意志なき力の意味

 自惚れていた。
 この力があれば何だって出来ると。
 困っている人、助けを求めている人を救うことが出来るのだと。
 でも違った。
 何もできなかった。
 助けられなかった。
 くやしい。
 俺はなんて無力なんだろう。
 俺はなんて非力なんだろう。
 馬鹿だ、俺は。
 どうしようもないくらいに、馬鹿だ。

「はぁ」
 まだ朝早いというのに数え切れないくらいのため息をついて、ハヤトは広間のテーブルに突っ伏していた。
「何やってるのよ。そんなところで」
 腰に手を当て、やる気のないハヤトを叱ったのはフィズだ。リプレほどではないにせよ、口やかましい相手に捕まったものだと彼は重い頭を上げて彼女を見る。
「寝るんだったら自分の部屋に行って寝なさいよね。ここで寝られるのは邪魔なのよ」
 六歳児とは思えないしっかりとした口調で言い、彼女はハヤトの座る椅子の足を蹴り飛ばす。がくっ、と倒れそうになったのを、両足の裏を床に押しつけることでかろうじて堪え、ハヤトはまたため息をつく。
「そうするよ」
「若いくせに、昼間からだらだらしないの!」
「少なくともフィズよりは年寄りだよ」
 俺は、と小声で呟き彼は立ち上がる。テーブルに手を置いて、つい「よっこらしょ」とでも言いたくなる気分を歪んだ笑みで押し殺す。
 暴動は失敗に終わった。
 そして、暴動は失敗を前提として引き起こされていた。
 アキュート……かつて騎士として守るべき立場にあった領主を敵とし、召喚術師に服従するばかりの民衆に見切りをつけたとも言える行動を取る男、ラムダに率いられた反乱分子たち。
 彼らの言い分は分からなくもない。
 だが、納得もできない。
 理解は出来る。しかし認められない。民衆を犠牲にして、暴動を煽るだけ煽っておいてその後は放ったらかしだなんて。
 力がないことが罪なのか?
 力があるのならば何をやったって許されるのか?
 それだったら、彼らは城の召喚師達と同じだ。求めることは違うかもしれないけれど、力だけを振りかざして弱いものを踏み台にするところはまるで変わらない。
 だけど。
 力があったとしても、弱い人達だっている。
 力があっても何もできなかった。
 自分の力は、みんなを救うためにあるのだと思っていたのに。なにも、出来なかった。
 逃げることしかできなかった。
 結局、自分も彼らと同じなのだろうか。
 答の出ない悩みを抱えたまま、ハヤトは自室へ向かう。だが廊下の角を曲がったところでふと思い直し、自室を通り越してその先の部屋の前に立ち止まった。
 いるだろうかと、ノックしようと持ち上げた手を一瞬躊躇させたが、思い切って扉を叩く。
「はい?」
 返事はすぐに返ってきて、ハヤトは何故かホッとなった。
「どうぞ」
 淡々としたキールの声に促され、ハヤトはドアノブをゆっくりと回した。押し開くと、窓のない部屋を照らす天井に吊されたランタンの光が眩しく見えた。
「君か」
 机に向かって書き物をしていたらしいキールが、椅子ごと向き直って扉口のハヤトを迎える。右手はまだ机上でペンを持ったままだが、作業を中断されても不機嫌な様子はない。
「うん……いい、かな?」
 忙しかったら遠慮するけど、と心なしか小声になってハヤトは尋ねる。するとキールは右手のペンをペン立てに戻し、立ち上がって彼の方へ歩み寄った。
「あ……」
 何かを言いかける前に、キールの手がハヤトの頬に添えられる。ひんやりとした感触が肌に心地よい。親指の腹で鼻の横辺りを撫でられると、くすぐったくて笑みがこぼれ落ちる。だが、
「あまりよく眠れていないみたいだね」
 ぽつりとこぼれ落ちたキールのひと言に、はっとなってハヤトは閉じかけていた目を見開いた。
「顔色が良くない」
 吐き出した息と共に呟かれ、かぁっとハヤトの顔が一気に赤く色付く。
「どうして、そう思うのさ……」
 呟き返せば、キールは僅かに考え込んだ後、もう片方の手も使ってハヤトの顔を包み込むと少し力を込めて彼を上向かせた。キールの白い親指の先が、ハヤトの目尻辺りから鼻の頭までをゆっくりとなぞる。
「目の下に、少しだけど隈が出来ている。声に元気がない。背筋が曲がっていて俯いている。さっきも言ったけど、顔色も優れない。……まだ他にも言って欲しい?」
「いえ、結構です」
 眠れなかったのは本当のことだから、今更隠しても仕方がないとハヤトはさっさと降参の白旗を揚げた。どうもキールには隠し事が出来なくて、気分が滅入る。
 でも、それを知っていながらわざわざ彼を訪ねたのは、多分見抜いて欲しかったからだろう、この憂鬱さ加減を。
「まだ、気にしているのかい……?」
 促されて室内に入り、キールが扉を閉めている間に居場所をベッドの上に確保して、ハヤトは天井のランタンを見上げた。
 短い影が床に伸び、ハヤトの顔に陰影をつけている。机の上には、手元を照らすのがランタンだけでは足りないために、それを補う形でランプが置かれている。油の焦げる臭いが鼻をくすぐるが、嫌いではないとハヤトは思う。
「なにしてたんだ?」
 ベッドに手を置き、後ろに傾ぐような体勢で落ち着いてハヤトが尋ねる。もう机上のランプは必要ないからと、息を吹きかけてその小さな火を消したキールが振り返り、曖昧な笑みを浮かべた。
「大したことではないよ。少し、ね……」
「俺にも言えないこと?」
 言葉を濁すキールに速攻で問い直し、ハヤトは身を乗り出す。困らせていることは承知の上だが、こうも誤魔化されるとかえって気になってしまう。
「……子供達の、書き取りの練習問題を作っていたんだよ」
 やや言いにくそうに(ハヤトにとっては、どうしてこれを隠しておきたかったのかが分からなかったのだが)答え、キールは火の消えたランプを棚の上に戻した。椅子をきちんと机の下に収め、ベッドに座っているハヤトの方へやってくる。
 固い木のベッドも、ふたりが横並びに座ると僅かに軋んだ音を立てて沈んだ気がした。
「それで、君がわざわざ僕を訪ねてきた理由は? まさか気紛れだったとは言わないよね?」
 意地悪にハヤトの逃げ道を先に塞いで、キールはハヤトの顔に垂れ下がった前髪をすくい上げた。そのまま彼の指はハヤトの髪ごと耳の後ろへ流れ、去っていく。
「……俺、馬鹿だ」
 俯いて、折角キールが払ってくれた目にかかる前髪をまた元の状態に戻して、ハヤトが力無くこぼす。
「どうしようもない馬鹿だって、思う。俺、自分にはもっと力があるって思ってた……」
 片手で顔を押さえ込み、必死になって涙を隠そうとするハヤトにキールは肩から力を抜く。
「気にするなと、……君は懸命にやれることをやったと、僕は言わなかったか?」
「でも、そんなの無理だ。俺はあの人達を見捨てた。助けられなかった!」
 扇動されて民衆は暴動を起こした。だが、結局彼らは騎士団によって囚われの身となった。残ったのは、何もできなかった自分たちの力のなさと現実の虚しさだけ。
「ハヤト」
 顔を上げてくれと言っても、ハヤトはいやいやと首を振るばかりで応じようとしない。
 情けないと自分でも思う。こんな姿を晒したくて、ハヤトはキールを訪ねたのではないのに。でも、一目で自分の内心を見破ってしまった彼の前では、もはやこの表現の仕様のない感情を抑えきる事なんて不可能だった。
「悔しい、悔しいんだキール。俺、自分が嫌になる。自惚れてたんだ、なんでも出来るって。助けられるって!」
 ぎりっ、と自分の顔に爪を立てて。ハヤトは堪えきれない涙をこぼして言葉を吐き出す。見る者をも傷つける姿で、彼は悔しいと連呼する。
 しばらくの間、キールは黙ってハヤトの好きなようにさせていた。肌にくい込んだ爪が薄皮を剥ぎうっすらと血が流れても、キールは言葉や手を挟もうとしなかった。嗚咽が続き、頬を、手を伝った涙が綺麗に敷かれたシーツを濡らしても。
 ハヤトが自分で泣きやむまで、キールは辛抱強く待った。
 赤くなった目をこすり、鼻を啜り上げてハヤトが泣くのを止めたのはそれから大分経ってからだった。
「なんで、なにも……言わないんだよ……」
「慰めて欲しかったのかい?」
 優しい言葉で語りかけて、君は悪くないと告げても、それではハヤトは納得しないし立ち直るきっかけに出来るはずもない。そんな会話を求めてハヤトが訪ねてきたのではないことぐらい、キールはお見通しだ。
「安っぽい慰めは、逆に君を傷つける。そうじゃないだろう? 君は何故僕を訪ねてきたんだい?」
 涙の跡が残るハヤトの顔を正面から見つめて、キールは敢えて彼に動機を尋ねた。
「それは……」
 すぐには答えられず、ハヤトはキールから視線を逸らして言葉を詰まらせる。 
 明確な回答など出来るはずがない。本当に、なんとなくだったのだ、最初の気持ちは。ただキールなら、きっと愚痴にしかならないこの気持ちを受け入れて聞いてくれるだろうとは感じていた。そうだ、本当はただ聞いて欲しかっただけなのだ。
 行き場のない、怒りとも悲しみともつかないこの中途半端に浮いたこの気持ちを。
「僕はね、ハヤト」
 これは自分の考えでしかないのだけれど、と前置きしてキールは微笑んだ。
「力には善悪がないと思っている」
 力に意志はない。感情も、心もない。何が善で何が悪かを判断することが出来ないものだと、キールは言う。
「当たり前の事なんだよ、実は。だって、力はそれ自身だけではどう考えても地上には存在できないのだから」
 力があると認識できるのは、必ず力を揮う存在があるからだ。それは人であったり、獣であったり、または自然そのものであったりする。エネルギーだけがあっても、意味はない。それは使われてこそ初めて存在意義を成すのだ。
「だから、力が良くも悪くもなるのは、使う者によるところが大きい」
 強力な破壊力を持つ、例えば自然災害も時には人に豊かさをもたらすことだってある。召喚術だって、最初はリィンバウムを外的の脅威から身を守るために発展した魔法。召喚術を最初に開発した術者は、おそらくこの力が未来により豊かな繁栄をもたらすものになることを期待していたはずだ。
 だが力を手にした人間は、時として歪んだ妄想に取り付かれてしまう。権力や冨に執着し、本来の目的を忘れ去っていく。
 そうやって生まれたのが金の派閥だ。
「…………」
 キールの始めた話の意図がつかめず、ハヤトは首を傾げて彼を見返す。くすっ、と彼は笑った。
「アキュートも、城の召喚師も、みんな力の使い方を間違えているんだよ。力は自分のために使われるものではない。己の理念や私欲の為だけに使っていいものではない」
 そこに何らかの犠牲が生まれることなど、以ての外だ。
「君が使った力は、誰に対して使われた力だろうか?」
 求めて手に入れた力ではないにしろ、ハヤトが召喚術を使うのは己の命を守るため、大切な仲間を守るため、そしていわれなき弾圧に苦しむ人を救おうとして。
「君は誇っていい。君は間違っていない」
「でも……」
「人間ひとりが持つ力なんて、ごく微量でしかないんだよ」
 人が集団で生活するには理由がある。それは、一人きりでは出来ることが限られてしまうからだ。
 狩りをするにも、農作業をするにも。人が集まって協力しあい、仕事を分担する方が遙かに効率も良いし生産性もアップする。寄りかかるのではなく、支え合ってこそ人はよりよい生活を手に入れられるのだ。
「僕達が一緒に生活しているのは、何のためだった?」
 原点に返って考えてみよう、とキールが優しく語りかける。
「一緒に……支え合う為……」
 行き場のないハヤトを、フラットのみんなは暖かく迎え入れてくれた。人の優しさがあれほど胸に染み入ったことはない。キールがフラットに来たのは、ハヤトの力を見極めて巻き込んでしまった彼を元の世界に還すためだったが。それでも、今では欠かすことの出来ない大切な、仲間。
 ひとりひとりでは弱くて、とても生きていくことなど出来ない厳しい現実も、仲間が集まればきっとどんな苦しい局面でも切り抜けられると、教わった。
 支え合って、補いあって。同じ人間などひとりとしていない。ひとりでは出来なくても、仲間の協力が得られればきっと大丈夫だと思えるから。
『ひとりぼっちはだめだよ……』
 ラミが言っていた。行き場所がなければここにいればいいと。ひとりでいたくないから、ここにいるのだ。みんなといれば、寂しくないから。
「なんだ……やっぱり俺、自惚れてたんだ」
 力におぼれていたのは自分の方だ。出来ることとそうでないことの区別が付かなくなっていた。これまでが上手く行きすぎていた、それだけだ。
「自信を持つことは悪いことではないよ」
 ばたっ、と後ろに倒れたハヤトを上から見下ろし、キールが言う。
「必要なのは、己の力量を正しく見極めることだね」
 出来ること、出来ないこと。どこまでが自分の力で、どこからが他人の力と合わさった部分か。その境界をしっかりと認識していれば、行き過ぎた思いを抱かずに済む。
「でもそれって、難しくないか?」
「要はやる気次第だね」
 人は案外、自分のことを知らない。自分がどの程度の人間であるのかを知らないから、過剰な期待を己に抱いて失敗する。
「万能な力なんて存在しないんだから。人は、少し卑屈であった方がいい」
 自分で思っているよりもほんの少し、自分は小さい人間であると考えると世の中渡って行きやすい。無理をせず、かといって楽ばかりを追いかけない行き方が一番安全圏にいられる。冒険をしたければ、話は別だが。
「キールって、安全志向だったんだ」
「自分の力量はわきまえているからね。無謀な真似はしないよ」
 君と違って、とぽつりと付け足された台詞を耳ざとく聞き、ハヤトはがばっと起きあがってキールを睨む。
「それどういう意味だよ!」
「怒るっていう事は、自覚があるって事かい?」
 無茶、、無謀、無計画。しかも無意識にやっているときたらもう手のつけようがないのだろうが。自覚があるのなら、改善の余地はあるかもしれない。
 笑うと、ハヤトはばつが悪そうにそっぽを向いた。
「怒るなよ、悪かったって」
 謝られてもまだキールの顔は笑っているので、本心から謝罪しているようにはとても見えない。
「ごめん、ハヤト。でもきっと、そういうところが君の持ち味なんだろうね」
 欠点は長所の裏返しだとよく言うし。無意識のうちに厄介事を抱え込むのはある意味才能だろう。
「フォローはするから、君は今のままでいてくれないかな」
 ありのままに、いて欲しい。これはわがままか、それとも甘いだけか? 言いながら考え込んだキールを見て、にやりとハヤトは唇を歪めた。なにか、企んでいる笑みだ。
「ふーん……言ったな? じゃ、これからはどんどんトラブル起こしてやろっと。そんで、全部キールが責任取るのな」
「……ハヤト?」
 もしもし? と手を振ってもハヤトは意味深な笑みを浮かべるばかりで。
 これは、不用意な発言をしたものだと後悔してももう遅い。
「よーっし。んじゃ、早速町に買い物だぁ!」
 勢い良くベッドから立ち上がってハヤトは叫ぶ。行き場のないキールの手が空しく空を掻いたが、やがて諦めのため息と共にキールも並んで立ち上がった。
 なにはともあれ、ハヤトが元気を取り戻してくれたのだから。
「出かけるんだったら、顔を洗ってきた方がいいよ」
「へ? なんで?」
 壁のハンガーに掛けてあった上衣を取り、肩に羽織ってキールが言うと不思議そうにハヤトが聞き返してきた。やれやれ、と小さく肩をすくめると、キールは右手を伸ばしてハヤトの頬を指でなぞる。
「涙、跡になってる」
 さっきまであんなに大泣きしていたくせに、とからかうように言えば、ハヤトは赤くなって狼狽えた。
「だって、あれは仕方がなかった……お前、なんか今日、意地悪いぞ」
 ジト目で睨まれてキールは「そうかい?」と誤魔化す。
「顔洗ってくる。玄関で待ってて」
 一緒に行くことがいつの間にか決まってしまっていた。もとよりそのつもりだったキールは、別段文句も言わずに頷くと駆け出したハヤトの後ろを追いかけるようにして部屋を出た。だが扉をくぐろうとして、思い立ち一度室内に戻ると天井のランタンを消した。
 外は夕暮れで、買い物をするには少し遅い時間帯のような気もしたが、ハヤトが一度言い出したことをそう簡単に撤回するとも思えない。
「わがままなハヤト」
 でも嫌いじゃない、と呟いてキールは玄関に向かった。
 こういう日も悪くないかな、と感じながら――――