僕らの刹那

 今は一瞬。

 でも、永遠。

 深夜のレイクウィンドゥ城はひどく静かだ。
 見張りの兵はそこかしこに立っているが、皆侵入者などありはしないと安心しきっているのか、中には立ちながら船を漕ぐ、という器用な事をやってのける兵士もいた。
 平和そのもの、といった時間がまどろみの中を通り過ぎていく。
 だから誰も、この静寂が破られる事を予想していなかった。
 最初にそれが目撃された時は、寝ぼけた兵士の見間違いだろうという形で収まった。しかし次の夜も、またその次の夜も複数の人間によって目撃されるようになったそれは、瞬く間に城の住人の間に噂として走り抜けていった。
 つまり、幽霊が出る、と。

「大変大変大変ーーーーーー!!!!!!」
 朝。
 壮絶なまでに騒々しい少女の声で、レイクウィンドゥ城の城主は目を覚ました。……否、正しくは叫びながらベットの上に容赦なくジャンピングアタックしてきた少女の体重に潰されて、なのだが。
「お、重い……」
「ま、失礼ね。あたしそんなに重くないもん」
 布団とナナミの下で呻いたセレンにすかさずひじ鉄を食らわし、前言撤回させて、ナナミはようやく可愛い義弟の上を退いた。
「おはよ、セス」
「……おはよう……」
 寝癖のついた頭をわしゃわしゃと掻き回し、ベットから身を起こしたセレンはにこにこ笑顔の義姉を見上げた。上機嫌……に見えるが、どこか変。そういえばさっき、「大変」を連呼していなかったか?
「なにかあった?」
 ナナミの愛情あふれる起こし方はこの際置いといて。ベットの縁に腰掛けたパジャマ姿のセレンは、その問いかけの瞬間に笑顔をひくつかせた彼女の表情を見逃さなかった。
 なにかあったらしい。
「…………」
 しばらくふたり、微妙な笑顔で向かい合う。にこにこにこにこにこにこ……。
「セス!」
 だが唐突にナナミはがばっ!とセレンに抱きついてきた。そのまま彼の肩をしっかりと掴み、ぶんぶん前後に揺さぶり始める。
「お願い!!今夜から一緒に寝て!!!!」
 寝起きに頭を揺らされて、言われた方のセレンは堪ったものではなかった。脳味噌が揺れている。頭の中で教会の鐘が盛大な音を立てて鳴っていた。
「出たのよ出たのよ出るのよーーーーー!!!!!」
 ナナミは混乱すると見境がつかなくなる。手加減を忘れる。本人はかなり必死だから、相手をするときはいつも命がけだ。
 気が付けば、セレンはナナミの腕の中でぐったりと魂を飛ばしていた。白い煙も見える。一瞬セレンは花畑の中で死んだゲンカクが手を振っているのを見た。
「……死ぬかと思った……」
 ぼそり呟き、前にいるナナミが恐縮する。泣きそうな声で「ごめんねー」と上目遣いに言われたら、許さない方が悪役のようだ。
 力任せに振り回された所為でボタンが飛んでしまったパジャマを脱ぎ、いつもの赤い服に着替えると、セレンはドア前に逃げた義姉を迎える。最近、彼女はセレンの裸を見るのを嫌がるようになった。ただし、セレンの方はかなり昔からナナミの裸とは縁を切っている。いくら仲がいいとはいえ、この歳になると照れが先行する。
「で、何が出たの?」
 新同盟軍──ラストエデン軍が巨大化するに連れ、レイクウィンドゥ城も拡張工事が繰り返された。そのなかで城主たるセレンは最上階に個室をもらい、ずっと一緒の部屋だったナナミとは別の部屋で眠るようになっていた。
「うん。あのね……」
 ナナミは恐がりだ。幽霊とかお化けとか、怖い話を聞いた夜は決まって一人で眠れなくなりセレンの布団に潜り込んできた。いつもは度胸満点で見ている方が冷や冷やさせられる行動を平気でとるくせに、こういうときだけは年相応の女の子の反応を見せる。そこがまた、可愛いのだが。
「衛兵さんが話してるの聞いちゃったの」
 今や衛兵だけに留まらず、沢山の人が目撃している幽霊。城のあちこちに出現し、消える。噂は際限なく広がり、昔ノースウィンドゥで殺された人だとか、ハイランドに殺された亡霊だとか言われている。
「長い黒髪の、白い服を着た女の人なんだって。ふらーっと現れて、ふっと消えちゃうの。後にはなんにも残ってないんだって。それでね、『うふふふふ』って笑うんだって!」
 恐がりのくせに興味だけはあるようで、あちこちで人に聞いて回ってきたようだ。
 ナナミの説明は身振り手振りが満載で、ただ見て聞いているだけならかなり楽しかったが。
「幽霊……か」
 いろいろいわくつきの城だから、そういうのが現れてもおかしくないような気がする、とセレンは思った。しかし、何故今の時期に?
「ね、怖いよね、こわいよね?」
「でも何か悪さをしてる訳じゃないみたいだし……」
 害がないのなら放って置いても構わないのでは?
 だが、目の前で必死に訴えてくるナナミの視線にセレンは嘆息する。よく考えてみたら、幽霊がいなくなるまでずっとナナミはこの部屋で寝起きするつもりだろう。ベットがひとつしかない状態でそうなれば──セレンは床の上で寝なくてはならなくなる。
「分かった」
 幽霊相手に話が通じるとは思えないけれど、兵士達まで怖がって、軍の士気が下がるのも困る。すみやかに正体を暴き、出ていってもらうしかないだろう。
「なんとかしてみるよ」
「本当!?」
 ため息混じりに言ったセレンの言葉を聞き、目をきらきらさせたナナミが飛び上がらんばかりに喜ぶ。
「ありがとー!さっすが私の弟なだけはある!」
 勝手に握り拳を作って納得している義姉を見上げ、もう一度こっそりとセレンはため息をついた。
 さて、どうするか。

 とにかく、情報を集めないことには始まらないと、セレンは部屋を出るとまず食堂に向かった。朝食を取るためと、食堂にいる人達から話を聞くためである。
 目覚めてからだいぶ時間が経ってしまっていて、朝ご飯と言うよりも昼前の軽いおやつ、みたいな時間だったが食堂はいつも通りに人であふれていた。腹が減っては戦は出来ぬ、とばかりに料理を注文すると、彼は堂内をぐるりと見回した。
「ねえねえ、聞いた?また出たんですって」
「出たって……幽霊?」
「決まってるじゃないの。で、どこに出たと思う?」
「えっと……ホールかな?」
 ケーキセットを前に少女達が話し込んでいる。その内容が例の幽霊騒動に関係している事だと気付くと、セレンはしめた、とばかりに聞き耳を立てる。
「ちがうのよ、それが。確かに今まではホールが多かったけど、今度はなんと!道場に出たんだって」
「うっそー。あんな汗くさいところに!?」
 運ばれてきた紅茶に口を付けていたセレンは、その少女の叫び声にぶっ、と吹きだしてしまう。だがそんな彼にまったく気付く様子なく、彼女達の話は終わらない。
「ええと、なんて言ったっけ?赤月帝国から来た忍者の人……」
「カスミさん?」
「ううん。おじさん」
 ──モンドさんだ……。
 心の中でセレンは呟き、名前すら覚えて貰えていない彼に同情した。
「その人が、見たらしいの。腰を抜かして、寝込んじゃったらしいよ」
「へー、そうなんだぁ」
「モンドさん……」
 幽霊を見てびっくりして腰を抜かし、動けなくなって、幽霊が消えた後も一人道場に取り残されて風邪をひいてしまったらしい。朝訓練に出てきたマイクロトフに発見された時は、マイクロトフの方が彼をお化けか何かだと思ったとか。哀れすぎて涙が出る。
「あとでお見舞いに行こう……」
 食事を終え、セレンは席を立つ。
 食堂を出ると彼は少女達が話していた、幽霊のよく現れるという場所に向かった。廊下ですれ違う人達も、幽霊話を気にしているのだろうか、どことなく表情が沈んでいる。
 途中立ち寄った見せ物部屋で、セレンはフリックに会った。
「よう、元気か?」
 ステージではさっきまでカレンが踊っていたらしい。彼女目当ての男達がまだそこかしこに陣取っている。その会話も、やはり幽霊話が多いようだ。
「フリックさんは、どう思う?」
 いきなりそう聞いたセレンに、彼は一体何のことかと考えた後、
「ああ、幽霊ね。俺は見てないけど……どうだろうな。戦場じゃ気が高ぶってありもしないものを見るっていう話は聞くがな」
「でもここは戦場じゃないよ」
「分かってるって。生憎と俺は霊感とかそういうものとは縁遠くてね」
 幽霊の正体なんてさっぱり見当が付かない、と彼はお手上げと両手を上げた。
「そっかー……」
「ビクトールにでも聞いてみろよ。今なら酒場にいると思うぜ」
 落胆の表情を見せるセレンに、フリックは言った。ビクトールなら、ノースウィンドゥ時代のこの城を良く知っているはずだ。彼ならば、何か有益な情報をもっているかも知れない。
「うん。ありがと」
「頑張れよ」
 フリックに見送られてセレンはホールへと向かった。酒場へ行くにも通り道になる。エレベーターの前ではアダリーがメンテナンスをしていた。
「なんじゃ、エレベーターなら今は使えんぞ。まったく、あれほど重いものを一気に詰め込むなと言っておいたのに……」
 近づいてくるセレンに一瞥すると、彼はまた手元に視線を戻して言った。どうやら重量オーバーで故障してしまったらしい。今日は階段を使って下まで降りてきたから、気が付かなかった。
「いえ、アダリーさんは幽霊って見ましたか?」
「幽霊?ふんっ、そんな非科学的なものなどありはせんわ!まったく、あいつらはすこーし便利な道具と万能のものとを誤解しておる。今度見つけたら百叩きマシーン『ばくばくクン』の威力を試す実験台にしてくれるわ」
 独り言を止めどなく続けるアダリーに、セレンは話を聞くのは無理、と判断。そろりそろりと逃げ出した。
 ホールの中央、階段下には約束の石版とルックがいる。いつもそこにいるから、きっと幽霊を目撃しているはずだとセレンは踏んだのだが……。
「あれ?いない……」
 珍しくルックは石版前にいなかった。何処ヘ行ったのだろう、ときょろきょろしていると、不意に後ろから肩を叩かれた。
「うわっ!」
「おわあっ!!」
 びくぅ!と過剰反応を見せたセレンに、肩を叩いた方もびっくりして階段から足を滑らせた。ずでん、と大きな音を立てて尻餅を着いたのは、サスケだった。
「いって~~!!」
 幽霊がよく出現する、という場所だから知らずに緊張していたのだろう。セレンに悪気があったわけではないのだが、大声で叫んだサスケに彼はつい、反射的に謝っていた。
「ご、ごめん!サスケ、大丈夫!?」
「大丈夫じゃない!」
 手を伸ばしてサスケを助け起こすが、よほど痛かったのか彼はジト目でセレンを睨む。
「ごめん。わざとじゃないんだ」
「あとでなんかおごってくれたら、忘れてやる」
「……はいはい」
 現金な取引を持ちかけてきて、肩をすくめた。そういえば、こいつはこういう性格だった。
 しかし、こんな真っ昼間。普段ならサスケは道場でモンドにびっちりしごかれているはずの時間だ。何故こんな所にいるのだろう?
「あれ?聞いてない?モンドの奴、お化けにびびって寝込んでるって」
「風邪ひいたんじゃなかったの?」
「そうとも言う」
 師範であるモンドが休みなので、サスケも堂々とさぼっているというわけだ。
「サボりじゃないって。ちゃんとした休みだ」
「はいはい」
 言い訳がましく続けようとしているサスケの肩をぽんぽんと叩く。
「そう言うことにしておくよ」
「だから、違うって」
 うがー、と牙を出して吠えるサスケを黙らせ、セレンは歩き出した。別に誘ったわけではないがサスケもついてくる。
「どこ行くんだ?」
「レオナさんの所」
「おっ、不良か?」
「違うってば。ビクトールに用があるの」
 行き先が酒場と聞いて、からかいの言葉を口にしたサスケに簡潔に今までの事を説明すると彼はしばらく黙っていた。そしてホールを出て倉庫の前で左に曲がる頃、
「面白そうだな、俺も手伝ってやる」
「言うと思った」
 ボソッと呟き、セレンはサスケを振り返らず酒場の扉を押し開いた。
 むわっとした空気が流れてくる。人いきれと酒の臭いが充満していて、あまり長居していると気分が悪くなりそうだった。
 カウンターにはレオナがいつものようにいて、その前にはアニタがグラスを片手に座っていた。
「おや、珍しい」
 彼女たちから見れば、まだまだお子さまの域を出ないふたりの姿に、アニタが嬉しそうに振り返った。
「なんだい、お姉さんになにか用かい?」
「え?あ、いえ……ビクトールさんって、います?」
 フリックに教えられて来たのだと告げると、レオナはキセルで表への入口近くを示した。その側のテーブルに、酔いつぶれて眠りこけている情けない姿をさらしたビクトールがいた。
「なんだかねえ。あの幽霊騒ぎで、あいつに皆があれこれ聞いて来るんだよ。ノースウィンドゥで死んだ誰かじゃないのか、ってね。でも思い当たる事がありすぎるんだろうよ、答えられなくて、あれさ」
「やけ酒……か。いい大人が情けねぇ」
 豪快ないびきを立てているビクトールを見やり、サスケが呆れた声を出す。
「大人だからね、色々あるのさ。もしその幽霊が本当にノースウィンドゥで死んだ人だったら、まだ浮かばれずにいるって事だろ?」
 ネクロードを倒した今も、魂が救われずにいるのだとしたら、ビクトールが懸命にやっていた事は無駄だったことになる。幽霊は女性だと言うし、もしそれが彼の大切な人だったなら、尚更やりきれないだろう。
「そっか……」
 セレンも彼に幽霊のことを聞こうとしてやってきたわけで、ビクトールの気持ちなんてまったく考えていなかった。だが確かにレオナの言うとおり、彼にとっては生まれ故郷を汚されているのと同じで、嫌な事だったのだろう。
「他、当たろう」
 あのままビクトールは寝かせて置いてあげようと、セレンはサスケの袖を引っ張った。最初はビクトールの醜態を見て呆れていた彼も、話を聞いてしまうと無下にこき下ろせなくて素直に頷いた。
「ビクトールさんが起きたら、謝っておいて下さい」
「伝えておくよ」
 城で起きた不祥事は城主のセレンにも責任がある。不愉快にさせてしまって済まなかったと、セレンはレオナに言付けるとサスケと共に酒場を後にした。
「……で、どうするんだ?これから」
 頼みの綱だったビクトールもハズレで、この先の展望がまったくなくなり振り出しに戻った彼らは、どこに行くともなく庭を歩いていた。
「どうするって言われても、どうしようか」
「俺に聞くなって」
 考えるのは苦手だと、サスケはセレンから話を振られて言い返した。
 足下に転がっていた石ころを蹴り飛ばし、転がっていく石に合わせて視線を前に流していくと、晴天の空をバックに白いものが飛んでいるのが見えた。だがそれはすぐにスーっと下に落ちていった。
「フッチ?」
 白いものを両手で受け止め、抱きしめたフッチがふたりに気付く。
「ぴ」
 ぴょこ、とフッチの腕の間からブライトが顔を出した。さっき空を飛んでいたのはどうやらこの子だったらしい。
「ブライト、もう飛べるの?」
「いえ、浮かぶだけで精一杯みたいで。すぐにばてちゃうんですよ」
 近づいてブライトをのぞき込んだセレンにフッチはそう答えた。
「本当に竜なのかな、こいつ」
 つんつんとブライトをつつき、サスケが言うとフッチの表情が少し暗くなる。
「まだ分からないよ。竜は竜洞でしか生まれないはずだし、白い竜なんて聞いたこともないから」
「でも、もし竜だったらすっげーんだろ?」
 白い竜が今までいなかったのだとしたら、ブライトが最初の白竜になるのだ。そう言われると俯いていたフッチが顔を上げてきょとんとした表情でサスケを見返す。
「なに」
「ううん。そういうこと、考えてもみなかったから」
 訝かしむサスケに答え、フッチはブライトの頭を撫でた。
「ぴー」
 気持ちよさそうにブライトが小さく鳴く。
「ところで、セレンさんは何をしてたんですか?」
「俺はどうでもいいのかよ」
 聞く相手をセレンに限定したフッチの言い方に、サスケがすぐに唇を尖らせて不満を口にしたが、
「だって、サスケはセレンさんについて回ってるだけじゃなかったの?」
「……どーせっ」
 ぐさりと胸に突き刺さる事をさらりと言われ、サスケはいじけてしまった。うずくまって地面に「の」の字を書いている。
「えっとね。フッチは見た?幽霊」
「いえ。でもあれって、いたずらじゃないんですか?」
「いたずら?」
 至極平然と当たり前のようにいったフッチに、セレンは素っ頓狂な声を出してしまった。ブライトがびっくりして首を引っ込める。
「違うんですか?僕はてっきり、シドさんの新しいいたずらだとばかり思ってましたけれど」
 そう言って彼は城の南側に建つ物見の塔を見上げた。城壁の塔の屋上に、シミのような一対の黒い羽根が見える。
「…………なるほど」
 言われてみれば、そんな感じがする。いたずら好きで、しかもそのどれもが余りいい趣味をしているとは言えないシドならば、幽霊騒動くらい起こしても変ではない。どうしてい言われる今まで気が付かなかったのか、不思議なくらいだ。
「その手があったか……」
 すっかり立ち直っているサスケが塔を見上げて腕を組む。
「よーっし。早速捕まえてやるぜ!」
 意気込む彼を眺め、セレンとフッチは互いに肩をすくめあった。
 だが。
「シドが幽霊?」
 塔にはシドはおらず、かわりにチャコがいるだけだった。さっき庭から見えたのはチャコの羽根だったのだ。
「違うの?」
「あいつ、生きてるじゃん」
「そうじゃなくてだなぁ。最近城を騒がしてる幽霊、あれがシドじゃないのか、って聞いてるんだよ」
 ウィングホードの少年は荒っぽいサスケの説明に不機嫌に顔をしかめ、それはあり得ないと首を振った。
「どういうこと?」
 そんなはずない!と叫んで暴れるサスケを押しのけ前に出たフッチが尋ねると、チャコは「うーん」と首をひねったあと、
「だって、シドの奴、最近は夜中にここで逆立ちして森に向かって遠吠えする、ってのが気に入ってるみたいで夜はずっとここにいるぜ?それにさぁ、その幽霊って女なんだろ?シドがやってるんだったらもっといたずらとかするだろうし」
 何かをするわけでもなく、未練を訴えるわけでもなく、ただ突然現れては消えるだけの幽霊。もしシドだったらもっと驚かせてくるだろうし、悪ふざけをしてくるだろう。それはつきあいが長いチャコが一番良く分かっている。
「かばってるんじゃないだろうなぁ」
「まさか。俺の方こそ、いい迷惑してるんだ」
 幽霊を捕まえる前にシドを牢屋につないでくれ、と切実な声で訴えてくるチャコはどうやら本心からそう言っているらしい。
「けっきょくまた最初に戻るのか」
 塔を出て、憎々しげにサスケは吐き出す。
「こうなったら俺達で捕まえるっきゃないな」
 ぱしん、と両拳をぶつけ合って音を鳴らし吠えた彼に、
「え?」
 セレンとフッチが同時に振り返る。
「誰が、って?」
「俺達」
 恐る恐る聞き返したセレンに、サスケはわざとらしくゆっくりと言いながらセレンとフッチを指さした。
「ここまで来といて止める、なんて言わないよな?」
「うっ……」
 言葉を詰まらせ、セレンとフッチは渋々頷いた。満足そうにサスケは微笑み、夕陽を指さす。
「っつーわけで!今夜10時、約束の石版前に集合だ!よし、作戦会議するぞ」
 やる気満々なサスケに引っ張られ、作戦会議場に急遽決定されたレストランへ彼らは向かった。途中、石版前に戻ってきていたルックを巻き込むのを忘れないで。

 そして深夜。
「なんで僕が……」
 偶然、レストランへ向かう彼らとぶつかってしまったが為に巻き込まれてしまったルックは、石版の前で長々とため息をついた。
 多くの人が寝静まった夜。人の行き来がなくなった為に、元から広々としていたホールは更にだだっ広く感じられる。明かりは窓から差し込んでくる月明かりのみで、幽霊が警戒してはいけないのでランプは使っていない。だからかなり薄暗かった。
「冷えてきたな」
 昼間はまだ暖かかったが、日が沈むと一気に気温が下がる。自分の腕で体を抱きしめてサスケは天井を見上げた。
「くしゅっ」
 セレンが小さくくしゃみをして身を震わせた。3人の視線が一斉に彼に注がれ、顔を上げたセレンは大丈夫だと笑った。しかし一瞬渋い顔をしたルックはおもむろに立ち上がると、指を立てて空中に何かを描いた。
「わっ!」
 ばさり、と何かがセレンの頭に落ちてくる。それは茶色のすべすべした肌触りで、首を出したセレンは両手に掴んだそれが何か気付くと驚いた顔をしてルックを見返した。
「風邪でもひかれたら、僕が怒られるんだよ……」
 このメンバーで最年長であるルックが、今は要するに彼らの保護者代わり。ラストエデン軍リーダーのセレンは特に、なにかあったら大変だ。
「嬉しい。ありがとう」
 毛布を肩に掛けて体を包み込ませたセレンが礼を言うと、ルックは照れたのかぷいと顔を背けてしまった。
「なあ、俺のは?俺も寒いんだけど」
「……馬鹿は風邪をひかないっていうだろ……?」
「むかっ」
 サスケが「はいはい」と手を挙げて自分の分の毛布をほしがったが、そんなつもりはないらしいルックに冷たく言われて握り拳を作る。今にも殴りだしそうな気配にフッチが慌てて間に入って彼を止めた。
「止めるな!俺は前からずっとお前が気に入らなかったんだよ。今日こそ決着をつけてやるーーーー!」
 がうがう。吠えるサスケを押さえ込み、その向こうに見たものは涼しい顔でよそをむいているルックだった。下の方ではしゃがんだままのセレンが毛布にくるまれ、苦笑い。
「寒いんだったら、ほら、この毛布大きいし一緒に入る?」
「放っておいていいよ。忍者のくせに、これくらいの寒さを堪えられないなんて、修行が足りないんじゃない?」
「むっか~~!!!」
 堪忍袋の緒がちぎれる音がした、ような気がした。
「押さえて押さえて!」
「うるさい!放せぇ!!」
 必死にサスケを止めるフッチだが、じたばた暴れる彼を押さえきることは出来なかった。いや、途中で手を放してしまった、それも唐突に。
 すぽん、とフッチの腕から解放されたサスケは前に行こうとしていた勢いを止めきれず前のめりに倒れた。べしゃっ、と顔面から床に突っ込み、鼻を潰す。相当痛かったのだろうか、しばらく彼は起きあがれなかった。
「……あ……」
 一方のフッチはというと、ホールの入口の方を見つめて体を硬直させている。
「あ?」
 なんだろう、とセレンも立ち上がってそちらを見た。気付いたルックもセレンに並んで立ち、南側を見やる。
 薄暗いホールの真ん中に、白い霧のようなものが浮かんでいた。
「……あ…………」
 ごくり、とセレンが唾を飲む。
「うぅ、痛てて……」
 ようやく起きあがったサスケも、場の異様な雰囲気にすぐ気付いて鼻を押さえて立ち上がった。フッチの肩越しに同じ場所を見る。
「ひぇ!」
 小さな悲鳴が彼の口から漏れた。瞬間、それまで朧だった白い霧の輪郭がはっきりと現れ出した。
 ゆっくりと、ゆっくりとそれは女の形を取り始める。
 黒くて長い髪の毛は乱れて顔にかかっている。その表情ははっきりと探ることは出来ない。暗い所為もあるが、髪の毛に隠れてよく見えない所為でもあった。そして、噂通りの白い服。スカートだろうか、長めの裾が風もないのに揺らめいていた。
「うふ。うふふふふ」
「ひゃぁ!」
 誰が上げた悲鳴か分からない。だが、彼らを振り返ったその幽霊が不気味な笑い声を立てたとき。
「あれって……」
 ルックだけが冷静に幽霊を観察していたが、
「出たーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」
 絶叫を上げて3人は一斉に、一目散に逃げ出した。階段をものすごい足音を立てて駆け上がり、申し合わせた訳ではないに関わらず、彼らは城の最上階、セレンの部屋に飛び込んだ。そのままベットの上にきれいに整えられていた布団をひっぺがえして潜り込む。
「むぐっ」
 三人向き合う形でベットの中央に顔を揃えたが、よく見れば一人足りない。
「あれ?」
「ルックは?」
 布団の下で顔を見合わせたセレンとサスケだったが、そのセレンの下で藻掻いている白い手をフッチが見つけて肩を落とした。
「セレンさん、下……」
「え?下……うわっ、ルック!?なんでそんなトコにいるの!?」
 多分、一番階段に近い位置にいたルックを、その横にいたセレンが脇に抱えるような形でかっさらって行き、そのまま本人が気付かないまま彼を下敷きにしてベットに滑り込んだのだろう。だから「なんで」と言われてもルックは無言でしか答えられない。
「いい加減、どいてくれないかな……」
 重いんだけど、と気怠そうないつもの口調で真下から言われ、セレンは顔を赤くしながら横にずれた。気付かなかったとはいえ、かなり失礼なことをしてしまったと、しばらくまともにルックを見られなかった。
「でも……まさか本当に出るとは思いませんでした」
「ああ、びっくりしたー」
 あんなに至近距離で、前触れも何もなく気配さえ感じさせずに出現できるのは、幽霊以外の何物でもない。しかもあんな笑い方をされてしまっては、どんな屈強な戦士でも肝を冷やすだろう。モンドが腰を抜かすわけだ。
「幽霊じゃないよ」
 だが、興奮冷めやらぬ彼らに水を差す台詞がルックの口からこぼれ落ちて、一斉に3対6つの瞳が彼を見つめた。
「幽霊じゃ、ない?」
「あれが?どう見たって幽霊そのものじゃんか」
「違うとしたら、あれはなんなんですか?」
 4人が一度に目撃したのだ。決して見間違いとか、そういう類のものではない。だが自信にあふれるルックは彼らを見回して、
「明日、幽霊の正体に会わせてあげるよ。僕はもう寝る。お休み」
 セレンのベットは普通サイズよりも広いけれど、4人並んで寝るのには少しどころかかなり狭い。しかし寒いし、ベットから出るのも億劫なので、彼らは自分の体に誰かの足が載っかったりその逆になったりするのを我慢して、朝になるまでしばしの休息に着いた。
 ただ朝の日の出前には、フッチに蹴飛ばされたらしいサスケが床に転がって、歯を食いしばりずり落ちている布団の端を握りしめてはいたけれど。

「くしゅっ!」
 ひとりだけ床で眠るハメになってしまったサスケがくしゃみする。
「馬鹿は風邪ひかないって言うのは嘘だったみたいだね」
 並んで歩くルックがくしゃみで飛んでくる唾を避けて言った。フッチが苦笑いを浮かべている。
「良かったね、サスケ。馬鹿じゃないんだって」
「……セス、本気で言ってるのか、それ」
 にこにこ笑ってセレンが言い、鼻をすすり上げたサスケは彼を軽く睨んだ。天然ボケが入っているセレンは、たまにこういう冗談を真に受けて本気にするから、妙なことを教えると後が大変だった。
「それで、幽霊の正体ってなんなんですか?」
 ねぼすけのセレンにしてみたら奇跡に近いような早い時間帯から行動を開始した彼らは、朝食を取る前にルックを急かして幽霊の正体を確かめに行くことにした。
 エレベーターはまだ不調のようで動いておらず、4人は揃って階段を下りていく。途中すれ違う人は少なく、人々がまだ活動時間帯に入っていないことを教えてくれた。
 そして着いた先は、昨夜幽霊を目撃したのと同じ場所、約束の石版前だった。
「ここって……」
「なんで?」
 フッチとサスケが顔を見合わせ、それからルックを見る。彼は床に落ちていた茶色の毛布を拾い上げているところだった。
「幽霊は?」
「待てって。どうせ逃げやしないんだし」
 早く正体を教えろ、とせがむサスケを黙らせ、毛布を出したときと同じように空中に消し、ルックはさてと、と振り返った。ゆっくりとしたペースで歩き出した彼を3人が横一線になって追いかける。
 だがまたしてもルックの足はホールの出口付近で止まった。
「おい、どうしたんだよ」
「着いたんだよ」
 急に立ち止まったものだからルックの背中にセレンがぶつかり、その肩にサスケが顎をぶつけた。昨日から痛い思いばかりしている、とぼやいた彼にフッチは憐れむような笑顔を作る。
「でもここって……」
 倉庫の手前、という場所に立ち止まったルックの後ろでセレンが首を傾げ、それから左を見た。そこはテレポートで仲間をあちこちに送り届けてくれる、ビッキーの指定席がある場所だった。今も立ったまま器用に眠っている彼女がいる。自分の前に4人も人がいるなんて、これっぽっちも気付いていないらしく、幸せそうな寝顔だ。
「……待って下さい。もしかして、幽霊って……」
 3人の中で一番察しがいいフッチが最初に気付き、声を上げた。
「だよ」
 短く肯定したルックに、さっぱり分からないとサスケが避難の眼を向ける。しかしビッキーの方をまじまじと眺めていたセレンは、とある事に気が付いた。
 なんだか、いつものビッキーの立ち位置よりもすこし左にすれていやしないか?
「ひょっとして、そういうこと!?」
 ぴん、と来た。そういえば夜中、ビッキーはいつも寝言で変な笑い声を立てていた。
 白い服、長い黒髪、不気味な笑い声。そして極めつけの、うっかりテレポート。
「そういうこと……だね」
 魔法を使えばその分、微量であるかもしれないが大気に乱れが生じる。風の紋章を身につけているルックはその微妙な変化を読みとって、幽霊の正体が寝ぼけてテレポートを繰り返していたビッキーだとすぐに察したのだ。ただ、そう説明する前に皆が驚いて逃げ出してしまったから……。
「ごめん」
 思いだし、セレンは赤面して謝ってきた。
「いいけど、もう……」
 過ぎたことだし、ルックはため息をついた。
「でも、どうするんだ?幽霊の正体は分かったけど、根本的な解決にはなってないぜ?」
 サスケが珍しくもっともなことを言い、
「そうですよ。ビッキーさんだと分かっても、あれはちょっと……失礼かもしれないけど、怖い、ですよ?」
 フッチもすやすや寝息を立てているビッキーを盗み見て頷いた。
「鎖でも付けるか?」
「テレポートされたら意味ないよ」
 犬じゃあるまいし、と答えてセレンは首をひねった。さて、どうしよう?
「いっそルルノイエにでも行ってくれてたらいいんでしょうけど……」
 敵側であるハイランドの首都を口に出し、フッチが何気なくそうこぼした。瞬間、その場の空気が止まった。
「え?え?」
 思わぬ事に焦るフッチ。だが、良識派の彼を置き去りに残る3名の中ではひとつの決定が瞬時になされていた。
「それで行こう!」
 円陣を組んで頷きあう3人の計画などまったく知らず、ビッキーはまだ当分、目覚める様子はなかった。
 それから数日後。
 レイクウィンドゥ城をあれだけ騒がせていた幽霊はぱったりと姿を見せなくなり、かわりに遠く離れたハイランド皇都ルルノイエの王宮では、夜な夜な不気味に微笑む女の幽霊が目撃されるようになったとか、ならなかったとか。