夏草の道

 寥々とした荒野のただ中で、ひとり道を失い男が立ちつくしている。
 空は暗く重い雲が一面を覆い尽くし、旅人に道を示す星の明かりすら、今では一条の光もない。
 目印となる巨木や山並みもなく、どこまでも平坦なばかりの地平線が男を取り囲む。その耳に届くのは、死を招き吹く無音の風の声のみだ。
 ともすれば気が狂いそうになる、いっさいの哀れみも感慨もない非常なる荒野の一点に染まるシミの如く、男はそこにたたずんでいる。
 ただ、静かに。
 祈りを捧げるかのようなやや頭を前に垂らした姿勢で目を閉ざし、真一文字に結ばれた唇からは強い決意が窺い知れる。流れ行く風にそよぐ髪を、ややして持ち上げた片腕で押さえ込み、男はそれまで動くことの無かった瞼を、ゆるやかに持ち上げた。
 景色は相変わらず虚空を描いたままであったが、男の瞳は確かに、本に微弱な世界の変革を捉えていた。
 暗闇を貫き、空に照るただひとつの星を。
 それはまごうことなき、彼自身の星であった。
 男は歩き出す。影もまた彼を追った。並び行く歩調で付き従いながら、しかし決して追いつくことのない影に、男は視線を巡らすことなく己が星を旗として原野に記された一本の細い道を渡って行く。
 しかしそれでも良いのだと、影は微かに揺れた。
 自分は常に貴方と共にあるが、貴方の未来は貴方の前にこそある。後ろに伸びゆく影を、追う必要など無いのだと。
 夜明けはまだ遠く、だが迷わず男は歩み続ける。彼の背中を押す細き腕に気づくことなく――――

 日差しが暖かく、気が緩めばすぐにあくびが出てきてしまうようなのどかな昼下がり。だが真っ昼間から営業しているレオナの酒場は、妙な空気と活気に包まれていた。
「んじゃ、貰っていくぜ」
「ちゃんと酒樽は返しておくれよ?」
「分かってるって!」
 煙草を優雅に燻らせるレオナの冷たい一言に、ビクトールはまかせろ、と厚い胸板をどん、と叩いた。
「お前さんの『任せろ』ほど、当てにならないものはないんだよねぇ」
「…………ちったぁ信用しろよ」
「ま、いいさ。早く行かないとまずいんだろう?」
 しっし、と犬を払うような手振りでレオナは言ったが、ビクトールはそうだった、と忘れかけていた仲間たちのことを思い出して、慌てて床に置かれた巨大な酒樽を持ち上げにかかった。
 通常ならば男数人掛かりで持ち上げる酒樽も、食い意地ならぬ飲み意地の張るビクトールの手にかかればひとりでもひょい、とは行かずとも持ち運べてしまえる。少々へっぴり腰のビクトールの力んだ顔を眺めながら、カウンターに肘をついたレオナはふぅ、と煙を吐き出した。
 白く濁った煙が天井に向かって流れていく。それを目で追いかけるうちに、ビクトールの気合いの入った声は酒場を抜けて城の外へ出ていった。
「まったく……これじゃあ開店休業だよ」
 今朝突然、酒場にある酒をありったけ分けてくれ、というビクトール以下数名の願いを無碍に断ることもできず、適当にあしらうつもりがいつの間にか本当にあるだけ分すべて、持って行かれてしまった。今ビクトールが運んでいった酒樽が、最後だったのだ。これで店に残されたのは、数人の酒好きによってキープされているボトルと、少々のワインだけ。これでは商売にならない。
「トランの英雄さんだか知らないけど、もうちょっと早めに注文しておいてくれたら良かったのにねぇ」
 ふぅ、とため息を付き形の良い眉をひそめたレオナに、向かいに座っていたアニタが空になったグラスを揺らしながら笑った。
「たまにはいいじゃないか。ゆっくり休めると思えばね」
「バレリアも、向こうに行ったんだろう? 一緒に行けば良かったんじゃないのかい」
「あたしは、トランの英雄には興味がないしね。それに、招かれたのはトラン解放戦争に参加していたメンバーだけだろう?」
 アニタの良き友でありライバルのバレリアも、今日ばかりはビクトールたちの誘いを受けてそちらに行った。おかげでアニタは一人きり、こうやってレオナと愚痴のこぼしあいである。
 事の始まりは、ラストエデン軍リーダーのセレンがバナーの村に逗留していた、かつてトラン湖を囲む赤月帝国の暴虐から民衆を守り戦い抜いた勇者を連れてきた事にある。
 彼は英雄と呼ばれ、その右手には27の真の紋章が一、ソウルイーターを宿していた。呪いの紋章の二つ名を持つ紋章の影響が周囲の仲間たちに及ぶことを恐れ、新国の大統領に望まれながらその地位を蹴り出奔した青年。それが、トランの英雄――ラスティス・マクドゥール。
 彼がこの城に来ることになったのはほんの偶然の事だった。今ラストエデン軍はハイランドとの闘いで苦しい状況に立たされており、少しでも強い仲間を必要としていた。故に、軍のリーダーであるセレンが彼を求めたのも、至極当然の結果と考えられる。
 意外だったのは、その勝手すぎる申し出をラスティスが受けた事だった。
 戦うことを嫌い、隠遁生活に片足を突っ込んでいた彼が何故自ら戦場に返り咲こうとするのか。物憂げな瞳を遠くの空にばかり向けている彼の横顔からは、その真意が見えない。
 だから、だろう。ビクトールは今城にいる人間のうち、トラン解放戦争に参加したメンバーを集めて騒ごう、と言い出したのは。
「たまには外で飲む酒もいいもんだろう?」
 緑が濃い巨木の下に茣蓙を敷き、中央に酒樽、それを囲むようにして皆が座り料理を摘む。片手に持った杯はどれもなみなみと酒が注がれていて、飲み干せばすぐにおかわりが回ってくる。自然と、皆のペースは早まっていた。
 参加者は皆昔からの知り合いばかりとあって、最初から和やかな雰囲気が立ち上っていた。だが、むさ苦しい男たちの大声での騒ぎ合いには、数少ない女性陣から叱責の声が挙がる。
「まったく……もう少し静かに飲めないものか」
「まぁまぁ、ビクトールさんじゃ、仕方ないですよ」
 バレリアがこめかみを引きつらせて杯の酒を飲み干し、すぐさまテンガアールが相づちと次の酒をよこして苦笑する。
「本当。あの人、今までずっとあんな調子なんですよ? 今日だって、ラスティスさんをいいわけに自分が騒ぎたくて企画したんですから、絶対」
 未成年なのにがぶがぶ飲んでいるアップルが、ここにはシュウがいないせいかいつもより毒舌でまくし立てる。顔が紅潮しており、かなり酔っている様子で、ノンアルコールに徹しているテンガアールは乾いた笑みを浮かべるだけだ。
「ビクトールもわからんが、フリックも分からん。何故あんな男と一緒にいて平気なのだ?」
「腐れ縁だから、でしょ……?」
 次の酌を無言で求めるバレリアに応え、テンガアールは小さな声でつぶやいた。
「フリックさんも、結局お酒が大好きで騒ぐの嫌いじゃないだろうし、なんだかんだ言ってもビクトールさんと仲がいいから~……ひっく」
「ああ、もうアップルちゃん、いい加減その辺で止めておかない? 明日、辛いよ?」
「いいの! どうせ私なんてシュウ兄さんの役にも立てない中途半端な人間なのよ! 飲まずにいられますかっての!」
 目くじらを立ててアップルが叫ぶ。いいぞー、とバレリアまで拍手喝采を送って彼女を煽り立てるので、テンガアールは痛む頭を抱えて助けを求めるように恋人のヒックスを探した。
 しかし。
「にばん、ひっくす、うたいまぁ~~っす!」
 呂律の回らない、すでにかなり出来上がった状態のヒックスを見つけ、盛大なため息を吐いてテンガアールはこりゃだめだ、と頭を振った。
 いっそここにいる連中全員、見捨てて城に帰ろうかとも思ったのだが、ひとりくらい素面の人間がいないと困るだろうと思い直す。
「あの、テンガアールさん……食べます?」
「フッチ君……君だけだよ、僕の気持ち分かってくれるのは」
 ハイ・ヨーお手製の料理を載せた皿を片手に、ジュースを持って大人の男たちから避難してきたフッチとテンプルトンの姿に、テンガアールはつい泣きそうになった。
「大人ってさ、どうしてああも馬鹿なんだろうね」
「……それ、痛いよテンプルトン……」
 だが反面教師、という事で学ぶものが全くない訳じゃないけど、とテンプルトンが可愛くない事をしれっと言い、骨付きカルビに食らいつく。
「馬鹿にするな~!! あたしだってマッシュ先生の弟子なんだから~~~!!!」
「さんばん、ひっくすぬぎま~~っす!」
「……テンガアールさん、止めなくてもいいんですか……?」
 あっちもこっちも大騒ぎである。
「なにを?」
「だってヒックスさん……」
 着ているシャツを脱ぎにかかっているヒックスの目は完全に前後不覚、正気ではない。回りがはやし立てているせいもあるだろうが、彼があそこまで調子に乗るところは見たことがない。日頃おとなしい人間ほど、酔うと本性が出ると言うが……。
「いいんだよ。後でからかって遊ぶから」
「……ヒックス……哀れだな」
「……あはは……」
 テンガアールの冷たい一言に、テンプルトンもフッチも、返す言葉がなかった。

 一方、どんちゃん騒ぎの反対側でも静かに飲んでいる人たちがいた。
「……すまないな」
 フリックが酒瓶を片手に、樹齢百年は軽く越しているであろう木の根本に腰を下ろしているラスティスの元に歩いてきた。
「なにが?」
「いや、俺たちばっかりが騒いじまって、さ」
 本当はラスティスを迎えるパーティーのようなものだったはずだ。それなのにいつの間にか、仲間たちのストレス発散の場と化してしまった。おかげで主役であるはずのラスティスは置いてけぼりをくらい、こうしてひとりで酒を飲んでいる。
「隣いいか?」
「どうぞ」
 体をずらしてフリックに場所を譲り、ラスティスは空になった杯に酒を手酌しようとした。しかし酒瓶はもう空っぽで数滴が口惜しく垂れてきただけ。その光景を見てフリックは軽く笑い、持ってきた瓶の栓を抜いた。
「ほら」
「ありがとう」
 促されるままに杯をフリックの前に出す。透明な液体は溢れる寸前まで注ぎ注がれ、小さく波立った。
「いいの? 向こうに行かなくて」
「それはこっちの台詞だろう。お前が向こうにいないから、あいつらは本来の目的を忘れて騒いでるんだ」
「それも、そうかな」
 注がれたばかりの酒に口を付け、苦い表情でラスティスが笑う。ふと横を見るとフリックと視線があって、「なに?」と目で問いかけると彼は困ったようにはにかんだ。
「いや……やっぱり、迷惑だったか?」
「なにが」
「酒盛り自体が。お前、うるさいの嫌いだっただろう?」
「そうだったっけ」
 自分のことなのにもう思い出せなくて、ラスティスはそのままの姿勢で遠くの空を見上げた。もう長いこと、こういう風に大勢で酒を飲み料理を口にすることが無かったせいで忘れてしまったと、寂しげな声が告げる。
「ああ……特にグレミオが死んだ後は……すまない」
 不用意なことを口に出した、とフリックは言った直後に気づいて口を手で覆った。しかし発言してしまった言葉までは回収することが出来るはずもなく、おそるおそるといった風情でラスティスを見やる。
「謝らなくてもいい」
 だが、ラスティスは少しだけ表情を曇らせていたものの落ち込んだり、悲しんだりしている風には見えなかった。
「フリックのせいじゃないから」
「……だからって、いつまでも自分を責めるのはお門違いだろう?」
 ラスティスがこぼした一言の裏に隠れている微妙な感情を読みとり、すぐさま言い返したフリックは持っていた酒杯に自分の酒を注ぎ一気に飲み干す。
「責めてないよ」
「嘘付け。どこの世界に、そんな顔して自分を責めてない人間がいるんだよ」
 瞳を伏せ、俯き、堅く結んだ唇はだが微かに震えている。膝を抱き身を縮め、寒くもないのに肩を揺らし何かに必死に耐えているその姿。痛々しくて、正視に耐えない。
「そんな顔するな。グレミオが見たら悲しむ」
「僕もそう思うよ」
「じゃぁ……」
「分かってるさ。でも、まだ整理がつかない」
 足下に生える草をむしり取り、それを風に流してラスティスがつぶやく。季節は夏へ向かい、大地は緑に包まれている。これからどんどん、生き物は生気を増していくのだろう。なのにラスティスの心は、ずっと前から深く沈んだままだ。
「…………」
 何も言えず、フリックは一瞬悩んだ後片腕を持ち上げてラスティスの頭を軽く叩いた。予想外の事に、ラスティスも目を丸くする。そうしている間に、くしゃりと髪をかき回された。
「ま、俺もそうだったから……すぐに出来るとは思ってないさ」
「…………ごめん」
「お前が謝る必要なんてないだろう」
 さきほどとは全く立場が逆の会話に、ふたりともなんだかおかしくて笑ってしまう。
「オデッサさん……僕は、彼女が望んだ世界を、本当に作り出すことが出来たんだろうか……?」
 トラン解放戦争の始まりは、オデッサ・シルバーバーグの解放軍樹立から始まる。彼女は不幸なことに、道半ばにして倒れてしまったが、その志はラスティスや多くの仲間たちに引き継がれ、戦いを終焉に向かわせた。
赤月帝国の暴挙に民衆は苦しめられてきた。だが、民はあきらめの境地に立ち抵抗する術を忘れてしまっていた。そんな時代で、彼女はたったひとりから始めたのだ。だからラスティスは、自分ではなく彼女こそが、英雄と呼ばれるに相応しい人物だと思うのだ。
 彼女がいなければ、ラスティスはここにいない。多くの仲間に出会うことも、なかっただろう。
「オデッサ……か。どうだろうな。けど、お前が作った共和国の人たちはみんな幸せそうに笑っている。だったら、それでいいんじゃないのか?」
「そうかもしれない」
 彼女が望んでいたのは、皆が心の底から笑いあえる世界だ。だから、ラスティスが歩んだ道は間違っていない。
「お前は誇っていい。なんてったって、あのオデッサに認められた男なんだからな」
「それは、フリックだって同じだろう?」
「俺は、まだまださ」
「僕も、まだ足りないよ」
 トラン湖の周辺を解放しただけでは、オデッサの願いが叶えられたとは到底言えないのだ。この世界では、未だ多くの戦乱狂句の大地が蠢いている。無益な争いが繰り返され、血が流され、涙が枯れてもまだなお、戦争は止まらない。
「それが、お前がこの城に来た理由か?」
「…………そればかりではないけれど……目の前で苦しんでいる人だけでも、僕は助けたいと思うから」
 戦争が起こる。多くの人が死ぬ。ソウルイーターの喜びは、死者の嘆きを喰らうこと。戦場に立てばソウルイーターは文字通り、魂を人々から奪い去るだろう。
 死を招く紋章――だが、それでも。
「この力が役に立つのであれば……僕はもう、迷ったりしない」
 右手を左手に重ねて握りしめ、祈るように額に押し当てて彼は呟く。傍らのフリックに告げるのではなく、己自信への誓いを新たにするための儀式のようで、フリックはしばらく何も言えずにいた。
「今はオデッサさんの強さがよく分かる……」
 彼女の強さは、古きをうち破り新しきを芽生えさせようとするその第一手を放つことだ。長く構築され守られてきた丈夫な城壁を突き壊すために、一番最初に小さいながらも穴を穿つ、その強さ。その勇気に、憧れる。
「お前だって充分すごいさ」
 もっとも、死者にはどう頑張っても敵いっこないんだろうけれど、と嘯きフリックは酒をつぎ足す。目配せしてラスティスにも酒を注ぎ、並んで空を見上げて笑いあう。
 こんなささやかなことが、今はとても貴重だと思い知らされる。
 明日死ぬかも知れない命を、こうやって慈しめるのだから。
「僕は幸せなんだろうね」
「? いきなり、どうした?」
「いや……なんとなくそう思った」
 くすくすと笑い、流れてくる風に表情を緩めて目を閉じる。火照った顔に冷たい湖からの風は心地よく、間につまみとなる料理を口に運んでまた、酒を仰いだ。
「フリックも、幸せだろう?」
「幸せとか……そう言うのはよく分からないが、今ここにいて楽しいことは確かだな」
 戦いが今日もどこかで起こっているはずなのに、ここはとてものどかだ。現実を忘れ去らせる夏の香りに、フリックも目を閉じて遠くから運ばれてくる夏草の色を思い浮かべる。
「こんな時間がいつまでも続くとは思わないが……幸せとは、こんな日の事をいうのかもしれないな」
 仲間と酒を飲み、くだらない雑談に花を咲かせ、知らなかった友の意外な側面を発見して笑いあえる。そんな時間こそが、本当に必要なものなのだろう。ともすれば見過ごしてしまうようなささやかな幸せが、本当は日常のあちこちで転がっている。それに気づくことが出来る日が来ることが、今の彼らの目標であり生きる意味なのだ。
「俺は、オデッサの夢を叶えたい。あいつが遺した夢を、俺が叶えてやりたい」
 生きる人全てが喜びを分かち合い笑顔で暮らせる世界へ。実現は果てしなく遠い道のりの先にあるだろうが、何もしないよりも何かを――出来ることをやりたい。迷うよりも今は少しでも先に進みたい。立ち止まって悔やむよりも、歩きながら未来を夢見ていた方がいい。
「出来るといいね」
「お前も、手伝えよな」
 こつん、とフリックの拳がラスティスのおでこを小突いた。
「はいはい。是非とも手伝わせていただきます」
「うん。いい返事だ」
 嬉しそうに笑い、フリックは目を細めた。酒の席であり、ふたりともかなり酔っているのだがこの約束だけは、ふたりとも決して忘れることはないだろう。それほどに、オデッサの夢は大きく、そして重い。
「オデッサは言っていた。俺たちは、何もない荒野の真ん中に立っているのだと」
 目印も星印もなく、月すらない暗黒の闇の中で、ただ一人きりで立ちつくす人間なのだと。行く当てを見失い、途方に暮れるしかなくどうすることも出来ずに立ちつくすばかりの弱い人間。
 けれど。
「必ず、信じて待っていれば必ず星は現れる」
 目を凝らしどんな小さな輝きも見逃すことなく、絶対に見つかると信じて探し続ければ星は、必ず応えてくれる。荒れ果てた原野の真ん中で、たったひとつの光が世界の全てを支えているのだ。
 己自信の闇をうち破るための、希望という名の光が。
「その光が見つかれば、荒野は一瞬で草原へと姿を変える。失われた道は青々と茂った夏草の道となって再び現れる。だから迷うことはないのだ、と」
 その言葉が、今のフリックを動かしている。彼の見た光こそ、オデッサの輝きだったのだろう。
「だから俺は、歩き続けられるんだ。行き先が戦場だろうとそうでなかろうと、俺は前に進んでいく。後ろに下がることは、オデッサの夢からその分遠ざかる事になるだろう?」
 振り返らない。立ち止まらない。後悔しても、嘆いても、喚いても、その歩みだけは止めることの無いように。
「いつまでも情けないままの男でいたくないからな。俺は、胸を張って生きたい。オデッサに次に会ったとき、これだけ頑張ったんだぜ? って言えるように、俺は生きたいんだ」
「うん、そうだね」
 遠くでビクトールが酒瓶を片手に立ち上がり、ふたりの方を指さしてなにやら叫んでいる。どうも、騒ぎに参加せず静かに飲んでいる事が気にくわないらしい。
「まったく、あいつと来たら……」
 あきれ声でフリックが呟く。
「変わってないね、ビクトール」
 笑ってラスティスも立ち上がり、空になった酒瓶と皿を持って茣蓙の中心へ進んでいった。
「ごめんごめん、ちゃんと飲んでるからさ」
「……………………………飲め……………………」
 ハンフリーが一升瓶を突き出してラスティスに酒を勧め、苦笑しながら彼は杯を空にした。
「酔ってるでしょ、ハンフリー」
「…………………………………………………そんなことはない…………………………」
「あははっ、酔ってる」
「そういうお前も十分に酔ってるじゃないか?」
「シーナ、君こそ!」
 肩にもたれ掛かってきたシーナに笑いかけ、ラスティスはハンフリーが注いだ酒に口を付ける。顔はかなり赤くなっているが、足取りもしっかりしているし口調も落ち着いている。ただ少し、笑い上戸になっている程度で。
「ラスっていけるクチだったんだな。じゃ、こいつはどうだ?」
「なに? これ」
「いいぜ~~? 俺様特製配合。一気に天国見られるぜ?」
「……遠慮しておこうかな……」
「あ、ひでっ。お前俺を信用してないな!?」
「信用できなくなるようなことを先にしたのは君だろう」
「んな昔のことを今更ほじくりかえさなくってもいいだろ~~?」
「じゅうろくばん、ひっくすおどりまぁ~~~っすぅ!!」
 すでに収集がつかなくなっている。騒ぎの中心に自ら飛び込んでいったラスティスと違い、端の方から眺めるにとどめたフリックは頭を掻いて苦笑した。
「明日が大変だな。ハイランドがお休みなことを、祈るよ」
「あたしは、まけないんだから~~~~!!!!」
 アップルの怒号がとどろく。大宴会は、当分終わりそうになかった。