刹那、捕獲計画

 その日は国境に接近しつつあるハイランド軍をどうやって駆逐するか、についての軍議が行われていた。
 出席者はラストエデン軍リーダーのセレンは勿論のこと、軍師三人集も無論参加していたし、実際に戦闘に発展したときに兵を率いて戦う隊長クラスの面々も何人かその席に顔を出していた。
 午前中に始まった会議は思ったよりも長引き、彼らが解放されたのは見事に昼食の時間帯を一回りもオーバーした頃。流石の強者達も、空腹にだけは耐えかねると言わんばかりに腹の虫を豪快に鳴かせていた。
「では、解散」
 シュウの一言で静かだった議場がにわかに活気づき、ビクトールとフリックが他の数人を誘って食堂へ向かう。セレンも、手渡された書類数枚を綺麗に端を揃えて脇に抱え、円卓から立ち上がった。
「ふう」
 こういう会議にはどうも慣れなくて、いつも息が詰まる。意見を求められても大した事は答えられないし、シュウの言うことの半分も、実は理解できていないのだ。同意を求められると反射的に頷き返してしまうだけで。
「ボクって役に立っているのかなぁ」
 溜息混じりに呟いて議場を出た。丁度、シュウとアップルが出口脇で何か話をしていて、興味を引かれて立ち止まろうかと歩を緩めた時。
 向こうの方から土煙を上げて、猛スピードのフッチが駆け込んできた。
 ズザザザ!! という効果音を背景にして、フッチは床と摩擦熱を起こしながらセレンの前で停止する。何事かとシュウたちも振り返って怪訝な顔をした。
 ぜーぜーと息を切らせた彼は、しばらく膝を押さえながら肩で息をしなんとか呼吸を落ち着けさせようと努力していた。見かねてセレンが回復魔法をかけてやると、フッチは一度大きく息を吐き出すと額に流れる大粒の汗を拭った。そして。
「大変です、セレンさん!」
「何事だ!」
 しかしフッチが語りかけたはずのセレンではなく、横にいたシュウの方が先に反応を返していた。
 「大変」という言葉に、シュウの頭の中に咄嗟に浮かんだのは恐らく十中八九、国境に接近しているハイランド軍の動向だっただろう。現在の王国軍とラストエデン軍の勢力差はかなり縮まっている。つまり、どちらが勝ってもおかしくなく、どちらが負けても不思議ではない状態。そして今負ければ、折角勢いづいているラストエデン軍の快進撃にも支障が出てくるのは必死。
 だからシュウは、フッチの言葉に過剰なまでに反応したのだ。その後ろでは、アップルも緊張した面もちでフッチの次の語を待っている。
 だが、しかし。
 そんなことにフッチは全く気付いていなかった。
 シュウの反応に驚きはしたが、それ以後はまるで無視。初めからシュウなどいないような扱いで、セレンに向かって。
 ひどく切迫した顔つきのまま。
「…………鶏が……逃げました」
 恐ろしいまでに顔に影を入れたシリアス顔で。
「…………はぁ?」
 向こうでシュウがぽかん、とした顔になったが、まるで相手にしてもらえていない。アップルの表情もほぼ、シュウと同様だが。
「鶏、が?」
 セレンも一瞬呆気にとられてしまい、彼が何を言ったのかすぐには理解できなかったのだけれど、やや置いて、
「………………それ、一大事!!」
 城中に響かんばかりの大声で叫んだのだった。
「大変なんです、もう大騒ぎで。早く捕まえないと。森に逃げ込まれちゃってるからもう見つけようがないんですよ!」
 両手を大きく振り広げてセレンにも負けないくらいの大声を張り上げているフッチ。足をじたばたさせて落ち着きがない。
「今サスケ達が手伝ってくれてるんですけど、全然追いつかないんですよ。捕まえようとしても鶏に暴れられて、怪我人まで出てるんです。手伝って下さい!」
 すでに数人、医務室のベッド送りにされた人がいるらしい。ラストエデン軍の裏庭で飼われている鶏その他、家畜類は軍内の有望な逸材に似てどれもこれも血気盛んでいらっしゃる様子。
「大変だ、大変! 早く捕まえないと。このままじゃ明日の目玉焼きが食べられなくなっちゃう!」
「…………」
 問題点はそこではないのでは、とシュウよりも先に我に返っていたアップルは心の中で密やかに突っ込みを入れていた。
 つい先ほどまで、デュナン地方の命運を分ける戦いになるやもしれない争いについて語り合っていたとは思えない、緊張感のなさである。しかもそのリーダーであるセレンは、軍議をしている最中よりも鶏が逃げた、というこの状況を知らされた今の方がずっと生き生きとしているのはどういうわけであろう。
「……………………」
 この人達、何か違う、とアップルは思わずにはいられない。しかも。
「シュウ!」
 それまで、まるで蚊帳の外に放り出されていたシュウの名前をセレンが大声で呼ぶ。その声に我を取り戻した彼は、少々乱れていた髪を梳きながら落ち着いたふりを見せて「なんでしょう?」と尋ね返す。その姿は立派な大人の様相を示していたのだが。
「すぐにみんなを集めて、鶏捕獲部隊を編成して! なるべく素早い人を揃えてね、任せたから!」
 セレンのその捨て台詞とも言える一言に、再び氷河期を実体験したかの如く彼はその場で凍り付いたのだった。
 セレンはフッチに案内されてさっさとその場所から走り去ってしまった後。今だ動くことも出来ず呆然としているシュウの肩を、アップルは諦めきった溜息と共に首を振りながら力無く叩いたのだった。

 裏庭へ向かう最中に受けた説明によると、鶏が逃げた原因は豚同士による喧嘩に驚いたことにあるらしい。
「ユズちゃんが鶏を小屋から出して餌をあげようとしていたときに、ポークとヒレが喧嘩を始めたらしくいんです。それにびっくりしちゃったみたいで、鶏が一斉に垣根を越えて飛び出して行っちゃったそうです」
 裏庭を囲む垣根はそれほど低くはないのだが、なにせパワフルで知られる(?)ラストエデン軍の鶏は、垣根にぶつかって気絶をするほどヤワではなかった。皆、囲いをひとっ飛びに飛び越えて行ってしまったそうだ。
「それは……すごいね。見てみたかったかも」
 さぞかし壮絶な光景だったに違いない。妙なところで感心しているセレンに呆れ顔でフッチは首を振り、それどころではないと愚痴をこぼす。
「今の言葉、忘れないで下さいね。後悔しますから」
 ぽそりと呟かれた言葉は果たしてセレンに届いたかどうか。
「あ、フッチ君!」
 裏庭に出ると、一匹の鶏を抱き抱えたユズが明るいながらもやや疲れた声で叫んだ。フッチの後方にセレンの姿も見つけ、一瞬目を丸くしたもののすぐに嬉しそうに顔をほころばせる。
「セレンさん、手伝ってくれるんですか?」
 彼女の側に寄ると、ユズの腕やあちこちに擦り傷が出来ているのが分かった。赤い筋からうっすらと血が滲んでいる。痛そうだ。
「鶏……逃げたんだってね」
 腕の中で暴れやまない鶏を見つめ、セレンがこぼす。絶句しかけである。
 後方の囲いの中には牛が数頭、のどかに草を食べているが鶏小屋はカラ。牛の間で豚がやはり暢気にしている。鶏が逃げた事なんて全く感じさせない光景だ。
 が。
「えっとね、全部で十五匹いたんだけどこの子以外全部逃げられちゃったの。早く見つけないと、お城からどんどん離れて行っちゃうから」
 頑張ってね、と無邪気にユズが微笑んだ。そして唯一捕まえることに成功していた鶏の首根っこを掴んで、鶏小屋へ放り込む。その動きの無駄のなさにセレンもフッチも言葉が出ない。
「……ぉおーい!」
 直後、遠くから聞き慣れた声が響いてふたり揃って振り返ると、駆けてくるサスケの姿があった。腕には必死に逃げ出そうと暴れている雌鳥がしっかりと抱きしめられている。
「サスケ!」
「おう!」
 フッチが大声で彼の名前を呼ぶと、癖なのか、サスケは片手を上げて返事をする。だがその為に鶏を拘束していた力も必然的に弱まってしまった。
 当然、鶏は逃げ出す。しかも。
「はぅ!」
 サスケの腕から飛び出す際に、しっかりと彼の顎を下から蹴り上げることを忘れずに。
「あぁ!!」
 セレンとフッチ、そしてユズの悲鳴が重なり合い、その声を聞きながらサスケは背中から地面に倒れ込んだ。トドメとばかりに、鶏に顔面を踏みつけられてしまう。はっきり言って、情けなさ過ぎ。
「サスケ……」
 掛ける言葉も見あたらず、フッチは痛む頭を抑えて首を弱々しく振って、セレンは乾いた笑みをこぼすのみ。ユズだけが「情けないの」と呟いていた。
「ちっくしょー! 覚えてやがれ!!」
 むくっと起きあがったサスケが握り拳を天に突き上げて怒鳴るが、彼の顔にはくっきりと鶏に踏まれた跡が残っており、真正面から見てしまったセレンは堪えられなくて噴き出した。
「ぷっ!」
 フッチも腹を押さえて懸命に笑わないようにしているのだが、肩が小刻みに震えておりあまり意味はなかった。
「セレンさん、フッチ君」
 そこへ、天の助けか。
「あはは、おっかしいの……って、キニスンさん」
 涙目になって笑っていたセレンが気づき、歩み寄ってくるキニスンを見上げる。彼の傍らにはいつものようにシロが控えていて、セレンと目が合うと挨拶代わりに一声吠えた。
「あの、森で見つけたんで捕まえてきたんですけれど……」
 森が仕事場のキニスンは、狩りの最中で走り疲れてへばっていた鶏を何匹か見つけて捕獲してきてくれたのだ。通常獲物を入れるための袋には、生きたまま(ただしかなり体力を消耗してぐったりいるが)の鶏が全部で三匹、詰め込まれていた。入りきらなかった鶏一匹がキニスンの腕に捕まれていたので、これで小屋に戻されたのは合計五匹。キニスン、お手柄である。
「いえ、そんな……。危うくシロが攻撃するところでしたから」
 照れながら言うことではないと思うのだが、とフッチが胸の中で突っ込んだのはこの際気にしないと言うことで。
「ちくしょー! 俺だって!!」
「あ、まだ居たんだ」
 セレンに冷たい一言を喰らったのは、未だ顔に足跡を残しているサスケだった。どうやらキニスンの活躍(大いに違う)を見て対抗意識を燃やしたらしい。やる気だけは十分なのだが、どうも彼の場合、その全てが空回りしているような気がしてならない。
 そしてこの頃になってようやく。本当にシュウが編成したのかどうかはとっても疑問な、鶏捕獲部隊が裏庭に到着した。だがどう見ても、暇を持て余している連中を適当にかき集めただけの体力馬鹿ばかりである。
「えっと、リキマルさんにガンテツさんにアマダさんに、スタリオンさん……で、なんでからくり丸までいるのかなぁ」
 よく分からない人選であることだけは、間違いなさそうだ。
「まあいいや。みんな、分かってると思うけど鶏は首絞めちゃダメだからね! 明日の卵焼きのためにも、無事鶏を捕獲してきてちょうだい!!」
「おおおーーー!!!!」
 実に不思議な光景である。ハイランドのスパイでもがこの光景を見たら、ラストエデン軍は戦争やる気なし、と報告すること間違いなしだろう。
「鳥もも肉のために!」
「鶏カラのために!」
「手羽先のために!」
 皆それぞれ、食べ物の事ばかりを気にして各自森に散っていく。本当にこれで良いのか? ラストエデン軍。ハイランド、敵にする相手を間違っていやしないか?
「僕たちも行きましょう」
 見ているだけで呆気に取られる鶏捕獲部隊が去って、静かになった裏庭でフッチが冷や汗を拭き拭き言った。サスケは捕獲部隊の波に揉まれて一緒に既にどこかへ行った後。頑張って今度こそちゃんと、小屋にまで運び込めると良いのだが。
「サスケには期待しないでおきましょう」
「そだね」
 仲間達の言葉は冷たかった。

 
 固まって探しても効率が悪い、ということでセレンはフッチやキニスンと早々に分かれた。
 レイクウィンドゥ城の周囲は森に囲まれている。自然豊かで天然の要塞も兼ねているのだが、今はそれが逆に恨めしく思えた。こんな鬱蒼と茂る日の光もろくに地上に届かない森の中で、たった十匹そこらの鶏を探し出すのなんて無理のように思える。いっそ大声で鳴いてくれでもしたら、見つけやすいのだろうが。
 そう簡単にいかないのが、動物というものか。
「どうやって見つけろっていうんだろう」
 最初はすぐに見つかる、とタカを括っていたのだがこう無駄に歩き回るばかりでは疲れる一方で、ちっとも楽しくない。せめて横に話し相手でもいればな、とさえ思う。
「もしかしたら、もうみんな見つけ終わったとか」
 ぽん、と手を打って安易な考えを想像するが、自分がこんなに苦労しているのに他のみんなが簡単に発見・捕獲出来ているとは考えづらい。キニスンのように、シロがいてくれたら話も変わるのだが。
「ボクも犬飼おうかなぁ」
 だからそういう問題ではないのでは?
 捕獲部隊のメンバーが探しに行ったのとは別の方向を歩いているらしく、森の中をさまよっている間も誰ひとりとして、セレンとすれ違うことは無かった。それが余計に寂しさを募らせる。
 もうじき戦争が始まる。今までにないくらいに大きな戦争になるだろう。そうなったら、今日のようにこんな風に、皆と騒いだりはしゃいだりすることも出来なくなる。
「上手くいかないものだよね」
 ぽつりと呟いて空を見上げたら。
 木漏れ日の隙間に黒い影を見つけた。
 木の上、太い枝の根本に。
「おーっし! 発見!!」
 その直後にサスケの大声が落ちてきて、セレンは目を丸くして硬直する。
 影が次第に大きくなって、枝を揺らし葉を散らして地上に落ちてきた。
「さ、サスケ!?」
「ん? あ、セレンじゃん、どうかしたのか?」
 どうかした? では無いと思うのだが。もの凄く高い場所から飛び降りてきたばかりの彼は、膝を深く曲げて衝撃をどうやったのかは知らないが上手く逃したらしく、しゃがんだまま振り返ってセレンを見上げたその表情はちっとも痛そうではない。
「そういえばサスケって忍者だもんね」
 これくらい出来て当たり前か、とようやく思い出した事実に感心してセレンは拍手を送る。だからそういう問題ではないのだが。
「っと、いかんいかん。折角発見したのに逃げられたら元も子もないや。じゃなっ!」
 すちゃっ、と片手を上げてセレンに挨拶を送り、サスケは慣れた足取りで森の中を駆けていった。あっと言う間に見えなくなる。
「……サスケ……」
 戦闘の時もそれくらいやる気を出して欲しいな、とセレンは思ったとか、思わなかったとか。

 日が暮れようとしている。方々を探し回ったものの、結局セレンは一匹も鶏を発見することは出来なかった。
 いい加減、残りの鶏も全部捕獲されているだろうな、と諦めて城に帰る道をゆっくりとした足取りで進んでいたとき。
 そう遠くない場所から鶏の鳴き声が聞こえた。
「……?」
 首を傾げ、とりあえずその方向に足を向け直してみる。しばらく木立の間を抜けて何度か曲がり、歩いていくと小さな森の切れ目に出た。
 そこはささやかな森に住む動物達のための泉。周辺には薄紅と白の色鮮やかな花が咲き乱れ、緑の草が揺れている。泉は静かで、波もない。その片隅で一匹の鶏が羽根を休めていた。
「あれ……?」
 だがそれ以上にセレンを驚かせたのは。
 泉の側に残っていた切り株のベンチに腰を下ろし、瞑想するように静かに目を閉じているルックの姿だった。
 そういえば今朝から見かけなかったな、と今更ながらに思い出して納得する。ルックは騒がしいのが嫌いだったし、軍議とかにも興味が無くて殆ど参加しない。けれど城にいたら有無を言わさず出席させられるから、朝のうちからこっそりと城を抜け出してこんな場所でのんびりしていた、というわけか。
 試しに抜き足差し足でルックに近づいてみると、眠っているわけではないだろうに彼は目を開ける様子がない。鶏も、何事かと少し首を伸ばしてセレンの方を伺い見たが、セレンが鶏に危害を加えるつもりがないことを悟ったのか、すぐにまた首を沈めて眠りの体勢に入った。
 そっとルックの前に膝をついて彼を見上げる。このときになってようやく、彼は静かに瞼を持ち上げてセレンを見た。
「何をやっているんだい……?」
「あ、起きてたんだ」
 そうだとは思ってたんだけど、と呟いてセレンは立ち上がる。座ったままのルックが訝しげに彼を見上げたものの、すぐにいつもの無表情に戻って首を振った。
「そいつに用があるんじゃないのかい?」
 髪を掻き上げて呟いたルックが細い指で指し示した先には、すっかり眠りモードに突入している鶏がいる。
「知ってたの?」
「城の方が騒がしかったし、それに、野生でない家畜がこんなところにいるなんて普通あり得ないだろう? だったら、檻から逃げ出して来たって考えるのが妥当じゃないのかな」
 そうなのだろうか、そうなのかもしれない。でも自分だったら絶対にそこまで考えが及ばないに違いない。めまぐるしく思考を回転させてセレンは少しクラクラしてきてしまう。あまり使うことのない頭を変に使おうとするから、無理が出たのだ。
「なにやってるんだか」
 ぽそりとルックが呟き、セレンのおでこを指で弾く。不意をつかれたセレンは一歩後ろに下がって叩かれた箇所を両手で押さえ込むと、じろりとルックをにらみ返した。だがいまいち迫力に欠けている。こんな人間が本当に天魁星の主であるのか疑ってしまいたくなるほどに。
「何を、そんなに悩む必要がある?」
 突然。脈絡のない話に事が飛んでセレンは息を詰まらせた。
「あ……やっぱり、分かっちゃう?」
「君の言動は分かりやすくてね」
 やや俯き加減に呟いたセレンの言葉に、嘆息混じりのルックの声が重なる。
 風が流れ、木立が揺れた。長く伸びた影が水面に落ち、さざ波だった表面を撫でるようにすり抜けていく。
 何もかもが穏やかすぎて、今の逼迫した城の空気を忘れてしまいそうになる。いや、実際に忘れている。これは逃避だと、自分でもよく分かっているのに。セレンは苦笑して唇を噛んだ。
「…………」
 ルックは何も言わない。言わないでいてくれる。その優しさが時に痛くて仕方がない。
「どうせまた、戦争が終わったらみんなバラバラになるとか、今は戦時中だからこうやっているのは間違いだとか、考えているんだろう」
 ぎくり、と肩が震える。図星を指摘されたことよりも、自分の情けない考えが他人の目に晒されていたことの方が痛かった。
「だって……本当の事じゃないか」
「まあ、ね。そうだろうけれど」
 ルックは否定しない。決めつけもしなかったが。
「別に良いんじゃない? 一日中緊張しっぱなしでぎすぎすした空気の中にいるよりも、さ。君は君らしくいればいいんだよ。少なくとも……城にいる連中は、セスにはそういう事を期待していないだろうからね」
 セレンは旗であればいい。決して折れることのない旗であればいい。それ以上を強要して、倒れられては元も子もない。
「それに」
 ふと後方を振り返ってルックが呟く。視線の先に何かを見つけ、目を細めた。
 セレンも釣られてそちらを見やる。薄暗くなった森の奥から、手を振りながら数人の少年が駆け寄ってきていた。
「おおーい!」
 先頭を行くのは、いつも元気印のサスケで、そのすぐ後ろにはフッチが続いている。キニスンとシロの姿もあった。
「彼らは少なからず、君といることを楽しんでいると思うよ」
 その中にルックが入っているのかどうかは教えてもらえなかったけれど。
「やぁっと見つけた。帰ってこないから心配したんだぞ……っと、なんだルック、いたんだ」
「いたよ、ずっとね」
 サスケのわざとらしい一言に、こめかみに怒りマークを浮かばせてルックが答える。後ろでセレンとフッチが仲良くその光景を眺めて笑う。キニスンがちょっと困った顔で喧嘩の仲裁に入るタイミングを計っている。
 いつもの、変わらない仲間達の姿。
 嬉しくてセレンは泣きそうになった。
「あ……こいつ、最後の一匹じゃ!」
 突如サスケが大声を張り上げて皆の視線が一斉に彼の指先に注がれる。それにびくっ! と反応したのが、さっきまで暢気に夕寝を楽しんでいた鶏が一匹。
「あ、最後だったんだ」
 ということは、他の九羽は全て無事捕獲が完了しているということか。いやぁ、みなさんお疲れさま。
「よーっし。ここは俺様の華麗な技でいっちょひっ捕まえて見せましょう!」
 意味もなく腕まくりのポーズをしてサスケが舌なめずりをすると、驚いて首を真っ直ぐに伸ばしている鶏に歩み寄る。そしてそろり、と両腕を伸ばして鶏を捕まえようとしたその寸前!

 こけこっこーーーーー!!!!

 どげしっ!!!

 見事に鶏のアッパーカットがサスケの腹部を直撃した。
「う゛っ!」
 予想していなかった反撃を喰らってサスケがもんどり打って倒れそうになったが、人間としてのプライドが勝ったのか、かろうじて踏みとどまる。しかし。

 こけーこっこっこー!!!!

 鶏の方が一段上手だった。
 サスケの臑に容赦なく嘴で攻撃を加え、これには流石に耐えきれなかったサスケは悲鳴を上げて草の上に倒れた。
「うわっ、痛そう……」
 いや、実際もの凄く痛いんです。草の上で足を抱えてごろんごろん転がっているサスケは、声にならない悲鳴をかみ殺しつつ叫んでいた。
「こら、逃げるな!」
 さっきまで大人しかったのは体力補給のためだったのか。とにかく鶏はフッチの腕をすり抜けて、シロの鼻先に蹴りを入れ、キニスンの腕に噛みつき、セレンの顔を引っ掻いて逃げ回る逃げ回る。
「せいぜい頑張ってね」
 ただひとり、ルックだけが場外で見学者に回っているけれど。
「そっち行った!」
「挟み込め!!」
「痛っ!」
「やりやがったなこのぉーーー!!!」
 夕方。
 日暮れ時、夕食時でいい加減城に帰らないと怒られる時間帯。
 けれどそんなことはそっちのけで彼らは鶏一匹に悪戦苦闘している。理由は、きっと楽しいから。
 結局鶏が疲れるのを待って鬼ごっこは終わり。その頃にはもう、ルック以外はみんなへとへとで、傷だらけで立つのもやっとの状態だった。
 けれど自然と表情は綻んでいて、笑っていた。
「よーっし! 帰って飯食って寝るぞ!」
「お風呂にも入りたいですけれど……この傷で入ったら滲みるでしょうね」
「じゃあ、先にホウアン先生のところだ」
「その前に鶏小屋だろう?」
「あ、そっか」
 セレンの腕に抱かれた鶏が小さく首を回して彼を見上げた。
「大丈夫だよ、まだ食べたりしないから」
「そうそう、もっと太らせてからじゃないとな」
 こけっ。
 鶏が鳴く。今のふたりの会話を理解したのか、さっきまでぐったりしていたはずの鶏が途端にセレンから逃げようともがき始めた。
「え? ちょ、ちょっと待って……わぁ!」
 驚いたセレンの拘束が緩んだ瞬間を逃さず、鶏が飛べない羽根を必死にばたつかせて空中に舞った。
「おいこらぁ!」
 サスケが咄嗟に腕を伸ばすが、間に合わず。
 鶏は一目散に暗い森の中へと消えていってしまった。
「どうするんですか!」
「今から探すなんて無理ですよ」
 フッチとキニスンの声がほぼ同時に発せられる。横で、ルックが呆れ顔のまま肩をすくめていた。
「そんなこと言われても……」
「くっそー。こうなったら絶対にとっつかまえて唐揚げにしてやる!」
 泣きそうなセレンと握り拳のサスケ。
 どうやら、彼らはまだしばらく、レイクウィンドゥ城に帰れそうにはないようだ。