花火の夜

 色々なことがあった。
 色々なことが在りすぎて、頭の中が整理し切れていない面も大きい。
 けれど分かることは、これだけは言えるって胸を張れる事はある。
 俺は自分が決めた道を今ようやく歩き出せたこと、守りたいものを見つけたこと、一緒にいたいと思える仲間を作ることが出来たと言うこと。
 戦いは正直、好きではない。
 争わずに済むのならそれに越したことはない、戦争なんて……本当は起きない方がずっと良いんだ。
 国家とか政治とか、そういう頭の遙か上にある世界の話を振られても、正直そんなものに興味を持ったことがない俺にはいまいちピンとこない。青の派閥と金の派閥が争い合う理由も、正直なところ良く解らない。
 お互いを認め合い、競争しあうことでより高い場所を目指すのであれば、まだ少しは理解できる。けれど派閥間の争いはそういった、純粋なものではないのだと改めて教えられた。
 俺は、こういう世界では本当に無力だと教えられている感じがした。
 だからバカだって、ネスに怒られるんだよな……。
 なあ、俺ってそんなにバカ?
「そう言う質問を僕にぶつけること自体、既にバカである証拠だとは思わないのか、君は」
 隣を歩く人に問いかけると、即座にそんな言葉が投げ返されて、俺は「はいはい、そうですとも」と膨れっ面を隠しもせずに呟く。
「背筋をしゃんと伸ばせ。拗ねると猫背になるのは君のクセだぞ」
 ぺしっ、と軽く背中を手の平で叩かれてその痛みに自然と前屈みになっていた体勢が戻る。けれど膨れっ面が戻ったわけではなくて、恨めしげににらみ返すと彼は涼しい顔で受け流してしまう。
 毎度のことだからいい加減、慣れたけれど。
 もう少し労ってくれても良いのでは、とも思う。駄目なんだろうか。
「甘えるな」
 今度は軽く握った拳の背で頭を小突かれてしまった。何も言っていないのに、視線を向けただけなのに俺が何を考えていたのかお見通しらしい。
 流石に十年近く一緒に居るだけはある、あまり嬉しくないけれど。
 だって、俺のことばっかりネスに伝わって、俺はネスのことがちっとも分からないまま。これって不公平じゃないのか?
「僕は君の愚痴を聞きに出てきたんじゃないぞ」
「分かってるってば」
 小突かれた箇所を手でさすり、俺は頬を膨らませつつネスに声を投げ返す。まったく、どうしてこう、愛想がないかなぁ……。祭の夜くらいもっと楽しそうにしても良いと思うのに。
 そんな風に考えているうちに、大通りへと辿り着く。
 派手に飾られた山車がいくつも並んでいる、照明に光が灯されて此処だけが昼のように明るい。
 聖王都に負けず劣らず、きらびやかでにぎやかな祭。ほんの少し前この場で俺達はケルマの決闘を受けて戦ったのだけれど、そんなことは微塵も感じさせない。人々は互いに微笑み会い、騒ぎ合っている。酒を飲み、振る舞われる食事に舌鼓を打ってある人は踊り、ある人は唄い、それを見ている人たちはやんやの喝采を送っている。
 人々の営みが確かに此処にはある。
「戦争……」
 遠巻きに騒ぎを眺めている俺達。ぽつりと呟くと、ネスが「なんだ?」という顔を向けてきた。
 眼鏡の奧にある知的な瞳に影が走っていることを、ずっと俺は気にしていた。
 なぁ、その危惧の中身はなんなんだ? 俺にも言えないことなのか? 俺じゃ、ネスの力になれないのかな?
「どうした」
 大人しいな、と身体ごと向きを変えて俺の顔を覗き込んできたネスの視線から逃れようと、俺は首を振って一歩下がった。
 だって、「戦争なんて起きなければ良いのに」という言葉は、この祭の最中には似合わない。みんな、年に一度の祭に浮かれて、楽しんでいるというのにその賑わいに水を差すような事は言えない、言いたくない。
 俺だけが楽しめていない感覚が嫌だった。
 何のために、ネスを祭に連れ出したって言うんだ。少しでも今までの、そしてこれから起きるだろう戦いを忘れて楽しんで貰うためじゃないのか。
 俺がこんな事を言ったら、余計にネスは気にするだろう。そういう性格だから、責任感が強すぎるって言うのかな、兎に角そんな感じ。
 俺、バカだからこんな事しか分からないけれど……ずっとネスが何かを悩んでいて、ひとりで苦しんでることくらいは、分かる、から。
 出来るなら話して欲しい、ずっと一緒に居たのに。
 ネスは俺のことは全部知ってるくせに、俺はネスのこと、全然知らないんじゃなかったのかな。旅に出てからは特にそう思う。俺、ネスのこと何も分かってやれてない。それが悔しい。
「なんでもない、よ」
 苦笑いを隠して手を振る。そして視界の端に映った出店を理由に俺はいぶかしんでいるネスの手を取って小走りに駆けだした。その出店は、こんな祭でなければ見かけることのないお菓子を扱っていて、俺はそれが大好きだった。
「なんだ、またこれか」
 王都で祭がある度、俺はネスにこのお菓子を強請った。やれやれ仕方がないな、そんな顔をしながらもネスは財布を取りだして店の主人に代金を払う。
 甘い匂いを漂わせているそれは、俺の手の中でほこほこと湯気を立てる。ネスはこの甘すぎる味が苦手らしいが、俺は大好きだった。祭でなければ食べられないこともあって、確かに大きくなるに釣れて味は舌の上にしつこく感じるようになってはいたけれど、毎回俺はこれを食べる。これがなければ祭ではないとさえ、俺は思っている。
「虫歯になるぞ」
「これ一個だけじゃならないって」
 大口を開けてかじり付くと、甘さが舌の上いっぱいに広がっていく。どこか懐かしくて、甘いのにほろ苦い感じがした。
「ネスも、ほら」
 俺が囓った跡のくっきりと残る菓子を差し出すと、ネスは眉間に皺を寄せて不機嫌さを露わにする。
 彼がこれを苦手にしている事を知った上での嫌がらせであることを、彼はちゃんと理解しているのだろう。鼻先に突きつけられるだけでも嫌そうな顔をするネスを軽く笑い飛ばして、俺は二口目を囓ろうとした。
 けれど、その手をネスが遮る。
 横から伸ばされた彼の手が、俺の手首を掴んで後ろから、ネスが近付いた。
 カリッ、と硬めの表面を囓る音が耳の直ぐ傍で聞こえた。
「え、ネス……?」
「やはり甘すぎる」
 俺が囓った分よりもずっと少ない量だったけれど、ネスは確かに、俺が食べかけていた菓子を食べた。わざとなのかそうでないのかは分からないけれど、俺の囓った箇所の直ぐ横を。
 何故か顔が赤くなっていくのが分かった。
「嫌いじゃ、なかったのかよ」
 気のせいか声が上擦っている。ネスがしつこすぎる甘さに気を取られているのが幸いして、彼は俺の変化に気付かなかった。
「そうは言っていない」
 絶対に食べたくないというレベルではない、と眉間のしわをそのままに呟く彼の声を聞きながら、俺は菓子を囓った。最初のひとくちをどうしても避けてしまう、歪な形になってしまった円形の菓子が何故か恨めしく思えた。
 一緒にいることは当たり前だった、その当たり前が崩れるのが恐かった。
 派閥の決定で俺が旅立つことになった時、本当はどうしようもなく不安で心細かった。ネスが一緒についてきてくれると知ったとき、跳び上がりたくなるくらいに嬉しかった。
 また独りぼっちになることよりも、ネスと離れなければならない事の方が辛かったのだと今なら思える、分かる。
 孤児だった俺に初めて出来た家族、友人……心を許せる人。大切な、守りたい人。
 足は自然と騒がしい祭の中心部から離れて海岸へと向かっていた。
 人混みは消え、喧噪も遠ざかる。水平線の上にいくつもの舟が浮かび、灯された船上の光が淡い蛍の輝きに似て見えた。
 豊漁祭は本来、海に暮らす民が豊かさをもたらしてくれる海への感謝の思いを示すものだと教えられた。山間に暮らしていたアメル達が、実りの秋に豊穣祭をするのと同じ事だと言っていた。
 俺はずっと、街で暮らしていたからそういうものとは無縁で、年に一度の祭の意味も深く考えたことが無かった。
 ただ出店が出て山車が並び、観光客も多くやってきて珍しいものが見れて、食べられて、あちこちで騒ぎがあって兎に角みんなが笑い合っている日だとしか、認識していなかった。
 総ての行動にはなんらかの意味があって、意味のないことなどひとつもないのだと改めて実感する。
 だったら俺が此処にいること、此処にこうして生きていることにも、何か意味があるのだろうか。
 船上から打ち上げられた花火が夜空に花を咲かせる。
 王都の花火は建物や観光客の頭で邪魔されて、あまりちゃんと見たことがなかった。だから尚更、何も邪魔するものがない海岸から見る花火は今まで見てきた中でも、ひときわ綺麗で印象深いものがあった。
「な、ネス。俺さ」
 隣に立つ人を見る。少し俺よりも高い位置にある瞳が、俺を見下ろしている。
 花火が上がる、ふたつの大輪の花が夜の空を鮮やかに飾っている。
「俺、沢山守りたいものが出来た」
 仲間、友人、この街に暮らす人たち、この世界に暮らす総ての人たち……はちょっと言い過ぎかな?
「誰が何と言おうと、譲れないものが出来た」
 ぎゅっと握りしめた手の平に汗が滲む。
 どうして何も答えてくれないのだろう、いつもだったらこんな風に急に真面目になった俺のことをからかうのに。
 今日に限って、ネスは静かに俺を見ている。それって、結構卑怯じゃない?
 俺だけ、こんな風に必死になって頑張ってる。今ネスがどんな顔をしているのか見たのに、臆病者の俺は足許の砂ばかりを見て折角続けざまに連発されている花火もちっとも見ちゃいない。
「俺、さ」
 聖王都に来たばかりの頃、迷子になった俺をどうやってかいつも探し出して連れ帰ってくれたネス。
 わがままを言ってばかりの俺を辛抱強く見守って、つき合ってくれたネス。
 祭の夜に抜け出した俺を見つけだして、面倒見てくれたネス。強請る俺にお菓子を買い与えてくれたネス。
 な、知ってる? 俺ってさ、結構ひとりじゃ何も出来ないんだぜ?
 こんな事言ったら、自慢にもならないんだけど。その辺には自信ある、俺は俺ひとりじゃきっとこんな風になれなかった。
 ネスが居なかったら……もっと早くに色んな事から逃げ出していた。
 守りたいものは、アメルやレシィや、一緒に戦ってくれる人たち。
 譲れないのは、この場所。
「俺、ネスと一緒に居られて良かった」
「過去形にするんだな、君は」
 精一杯の勇気を詰め込んだ言葉は、けれどネスに呆気なく一蹴されてしまって俺が顔を上げる。
 見つめているネスの顔はいつになく優しいものに見えた。
 花火が上がる、今度はしだれ柳のような絵柄が空に描き出される。
「これからは一緒に居たくないって?」
「違う!」
 腹の底からの叫び声は花火の打ち上げ音に紛れて霞んでしまった。一瞬の光に照らし出されたネスの横顔が眩しい。
「俺、俺、は……」
 言いたい言葉は沢山あるのに、思い浮かばない。頭が回らなくて、もっと色々勉強して色々な場面になれていれば良かったと今頃になって後悔する。
 自然とまた俯いていく俺の頭を、ネスの手が優しく撫でた。そのまま柔らかい手つきで髪を掻き回される。
「心配しなくても、僕の隣は君の特等席だ」
 永遠に。
 ぽんぽんと優しく叩いてくる手は何処までも優しくて、俺は不本意にも泣きたくなってネスにしがみつくことでそれを誤魔化した。
 きっと、ネスには見透かされているんだろうけれど。
 彼は何も言わずに、傍に居てくれた。