーに乗るか、考えていた矢先だった。
 駅に行くにも、タクシーを拾うにもこの大通りを突っ切らなければならなくてそして当然ながら、大通りは人が多い。特に今の季節は買い物客で普段以上に賑わっている。 
 クリスマスが近い、そしてクリスマスが過ぎれば間もなく年が変わって正月がやってくる。通りに軒を連ねる商店は一斉にセールを開催し、イベントを狙った限定商品やプレゼントなどを求める人がそれに便乗する。
 ごった返す人波の中からたった独りを見つけだすのは苦労だ。それこそ、木を隠すなら森の中、という譬えを思い浮かべざるを得ない状況。
 彼は一緒に街へ繰り出した人とはぐれてしまっていた。連絡を取ろうにも自分は携帯電話を忘れて来るという失態を犯した上、公衆電話は最近めっきり姿を見かけなくなったし偶に見かけても、既に誰かが通話中で役に立たなかったりと、まるで意味がない。
 重い溜息が零れ、彼が前髪を鬱陶しそうに掻き上げた。その所為で髪に隠れるようにしてつけている黒の眼帯がやたらと目立ってしまう。
 黒のトレンチコートに、左目を覆う眼帯。薄く目立たなくしてあるとは言え青い肌にそれよりも尚濃い紺碧の髪。あきらかにその辺りを彷徨いている人種とは異なる存在に、彼と行き違う人々の三分の一ほどが振り返って確認してくるくらいだ。
「どこ行っちゃったんだろうねぇ……」
 心底困った顔をして呟き、彼は片手と胸で抱えていた大きな箱を持ち直した。よっ、と小さくかけ声をして胸の上で一度箱を弾ませ、その隙に奧へ手の平を差し込み底辺を支え直す。歩いている中で、少しずつバランスが傾いて箱が前へ前へ飛びだしていって仕舞うのだ。
 それでなくとも、整列されていない人の波はまるで障害物で、肩がぼかすかと当たってしまい歩きづらいことこの上ない。
 そして彼はもう二回くらい、同じ場所で行っては戻ってを繰り返していた。はぐれた連れと歩いた分をくわえたら、もう同じ光景を三度も目にしたことになる。いい加減飽きてきた。
「まったく」
 交差点で、横断歩道から流れ込んできた人混みの所為で既に歩道いっぱいに広がっていた混雑が、もっと大きくなった。お互いの肩と肩がぶつかって誰しもがいい顔をしなかった。
 その中で、あの銀色の髪を見失った。いや、向こうも恐らく自分を見失ったに違いない。
 はぐれてしまったのだ、その瞬間に。
 気が付いて後ろを振り返ったときにはもう、銀色の髪一筋も見当たらなかった。声を上げて名前を呼んでみようかとも思ったが、周囲を流れていく人々とは明らかに種族が異なると分かる名前を、そして己の正体を自分から暴露するような事をするわけにもいかなかった。
 連絡を取ろうにも、手段は封じられてしまっている。きっと何処かで待ってくれているはずだけれど、それほど辛抱強くない彼はきっとそのうち、諦めてひとりで帰ることを選びかねない。
 その前に見つけださないと。彼の方が持ち物の量は多い、重さは変わらないかも知れないが嵩張るものを持っているのは向こうだ。
 それに彼のことである、帰り道で電車を選んだ場合うっかり反対方向のホームで乗り込んでしまうことくらいやりかねない。そうしたら今以上に、彼を見つけだすことが困難になってしまう。
 どこかで開いている電話ボックスは無いものか。いっそ、どれでも良いから適当にショップにでも入って、恥を忍んで電話を借りるか。
 気温は下がり調子だ、吐く息は白い。空を見上げれば鉛色をしている厚い雲がどこまでも覆っていた、都市部で周囲が背の高いビルに囲まれている所為もあって視界は狭い。山間部ではもしかしたらもう、雪が降り始めているのかも知れない。
 上手くいけば今年はホワイトクリスマスかも知れないね、と彼の傍らを通り抜けていったカップルが楽しそうに交わしている会話の切れ端が耳に届いた。そうかもしれない、とぼんやりとしながら彼は歩き続ける。
 気象庁の予報は暖冬を宣言していたが、その期待を裏切るようにここ数日の冷え込みは激しい。北の地方では既に吹雪で、山間の里は雪で埋まっているというニュースを朝に見た記憶が新しい。
 だが都心でそこまで降雪が記録される日は恐らくこの先、天変地異紛いのことでも起きない限りあり得そうにない。僅か十数センチ積もるだけで、交通機関が麻痺するような現状では、一メートル以上の雪が積もったとき一体どれだけパニックになるのか。
 想像してみて滑稽で、薄く口元を歪めながら彼は交差点の、信号待ちで固まりになっている集団を避けようと爪先を左側へずらそうとした、その時。

 

 出しかけた足がその途端に止まって、中途半端に開いた唇が声もなく開閉してその名前を呟いていた。
 彼が歩き出そうと向いた方向の、ちょうど真正面に。
 交差点の信号待ちをしている集団の頭上の僅かに上を行く、そこそこに背の高い彼の丹朱の隻眼が、そこに。

 あ、と声もなく呟いて吐き出しかけていた息を慌てて彼は呑み込んだ。
 交差点の信号待ちの集団から向こう側、かなり見えづらい状態ではあるけれど黒の中でただひとつだけ際立つ艶やかな銀色の輝きがそこに。
 音に出さずに心の中で思い切りその名前を呼んで、危うく落としかけた胸に抱き込んだ荷物を支え直して彼は一瞬だけ止まってしまった足を速めた。

 信号が、赤から青に切り替わった。

 固まりになっていた人混みが散開する。ほんの一秒にも満たない刹那の時間だったけれど、確かに彼らの間にあれ程鬱陶しいくらいに存在した人だかりが、消え失せた。
「ユーリ、やっと見つけた」
「ばかもの、遅いぞ」
 すぐに人波は戻ってきて、彼らをよそに追いやってしまう。流されるように建物の壁に近付いてようやく居場所を決めて立ち止まる。
 結局ユーリは、最初にスマイルを待っていた場所に戻ってきた格好だ。そしてそこは、確か何度もスマイルが通り過ぎていた通りに沿ったビルの片隅だった。
 あれぇ? とスマイルは首を捻る。何故気づかなかったのか不思議なくらいで、ユーリだってまったく目の前を通り過ぎていく人を見てなかったわけではないのにお互い、相手の存在にまったく気づかなかった事になる。
 迂闊と言えばそれまでだ。しかし案外世の中はそう言うもので、ふたりとも相手を責めるような真似はしなかった。ただ、ユーリは持っていた紙袋をまた路上に置き、スマイルも抱えていた巨大な箱を下ろす。
 スマイルは軽く肩を回した、コキコキと骨の鳴る音が小さく響く。
「どうする?」
「寒いからもう帰る」
「同感」
 散々歩き回った所為でスマイルはそこそこ身体が熱を持っていたが、ユーリはずっと立ったままで居たので冷え切ってしまっていた。手袋を嵌めたその上から息を吐きかけた彼は、手の平を握って開きを繰り返したあと手持ち無沙汰に、スマイルの着ているコートのベルトにぶら下がっている小さなDリングを弄った。
「気になる?」
「そこそこに」
 ウェストを締めているベルトを彼は外した。邪魔にならないよう、バックルが付いている方はベルト通しに逆向きに通して固定してそして、Dリングがぶら下がっている側の先端をユーリに差し出した。
 なんだ、という顔をしてユーリはスマイルを見上げる。
「迷子札」
 にこりと微笑んでスマイルは幅のあるそのベルトをユーリに握らせた。そして置いておいた箱を持ち上げる前に、右腕に片方の紙袋の持ち手を通す。
「持つのに……」
「ぼくが持ちたい気分なの」
 いくら軽い方を選んだとは言え、すでに両手を塞ぐように箱を抱えているスマイルにこれ以上荷物を持たせるのはユーリにとって、忍びなかった。だが彼は譲ろうとせず笑顔を浮かべたまま、行くよ、と呟く。
 握らせたベルトは、次にユーリが迷わないための鎖だ。本当なら手を握るなりしたいところだが、生憎とスマイルは現在両手とも塞がっている状態だし、ユーリは人前でそんなことをするのは嫌だと突っぱねるだろう。
 とは言え、この状況もかなり恥ずかしいことに替わりはないのだけれど。妥協案だし、この人出である。視界の隅に収めても心の中に押し留める人は居ないと思いたい。
「どうやって帰る~?」
「荷物だし、タクシーを拾うか」
「賛成」
 横断歩道を渡って反対側車線へ。ガードレールから身を乗り出して走っているタクシーに目をやれば、意志に気づいてくれたタクシーが一台彼らの前に滑り込んできて停車した。後部座席のドアが音もなく開き、先に行けとスマイルが肩で合図してユーリは紙袋だけ、先に車内に放り込んだ。
 彼らを乗せたタクシーが、買い物客でごった返す街中を脱出するために走り出す。
 間もなく、曇天の空から真っ白い雪が音もなく降り始めた。