花見日和 刹那日和

 日溜まりがとても心地よい。
 風も、柔らかくなったような気がする。そう言ったら、真なる風の紋章を持つルックが「そうかい?」といつものように冷たい視線を送ってくれたが。
 でも、確かに風が暖かく優しくなったのだ。
 その季節の名は、春。
 ぽかぽか陽気に誘われて城のバルコニーから緑一面の大地を眺めていたセレンは、その一角に緑ではなく淡いピンクで染められた場所があることに気付いた。
「ねえ、ルック。あそこ……」
 手すりから身を乗り出してセレンが脇に立っている人物に尋ねると、ルックは僅かに目を細めてセレンが今指さしている方向を見やり、
「ああ、桜が咲いているんだよ」
 そういえばもうそんな季節か、とひとりごちているルックを眺め、それからまた、桜並木を見下ろしたセレンははて、と首を傾げる。視力だけは馬鹿みたいによろしいセレンの目に、ごく小さくだったが珍しい人物が立っているのが映ったからだ。
「あの人……」
 だが一瞬吹いた風に気を取られた隙にその人はいなくなってしまって、セレンは不思議そうに手すりに顎をついた。もしかしたら見間違いだろうか、とも思ったが特徴のある格好をしているので、セレンはまず間違えないハズだ。
「セレンーーー!!!!」
 と、そこへけたたましい足音を立てながら、聞き慣れた少年の声がセレンの部屋に飛び込んできた。
「サスケ、どうしたの?」
 黒装束で身を固めた少年――サスケが息を切らして、だが表情は実に楽しそうにセレンの前までやってくる。そこにルックもいることに気付くと、ちょうど良かったと嬉しそうに笑った。
「嫌な予感……」
 ぽつりとルックが呟いたが、逃げ出さないように先にサスケはセレンとルック、ふたりの二の腕を取って間に割り込む。
「花見、しようぜ?」
 つい先程、ふたりが眺めていた桜が咲き誇る一体を指で示し、サスケは言った。
「折角さー、天気いいんだし、桜も綺麗だし、暇だし。あ、軍師殿は軍議だって言ってたけど、どうせお前等は暇なんだろ? 他の連中も誘ってさ、騒ごうぜ、な?」
 結局は自分が騒ぐ動機が欲しいだけか、とルックは心の中で嘆息したが、セレンはサスケの提案にすぐに乗った。彼も、みんなで騒ぐのは大好きだから。
「いいね、楽しそう!」
 以前クリスマスでひどい目に遭っていることをすっかり忘れ、セレンが両手を叩く。
「だろ?」
 賛同をもらったサスケが実に嬉しそうに笑う。反対側のルックがうんざりした顔をしていることになんて、これっぽっちも気付いていない。いや、気付いているが敢えて無視。
「じゃあ、メンバーを集めて、お料理の用意もして、あと……」
「チッチッチ。俺様をなめてもらっちゃあ、困るね」
 セレンが花見に必要なものを指折り数えて列挙していこうとするのを、舌打ちと指振りでキザっぽく止めさせ、サスケはにんまりとしか表現の仕様のない笑顔を作った。
「まさか、サスケ……」
「その、まさかです。後はお前の許可さえもらえたら、すぐに始められるように準備は完了しているのさ!」
 面子も揃ってるし、料理も朝からハイ・ヨーに頼んで作ってもらってるから、そろそろ出来上がってると思う。桜の下に敷くシートも、ついでに酒や飲物類も集め終わっている。「早い……」
「計画的犯行か」
 呆気にとられているセレンと、呆れ返っているルックに、サスケは唇を尖らせて不満そうな顔になった。
「なんだよ。今から準備してたら、日が暮れてから始めることになるだろ?」
「まあ、確かに……」
 だが、もしセレンが乗り気にならなかったらどうするつもりだったのだろう。
「え? あー……考えてなかった。まあ、いいじゃんかよ。こうしてリーダーの了解も得たことだし。シュウ殿も、セレンが良いって言ったら、って事で許してくれたし」
 そこまで根回しが済んでいたのかとセレンは乾いた笑いを浮かべた。
 確かに今は戦争とはかけ離れた日常が過ぎていて、みんな刺激の少ない日々に退屈していた頃だから、ストレス発散も兼ねて騒ぐのは悪いことでは無かろうが。一部、この城に詰めている人間には限度というものを知らない連中がいたりする。
「またあの大騒ぎが始まるのか……」
 年末のクリスマス、後かたづけがどれほど大変だったのかを、皆は綺麗さっぱり忘れ去っているらしい。シュウも、もう少し考えてから許可したら良かったのに。
 重いため息をついてルックが遠くを見る。だが逃げようにもサスケに身柄を確保されたままではそうも行かず、結局また付き合わされるのかと諦めるしかない。
「……それで、メンバーは?」
「えーっとな……俺とお前等と、フッチ、キニスンだろ? フリックとビクトールにマイクロトフとかシーナとか……」
 なんだそれは、と言いたくなるようなメンバーが次々とサスケの口からこぼれ落ち、どういう基準で声をかけたのか、と疑ってしまいそうになる。
「一応そこらで暇そうにしてた連中に声かけて回ったんだけど……回った順番が悪かったのかもな」
 道場からレストランへ向かう道すがらで出会った人に話し掛けて行ったのだとサスケが説明すると、納得とセレンも頷いた。
「珍しいね、マイクロトフまで」
「なんか、カミューと一緒に女連中の花見に誘われたらしいんだけど」
 そっちに断り入れる理由でこちらの誘いに乗っただけらしい。シーナは、女性達に誘われなかった、と愚痴ていた。
 で、そのカミューは「レディの誘いを断ることは、騎士として許すまじ事ですから」と、よく分からない理屈を述べたらしい。彼らしいと言えば、彼らしいが……それでいいのか? 元・マチルダ騎士団赤騎士団長殿は……。
「あ、じゃあさ」
 突然、ぽん、と手を打ってセレンがサスケの顔をのぞき込む。
「あの人も誘って良いかな?」
「へ? 誰? 別にメンバーが増えるのはいいけど……」
「やった。じゃあさ、ボク探してくるから先に行って始めててよ」
 サスケからするりと離れてセレンがぴょん、と飛び跳ねた。
「ルックも良く知ってる人!」
「…………」
「誰?」
「行ってくるねー」
 嬉しそうに手を振ってセレンが部屋を走り出ていった。残されたサスケは、セレンの探し人が誰であるかをルックに求めたが、ルックは眉間に皺を寄せただけで何も喋ろうとしなかった。
「ま、いいか。どうせすぐ分かることだし。んじゃ、ルック、手伝え」
「どうして僕が……」
「いいじゃん、俺達の保護者がわりなんだろ?」
「…………まだそれを言うのか」
 いい加減、弱みになりつつあるその台詞に顔を思いっきりしかめながらも、ルックはサスケに導かれるままにセレンの部屋を後にした。

 桜の木は全部で十本ほど、間隔も特に定まることなく見事な花を咲かせていた。太い幹からのびる枝から、無数とも言える花が所狭しと咲き誇っている。風が吹けば花で重い枝が揺れ、薄桃色の花びらが空に舞い散った。
「風流だなぁ」
「お前からそんな台詞が飛び出すとはな」
 透明の液体をなみなみと注いだグラスを片手に、散り行く桜を見上げていたビクトールの一言に、すかさず横からフリックの突っ込みが入る。
「なんでい、俺だってたまには感傷に浸ることがあるんだぜ?」
「たまには、な。だが似合わない」
 ぐい、と手にしているグラスの酒を仰ぎ、フリックが笑う。周囲からも同じ様な笑い声が一斉に上がって、ビクトールはばつが悪そうにグラスの酒を一気に飲み干した。
 空になったグラスに、ひらりと一枚、桜の花びらが落ちてきた。その上から酒を新しくつぎ足すと、花びらは液体に押されてくるくる回転しながら水面間で上がってきた。
 サスケの呼びかけに応えて集まった連中は、主幹であるはずのそのサスケを待たずしてすでにシートを地面に敷き、酒飲み料理を広げていた。
「あー! お前等、俺達の分もちゃんと残してあるだろうな!?」
 小高い丘の上にある桜並木に駆け上がってきたサスケは、その気の早い宴会を見るなり怒鳴り声をあげた。
「おー、遅かったな。先に始めさせてもらってるぜ?」
 少しも悪びれた様子無く、ビクトールがグラスを高くに掲げた。衝撃で酒があふれ返り、彼の手を濡らしたがそれすらも勿体ないと彼は自分の手首まで舌で舐めていた。
「みっともない……」
 少し離れた場所で、静かにワインを飲んでいたマイクロトフが顔をしかめて呟く。だが後ろから近づいてきたシーナにぼん、と背中を叩かれて、
「いーじゃねーか、無礼講で行こうぜ?」
 未成年のくせにすっかり出来上がり始めているシーナに、ビクトールも「いいぞ、もっと言ってやれ!」と拍子を送る。
「なんてこった」
 その光景を眺め、サスケは肩をすくめた。
「これだから大人ってサ……」
「サスケー、こっちこっち」
 呆れ声で呟いた彼を、別の方向から呼ぶ声がした。振り返ると、大人連中とは明らかに別格の一団が、一際立派な花を付けた木の下で陣取っていた。
「フッチー、俺の食い物は!?」
「最初の一言が、それかい……」
 駆け足でフッチとキニスンが用意してくれていたシートに寄ると、サスケは開口一番そう言って皆を呆れ返させた。
「ちゃんと残ってあるよ、ほら」
 キニスンがお重を広げて中にびっしりと詰め込まれた料理の数々を見せてやり、サスケを感動させる。以前の散歩も兼ねたピクニックの時とは比べようもない量と質が、並んでいる。やはり早めに注文しておいて良かったと、サスケは目を輝かせてハイ・ヨーに感謝した。
「あれ? セレンさんは?」
 しかしサスケがつれてきたのがルックだけなのを訝しみ、フッチが尋ねると、
「なんか、誰か連れて来るって言ってた」
「誰かって、誰……?」
「知らない」
 教えてもらえなかったと答え、サスケは靴を脱いでシートに上がった。フッチが場所をずらして席を譲り、ルックもキニスンの横に座る。
「いっただっきまーっす!」
 箸を持って行儀良く、そして元気良く食前の挨拶を口にしてサスケは早速重箱をつつきだした。キニスンが飲物としてジュースを配り、酒じゃないのか、とサスケに文句を言われた。
「僕達は未成年だろ?」
 ぽかり、と突っ込みと一緒にフッチに軽く頭を殴られ、ぶーと頬を膨らませたサスケだったが、料理を口に運び込むとすぐにそんなことも忘れる。
「御神酒一杯で酔っぱらうくせに……」
 甘いジュースに顔をしかめつつ、ルックがぼそりとこぼす。
「ああ、お正月ですね」
 そういえばそんなこともありましたね、と軽く返し、キニスンが笑う。小皿にローストビーフを取って、横で寝そべっていたシロの前に置いてやった。
 風が吹く。見事な桜が枝ごと揺れて彼らの上に花びらが舞い踊った。
「セス……?」
 その桜嵐の向こうで、赤い服のセレンが誰かの手を引いて歩いてくるのが見えてルックはコップをおいた。立ち上がると、更によく見える。
 セレンと同じ様な色の服を着た、緑色のバンダナをした青年――なるほど、確かにルックも良く知っている人物がセレンと一緒に歩いていた。
「ラス」
 その名を呟くと、座って料理を食べていたフッチも「え?」という顔をして振り返った。
「本当だ、ラスティスさん」
 意外すぎる人物の登場に、彼らだけでなくビクトール達大人組も、騒ぎ出していた。
「おいおい、ラスティス、どうしたい」
 顔を赤らめたビクトールが、呂律の回らない口でふたりの若き英雄を迎える。フリックも驚いた顔をしているが、シーナは大して興味がないのか、ビクトールの手から解放された酒瓶をすかさずかっさらって舌なめずりをした。
「お前も飲むかー?」
 すでに何杯目か分からない酒の入ったグラスを頭上に掲げ、ビクトールが大声でラスティスを誘う。だが、その後ろから距離を置いてやって来た金髪の青年にじろりと睨まれて笑顔を引きつらせた。
「なんでい、お前も一緒かよ」
「はい、ビクトールさん。相変わらず酒におぼれる日々をお過ごしのようで。ちっともかわっていなくて安心しましたよ」
 にこりと笑いながら、顔に似合わぬ辛辣な台詞を吐き出したのは、他でもないグレミオその人。手にはそれほど大きくはないものの、料理が入っているであろう弁当箱が握られていた。
「どうしてラスティスさんが?」
 フッチが近づいてきたラスティスに問いかけると、彼はちょっと困った顔になって、
「シーナにね、もうじき桜がきれいに咲くだろうから見に来ないかって誘われてね。グレックミンスターの方では、あまり桜は見かけないから」
「そうでしたか」
「まったくないわけではないんだけどね。咲く時期もここよりもっと遅いんだ」
 トラン共和国の首都は、ここノースウィンドゥよりも南にあるくせに何故かここよりも気温が低い。雪も降る。桜に適した気候とは、お世辞でも言えない。
「シーナに感謝しなくちゃね」
 微笑んでセレンもシートに上がった。続いてラスティスも若者組に混じる。だがグレミオは、主人のかわりというわけではなかろうが、ビクトールやフリックのしつこい勧誘を断りきれず大人組にちゃっかり入り込んでいた。
「酔いつぶれなければいいけど……」
 仕方がないな、と呟くラスティスの横で、ルックが、
「無理だろう。あのメンバーに捕まったんだから」
「それも……そうだね」
 的確な突っ込みにラスティスも苦笑を隠せない。積もる話もあるだろう、かつて共に赤月帝国の圧制を打ち破った仲間として。それにグレミオも、そう強いというわけでもないのに、無類の酒好きだ。昔はよく、ラスティスの父、テオと朝まで飲み明かしていたようだし。
「酔いつぶれたんなら、泊まっていけばいい。部屋なら余ってるんだから」
「そうさせてもらうことに、なるだろうね」
 笑ってラスティスは箸をもらい、重箱に目を向けた。すでに半分ほどに減っていた中身も、まだまだおいしさを損なってはいない。
「ラスティスさん、嫌いなものとかはないですか?」
「うん? 特に無いけど」
 手近なところから料理を口に運び始めたラスティスに、オレンジ色のジュースを手渡したキニスンが尋ねる。躾が厳しかったのでラスティスはゲテモノで無い限り、ほとんどのものは好き嫌いせず食べられる。一番の好物は、グレミオの作ったシチューなのだが。
「じゃあ、これとこれ、美味しいですよ」
 小皿に手早くお勧め料理を取って、キニスンはラスティスに手渡した。同じものが、先にセレンにも回されている。
「ありがとう、えっと……」
「キニスンです」
 微笑みが交わされ、コップと皿を受け取ったラスティスは早速そのお勧めをいただくことにした。フッチも、キニスンほどではないにしろサスケに料理を手渡して自分もせわしなく口を動かしている。
「おお、間に合いましたかな」
 そこへ、白い口ひげをたっぷりと蓄えた、大柄の男性がやって来て豪快に笑う。
「キバ将軍!」
 これもまた意外な人物の登場に、騒ぎが一瞬静まり返った。だが、ビクトールが、キバが脇に抱えた大瓶にめざとく気付くと、やったぜと拍手喝采を送り出した。
「さっすが、キバ将軍、分かっていらっしゃる!」
 ふらつく足で立ち上がり、空になった酒瓶を蹴り飛ばしながら素足で草の上を歩きキバを迎え入れる。キバが持ってきたものは、通常の酒よりもアルコール度数の高い濁酒だった。
「飲むぞー!!!」
「おー!!」
 大人連中は、もはや手のつけようがない状態でルックならずともキニスンまで顔をしかめて苦笑するしかなかった。花見という名を借りた大宴会に、制止する役目を持つ人間がいないのがますます場を盛り上がらせていくばかり。
「花より団子……ってやつかな」
「団子なのはサスケで、あっちはお酒だろ」
「あはははは……ぴったり」
「笑うな!」
 サスケの素朴な感想にフッチが冷淡な一言を返し、笑ったセレンにサスケが鉄槌を下す。
「いたい……」
 しゅん、と小さくなったセレンに、ラスティスがよしよしと叩かれた頭を撫でてくれた。
「でも、なんだか凄いことになってますね……」
 冷静沈着、熱くなることはあっても決して度を外すことのないマイクロトフまで、耳の先まで真っ赤になって大声でマチルダの悪口を――というか、ゴルドーの悪口を叫んでいる。シーナがもっとやれ、と煽って、グレミオも笑い上戸か、フリックに絡みながら酒をあおっている。
「出来上がるの、早すぎるよ……」
 フッチがため息をつきながら呟き、小皿に残っていたサラダを口に運び終えた時。風が吹いて自分に容赦なく冷気を浴びせかけたことに眉を寄せる。さっきまで、そこには風よけとなる人がいたのに。
「サスケ……あーーーーー!!!!!!」
 ぽろっ、とフッチの手から小皿が落ちた。
 彼の席は、ちょうど真っ正面に大人組の宴席を見ることの出来る位置にあった。故に、視線をあげれば彼らのどんちゃん騒ぎが見たくなくても目に入ってしまう。
「あ?……」
 フッチが何を見て驚いたのかすぐに分からず、きょとんとなっている他の面々も、その場で立ち上がったフッチの視線の先を見やって、頭を抱えた。
 いつの間にか、サスケが若者組ではなく大人組の……酒の席に混じっていたからだ。
「あの馬鹿……」
 げんなり、とルックがこめかみを指で押さえてがっくりとうなだれた。
「やると思ってましたけど……まさか本当にやるなんて」
 キニスンも呆れ顔で呟く。フッチは頭を押さえ込んで怒りを必死で殺そうと肩を震わせていたが、
「おまえらー、いっしょにのめーーー」
 お気楽なサスケの声に、ついにぷっつりとフッチの堪忍袋の緒が切れる音を、彼の横に座っていたセレンは確かに聞いた。
「サスケーー!!!!」
 あれほど酒は飲むなと、正月で痛い目を見ている分きつく言いつけておいたのに、それも忘れて酒を飲むとは、良い度胸。命が惜しくないらしい。
 すさまじい怒気がフッチの周りに渦を巻く。ルックは巻き添えを食うのは御免だと、先に彼の進行方向を妨害していた自分の居場所から退去していた。キニスンも、笑顔を引きつらせながらも止めるつもりは毛頭ないらしく、シロを連れてシートの端の方へ重箱ごと移動した。
「ラスティスさんも、逃げていた方がいいですよ」
 セレンも状況を良く理解していないラスティスを引っ張って、ルックの横へ移動する。これで、フッチの邪魔をするものは無くなった。幸いなのは、今ここに彼の武器が無いことだろう。もしあったならば、流血沙汰では済まなくなる。
「サースーケー……?」
「あん? おまえもほしいのか?」
 わずかに濁った透明の液体入りグラスを揺らし、カラカラと笑ったサスケはこの一触即発の状況が分かっていないらしい。それは、彼を囲む大人達も同じで。
「あ、やばい。これは凶器になっちゃ……あ」
 空になったジュース瓶がフッチの足元に転がっていることに気付き、セレンが慌ててそれを回収しようとしたのだが、一瞬遅く。それはフッチによって拾われてしまった。
「止めなくてもいいのかい?」
「とばっちりが恐ろしくなければ、どうぞ止めて下さい」
「…………」
 ラスティスの知っているフッチは、少なくともこんな過激な性格をしていなかったはずだが。年月が過ぎるのは、恐ろしい。それともこれも、ハンフリーの教育の賜物なのだろうか?
「それ、ハンフリーさんに言ったら落ち込みますから、駄目ですよ」
「うん……そう、だろうね……」
 無口だが真面目な気質のハンフリーは、フッチの今の姿を見たらきっとショックで寝込んでしまうだろう。あれで意外と神経細かったりするから……あの人。
「それより、この事態をどう収めるつもりだい?」
「え、ボクが収めるの!?」
 小声でぼそっと言われ、予想外、とセレンが悲鳴を上げる。
「リーダーは君だろう」
「でも、ボクでああなっちゃったフッチを止められると思う?」
「無理だね」
「もうちょっと考えてから言ってくれてもいいじゃない……そんな即答で返さないで……」
 自分でも、自分はリーダーとしては頼りない部分が多いと思うけれど、間髪入れずに無理だと言われるのも落ち込む。それに、分かっているのなら、別に聞かなくてもいいと思うのに。
「言い出しっぺが酔いつぶれてどうする!」
 フッチの怒鳴り声が嵐を起こしてセレン達は背筋を寒くした。空瓶を片手に、彼は大人組になぐり込んでいく。目指すは、サスケただひとりなのだが、彼は前を塞ぐものは人でもものでも、容赦なく破壊していった。
 みっともない野郎の野太い悲鳴がこだまする。
「あーああ、ボクもう知らない」
「僕も……あ、デザートありますよ」
「食べるー♪」
 お隣の惨劇を見ないことにして、キニスンの一言にセレンは諸手をあげてフォークを取り出した。新しい皿を用意して、まだ手をつけていなかった折り詰めからケーキを取り出し並べていく。
「甘そう……」
 ルックが嫌そうな顔をしたが、セレンは気にせず、生クリームたっぷりのイチゴのショートケーキを口いっぱいに頬張った。ラスティスも、チョコレートケーキを受け取り、フォークを突き刺す。
「ルックさんは、え……と、これなんか、あまり甘くないですよ」
 そう言ってキニスンはチーズケーキを皿に盛る。彼自身は、ダークチェリーのタルトを選んだようだった。
「サスケ、待てーー!!!!」
「待てと言われて待つ馬鹿が……どわぁ!?」
 酔いつぶれて寝転がっていたビクトールに蹴躓いて、サスケがついに倒れる。這いつくばって逃げようと藻掻くが、じたばたと動かした両手は空しく空回り。
「ごがーーー」
 余裕のビクトールのいびきが、今は恨めしい。なんでこんな所で寝てるんだよとサスケが心の中で悪態をついている隙に、フッチは彼の背後に仁王立ちしていた。
「うわ……待て、待てフッチ、話せば分かる!」
「待つかぁ!」
 ごちぃぃぃぃん、と反響を残してフッチの一撃がサスケの脳天を直撃する。瓶にヒビが入り、サスケの頭もふらんふらんと左右に大きく揺れた後、ぽて、と倒れた。
 でっかいたんこぶがぷっくりと出来上がっている。
「……終わったみたいだよ」
「フッチー、ケーキ食べない?」
「え? あー、食べます食べます!」
 わーい、と瓶を放り出してフッチは嬉しそうに大人組のシートを出ていった。
 後にはすっかり静かになった大人達がサスケを囲むようにして、死屍累々と横たわっていた。

 こうして、長いようで短かった花見(?)は無事(!?)に終わったのだった。