月明かりの影

 何処をどう、走ったのか。
 藪を掻き分け、腕や足や顔、身体中に傷を作ることにも一切構わずにただ前だけを目指して走った。
 生き残るために。
 敵から逃れるため、それだけの為に。
 気が付けば森は途切れ、でこぼこが多く障害物も多かった場所を抜けていた。だがそれにも構わずに走り続けた。
 ひたすらに、遠くを目指して。
 何処だって良かったのだ、あの炎に巻かれた血の臭いが充満する場所から無事に脱出できたのであれば。あの、黒衣の男達の目から逃げ切れたのであれば。
 心臓が口から飛び出しそうな勢いで拍動している。息を吐き出すことに懸命で、吸い込む方にまで筋肉が回らない。全力疾走なんて随分と久しぶりで、身体中がぎしぎしと歪に軋んでいる。
 その場に座り込むと、もう立ち上がれなかった。
 それは自分ひとりだけではないようで、戦い慣れ体力もこのメンバーの中でも随一のはずのフォルテまでもが、真っ暗闇の天を仰いで息を切らせていた。彼がこの調子なのだから、もっと体力のない女性達は悲惨だろう。
 なのに、誰ひとりとして「疲れた」の声ひとつない。
 一様に無言で、静かすぎる夜の平原に合計六人分の荒い呼吸音だけが木霊している。
 そのまま真後ろに倒れ込むと、柔らかい草の感触が背中に広がる。少しだけホッとしたけれど、目の前に無限に広がる星空と月の淡い光は聖王都に居た頃となにひとつ変わっていなくて、今度は無性に哀しくなってきた。
 いったいなぜ、こんなことになったのだろう。
 口の中に溜まったつばを飲み込み、マグナは胸を上下させながら呼吸を整えて考える。
 やがて、それぞれに荒かった呼吸が落ちつきだした頃、その中のひとつから今度は嗚咽が漏れ始めた。
「…………」
 起きあがることが出来なくて、マグナは寝ころんだままその嗚咽を聞いていた。恐らくケイナだろう、優しい声でアメルを慰める声が小さく響いて彼女も必死に泣きやもうとしているのだろうが、嗚咽はなかなか途切れる事が無かった。
 胸が締め付けられる想いで、マグナは目を閉じた。闇が広がる。月や星明かりが僅かでも地上を照らしているような柔らかな闇ではない、光るもの一切から見放された冷たい闇が。
 つい、ほんの数時間前まで過ごしていた場所から、ここはあまりにも遠い。
 そしてたった数時間だけで世界は此処までひっくり返り変わってしまうのかと、冷たい闇に捕らわれた心で彼は考える。だのにあそこから抜け出してしまったあとの世界は、なにひとつ変わることなくそのままの姿で在り続け、彼を包み込んでいる。
 今更になって、身体中に出来上がった傷が疼きだした。熱を持った身体が、末端の神経までをも刺激して乾きかけている傷口の内側をちくちくと刺す。
 嗚咽は徐々に小さくなっていって、それを宥める声もそのうち聞こえなくなった。大きな溜息が聞こえてきて、鈍い動きで首を振りそちらを向くと、前髪を掻き上げているフォルテの厳しい横顔がそこにはあった。
 彼の前には、草の上で横になるケイナと、彼女に抱きしめられるようにして目を閉じているアメルが居る。
 ふたりの身体の上にそっと、フォルテは穴だらけになってしまっていた彼のマントを外して被せ、疲れ切って眠ってしまったらしい相棒の髪をそっと撫でた。起こさないように極力神経を使っての彼の優しい行動に、少しだけマグナの心は軽くなった。
「お前も、眠っておけ」
 視線を合わせる事もなく、フォルテはそう告げる。
 え、と目を少しだけ見開いたマグナをゆっくりと振り返り、いつものような茶々けた様子とは段違いの真剣な眼差しで彼はもう一度、同じ言葉を繰り返した。
「疲れてんだろ」
 アイツももう眠ってる、と彼は握った拳の親指で少し離れた場所に横になっているレシィを指し示す。草の上で背を丸めて小動物のように小さくなって眠っている彼は時々、先程の村での体験を夢の中で追憶しているのか悪夢に魘されているようだった。
「フォルテは」
「俺は良い。誰かが見張ってないと、まずいだろう」
 ここは城壁に囲まれた町の中ではない。それに、いくら森の中で撒くことに成功したとはいえ、平原までやつらが追いかけてこないとも限らないのだ。誰かが寝ずの番をしていないと、敵の接近にも気付く事は出来ない。出来たとしても、状況は悪化したあとだろう。
「けど……」
「俺しかいないだろ。お前だってあいつだって、ボロボロなんだから」
 そう言いながらフォルテは顎をしゃくった。彼が示した先を見ると、不機嫌そうな顔をこちらに向けているネスティと視線がぶつかる。
 月光に反射した眼鏡の所為で彼の表情と感情を深い位置まで探ることは出来なかったが、彼もまたマグナと同様に疲れ切ってその場から動けない状態に近いようだった。
「俺に任せておいて、今は休め。勿論、あとで代わって貰うからそのつもりでいてくれよな」
 軽い調子でフォルテは笑おうとしたが、顔の筋肉は硬直したままで酷く不器用な笑顔になっていた。
「マグナ」
 カサリ、と草が揺れてネスティはマグナの傍らへ歩み寄った。ほんの五歩にも満たないふたりの間にあった距離を、ネスティは倒れそうな千鳥足で埋める。上半身だけを起こしていたマグナの真横に立つと、限界だったのか彼は膝を折ってその場に座り込んだ。
 立てた両膝の間に腕を置き、項垂れる。
「ネス……?」
「彼の好意に甘えさせてもらおう」
 それだけを言うために、彼は残り少ない体力を浪費してまでマグナの隣に移動したのだろうか。怪訝な顔をしそうになったマグナだったが、首を上げたネスティの横顔を確認するよりも早く、伸びてきた彼の手に頭を押さえ込まれた。
「ネスっ!」
「分かれ。僕たちが起きていても、役に立てない」
 そのあまりにも酷い仕打ちを非難しようとしたマグナの口を押さえて、ネスティは耳元に小声で囁きかけた。あ、と呻いてマグナは自分でも声を抑え込み兄弟子の顔を窺い見た。
「そう、かもしれないけれど」
 でも、とまだ何かを言おうとしているマグナをネスティは首を振ることで止めさせる。そして頭を押さえ込んでいた腕を彼の背に回し、少しだけ力を込めた。
 背中を押されて、マグナの上半身は傾ぎネスティの胸元に顔が埋められる。密着した肌から、互いの鼓動が聞こえてくるようだった。
 まだ少し、早い。
「ネス……」
 優しい手が、癖毛の髪を撫で梳いていく。
 フォルテは何も言わず彼らから視線を外し、遠くを眺め始めた。視線の先は、途切れた森と平原の長い境界線。そして、時折悪夢に表情を歪めている彼の愛おしい相棒へと。
「早めに休めよ」
「言われずとも、そうします」
 ネスティに髪を撫でられ、黙り込んだマグナは両手で彼の上着を握りしめまた、口腔に溢れる唾を飲み下す。けれどなかなか上手くいかなくて、何度も繰り返し続けているうちに違う水が彼の頬を濡らした。
「…………ぁ……」
 自分でも呆然としてしまうほど、前触れのない涙が彼の両目から溢れ出す。
 拭った手の平が濡れていた事に唖然となったマグナの背中を、ネスティが変わらないテンポで撫でている。
 昔、恐い夢を見て夜中に目が覚めたマグナをあやしてくれた時となんら変化無い、兄弟子の変わらない優しさが伝わってきて、涙は止まるどころか逆に水量を増していった。
「うっ……」
 泣きたい気持ちなどこれっぽっちもなかったはずなのに、どうしてだろう、涙が止まってくれない。今泣いて良いのはあの村で生まれ育ったアメルだけなのに。
「構わない。好きなだけ、泣くんだ」
 しかしネスティの声色も手の動きも優しくて、マグナの勝手な涙を許してくれる。
 風が吹き抜けていく。障害物のない平原の上をゆったりと、月に冷やされた空気が静かに彼らを珍しそうに取り囲んでは気紛れに去っていく。
「君は……人が死ぬところを見たのは初めてだったんだろう」
 かぶりを振り、懸命に泣きやもうとするマグナへネスティは呟く。無理はしなくても良いから、と絶え間なく撫でる動きを繰り返している彼の手は言ってくれている。
「ショックを受けて、当然なんだ」
 あの時はそれ所ではなく、生き残ること、逃げることに必死で思考がそこまで行かなかったから良かったのだろうけれど。
 今になって、体と心が落ち着きと本来の思考を取り戻した事により麻痺していた感覚が甦ってきたのだ。
 あれだけの人が殺され、噎せ返る血の匂いの中に立たされて己も生命に危機にさらされた。自分を守るためだと思っていた力を、他者を蹂躙するためだけに使われる光景をまざまざと見せつけられた。
 マグナもネスティも、武器を持っている。だがそれは、自身に降りかかる火の粉を払うためだけに使うものでしかなく、決して自分の意向で他人を傷つけそれを嘲笑う為に装備しているわけではない。
 街道を荒らす盗賊やならず者を相手にするときも、彼らを殺したいと思った事は一度もない。気絶させて、警備の兵士達に引き渡すのが当然だと思っているし、事実そうやってきた。無駄な争いを自分から起こそうとは思わないし、出来るなら騒動に巻き込まれるのも正直言って御免だった。
 小さな喧嘩や騒動は、聖王都でも日常茶飯事だ。しかし、村ひとつを焼き討ちして村人を女子供、奇跡を頼ってやって来ていた怪我人や病人までをも容赦なく殺戮していくという光景には、今までに出会ったことがない。
 そう言ったものは、聖王国と旧王国との長い対立の歴史に見ても決して多く語られては居ない。非戦闘民を巻き込んだ戦いは、両国家にとっても非難の対象にしかならず、利が見当たらないからだ。
 ましてや、たったひとりの少女の身柄を拘束するためだけに村ひとつを滅ぼすなどということは……。
「お前さんは随分と落ちついているようだが」
「そう繕っているだけです」
 しゃくり上げて声を出せないマグナへと視線を流したフォルテが、ややしてから控えめな声でネスティに問いかけをした。
「人が死ぬのを見たことは」
「…………」
 冒険者としての家業柄、フォルテは死と近しい位置にいると言っても良い。いつ、どこで何が起こるか分からない旅の中での生活は、旅費を稼ぐために危険なトラップが待ちかまえている洞窟や、ならず者相手に懸賞金を狙ったりといった日の連続である。自分の死に過敏な分、他人の死も多く見て経験してきた。
「直接、あんな光景を見たのは勿論初めてですが……人が死んで行く光景は、知っています」
 幾ばくかの逡巡の末、ネスティはそう答えた。
「そ、か。俺も……結構長いこと色々な土地を回ってきたが。あんな惨いやつは初めてだ」
 フォルテの手が足許の草の上を泳ぎ、緑の若草をむしり取ってそれを風に流した。少しも飛ぶことなく、重さに引っ張られた草は千々に消えていく。
 肩を揺らし、マグナが顔を上げる。彼は、ネスティが人の死に様を経験している事を知らなかった。意外そうな顔をしているマグナに、ネスティは曖昧な笑みを浮かべて細い指を彼の髪に差し込んだ。
 そのまま上へと流されて、戻ってきた手は親指の腹でマグナの目尻に残る涙を拭って帰っていく。
 家族というものを持たなかったマグナは、身近な存在をネスティとラウルにしか求めなかった。人付き合いの少なさがそのまま、彼の人生経験を薄く浅いものにしてしまったとも言い換えられるだろう。
 だがよくよく思い返してみれば、マグナもラウルに引き取られるまではひとりぼっちで、ゴミを漁るような生活を送っていた。あのころが彼にとっての、最も死を身近に置いていた時期だった。それが派閥という籠に囲われ、守られる生活を手に入れたことで感覚が遠くなっていたのだ。
 それでも、マグナは今まで一度として剣を構えた鎧の存在に追い立てられ切りつけられた経験は無い。本当に死に瀕した事はなかった。そして。
 目の前で誰かの命が失われていく光景も、また。
 彼は、知らずにいた。
 涙が流れた理由が、レルムの村での出来事がショックだった事なのかそれとも、緊張の糸が途切れてしまった所為なのか、もう分からない。
 やつらの狙いであったアメルは無事に守り抜けた。だが、それ以上にたくさんの命を守ることが出来ず、なにもしてやれぬまま逃げ出した。
 けれどあの時はああするしか他に道はなくて、逃げなければ死体が増えるだけの状況だった。選択肢は他になかった、正しいとか間違っているとかの問題以前の問題だった。
 戦うことの厳しさと、生き残ることの辛さと、死ぬ事への恐怖。みっつが入り乱れて混じり合って、言いしれぬ不安ばかりが胸の内に広がっている。
 アイツらはきっと諦めない。どこまでも追いかけてきて、この首をかっ切る時を待っている。知らずに自分自身を抱きしめていたマグナの目から、乾いたはずの涙がまた一粒、こぼれ落ちた。
「君がこんなにも泣き虫だとは、知らなかったよ」
 落ちついた響きのある声でネスティが呟く。向こう側のフォルテも困ったような顔をして、ボロボロと涙を零すマグナを見ている。気恥ずかしくなって、慌てて泣きやもうと乱暴に拳で目元を拭おうとしたらその手をネスティに止められた。
「泣くことは、悪い事じゃない」
 泣きたいときは泣けばいい。むしろ哀しい時や悔しいときに泣けない方がずっと、何倍も辛いのだ。
 そしてネスティはこんな風に、自分の感情の思うままに涙を流すことが出来るマグナを羨ましいとさえ思う。彼には、マグナが感じているような人を悼む心がなかなか理解できないから。
 泣く、という行為さえ忘れかけているかもしれない自分が、人の死を悲しめるほど優しくないことをネスティは理解している。だからこそ、人間としての感情に溢れているマグナを羨むと同時に、自分の分も彼が泣いてくれているのだと勝手な解釈をして満足している。
 ネスティにとっては、赤の他人であるアメルを守ることなどどうでも良い事でしかなく、彼が重要視するのは弟弟子であるマグナを、守り抜くことただそれだけなのだから。
 淡い風が吹き抜ける。端を攫われ、ケイナ達に被されていたフォルテのマントは少しだけ位置がずれた。それを、腕を伸ばしてゆっくりと彼が直す。
「あんまり自分を責めるもんじゃない。あの時出来ることを俺達は精一杯やり遂げたんだ。誰も文句を言ったりやしないさ」
 この六人の中で最年長であり、最も様々な経験を積んできているフォルテの言葉には重みがある。彼が言うのであれば間違いないと、信じさせる厚みがある。
 マグナは、止まらない涙で頬を濡らしながら頷いた。
「あり、がと……」
 息を詰まらせながら彼はそれだけを口にするのが精一杯で、またしゃくりを上げて鼻をすすりマグナはごしごしと目元を袖で拭った。ひりひりする手の甲には、何時付けたのかも覚えていない擦り傷がある。涙に濡れて、瘡蓋になりかけていた血が滲んだ。
 見かねたネスティが、荷袋を漁って白い布と塗り薬を取り出す。薬の残量は少なく、拒もうと一旦は手を引っ込めたマグナだったがネスティの叱りつけるような視線に渋々と傷のある方の手を差し出した。
 乳白色のクリームを、先に別の布で汚れをぬぐい去ったネスティの指が掬い上げる。生傷が絶えなかったマグナが度々お世話になっていたその塗り薬は、見た目とは裏腹に強烈に滲みてくる事を知っているから、マグナはつい構えてしまってぎゅっと硬く目を閉じた。
 事情を知らないフォルテは、怪訝な表情でマグナの治療光景を眺めている。それにも気付かず、彼は必死で痛みを堪えて唇を噛んでいた。
 慣れた手つきでネスティはマグナの右手に包帯代わりの布を巻き付けると、ほどけないように端をしっかりと結びつける。多少歪な形になってしまって、手を握り込めないという状態になってしまっていたが、応急処置なので仕方がない。
「有難う……」
「他に痛む場所はあるか?」
「うぅん、ない」
 本当は心が痛んでいる。けれどいくらなんでもそんな場所にまで薬を塗ることは出来ないから、マグナはネスティの問いかけに首を振って小さく呟いた。
 いつの間にか涙は乾いていた。頬には涙が流れた筋が少しだけ赤くなって残っているだけ、それも朝には消えているだろう。
「さ、話しは済んだんだ。もういい加減休まないと、明日が辛いだけだぞ」
 フォルテがぽん、と自身の膝を打って言う。ネスティは小さく頷いて返し、蓋を閉めた塗り薬が入った小瓶をぽーんと空中に弧を描かせて彼目掛けて放り投げた。
「うぉっ!?」
 綺麗に半円を描き出してフォルテの頭上に落下してくる小瓶を危なげない動きでキャッチした彼は、手の平に収まるサイズの瓶とネスティの顔とを交互に見た。そしてにっ、と歯を出して笑う。
「サンキュ。有り難く使わせてもらうぜ」
 軽く片手を持ち上げて礼を述べ、彼は早速小瓶の蓋を外しにかかった。あの見た目に騙された薬の痛さはいっそ潔いものだが、効果はお墨付きなのでマグナも彼に同情しつつ、止めることはしなかった。
 六人の中で一番傷を負っていたのは、一団の先陣を切って道を開いてくれた彼なのだから。
 彼がいなければ、自分たちはこうして無事ではいられなかっただろう。感謝の心を持って彼を見つめた後、ふっと息を吐いてマグナはネスティに凭れ掛かった。
「眠いか?」
「すこし……」
 今頃になって疲れがどっと押し寄せてきた感じだった。布越しに伝わってくる相手の体温が心地よくて、瞼が重くなる。ネスティはそっと手を伸ばすと、幼い頃彼を寝かしつけるときによくしていたように、トントンと背中を心拍と同じリズムで叩いてやった。
 空いている手で涙のあとを拭いてやると、くすぐったがってマグナが肩を揺らして微かに笑う。
「なんか、ホッとする……」
 居てくれて良かったと、本気でそう思った。
「そうか」
 ネスティの声は変わらなかったけれど、頬を辿っていた彼の指がマグナの額を隠している前髪を掬い上げたのを見て目線を上向ける。
 ぼんやりとしている間に、オヤスミのキスが降りてきた。
「明日も歩き通しになる。休める間に、休んで置け」
「ネスも……ね」
 向こうでは薬を早速たっぷりと傷口に塗り込んだらしいフォルテが、声にならない悲鳴を上げて悶絶していた。予測通りの彼の反応に、二人して笑いあう。
「明日になったら、いつもの俺に戻ってるから」
 だから。
 今夜だけは、甘えさせて欲しい。
 寝ころんだ草の上、柔らかな草と背中の間にネスティのマントが広げられる。こちらもフォルテのものに負けず劣らずの穴あきで、もう本来の機能は果たせそうになかった。
 少しだけ開いていた互いの距離を、すり寄る形で詰めるとネスティが頭の上で苦笑いを浮かべて腕を伸ばしてきた。もう片手は彼の枕代わりに使われていて、見上げると視線がぶつかりなんとなく気まずさを覚えて、マグナは自分から目を逸らしてしまった。
「ゆっくり……今は何も考えずに、眠れ」
 そう囁いて、ネスティは目を閉じる。それを気配で読みとり、マグナももう一度最後にネスティの顔を見つめて、目を閉じた。
 今はただ、明日が晴れる事だけを祈って。
 月明かりの下で眠る夜は、決まって夢を見なかった。