力がないとか
戦う勇気がないからとか
そういう事で立ち止まっているわけではない
戦場に行くことだけが強さではない
戦わないことも強さだと
それを知らない愚か者が
戦場を広げていく──
広大に広がるデュナン湖をバックにそびえ立つ城は、数ヶ月前までは誰一人として近づこうとしない廃墟だった。それは、その城を囲むようにして広がる村が十数年前に一晩にして壊滅してしまったからに他ならない。だからその事実を知るサウスウィンドゥの人間達は、ノースウィンドゥには好んで立ち入ろうとはしなかった。
誰が予想したであろうか、この現在のノースウィンドゥ、いや、レイクウィンドゥの姿を。
かつての荒れ放題だった気配は微塵にも感じられない。不吉だから、と人をまったく寄せ付けなかった雰囲気も完全に払拭され、この城は遠い昔、赤月帝国との争乱に明け暮れていた時代を取り戻しているかの如くだった。
ただ、それが良いことなのかどうかは、分からない。
太陽の光を浴び風にはためく旗を見上げ、彼はそっとため息をついた。
重い足を引きずるようにして、栗色の髪の男はレイクウィンドゥ城の門をくぐろうとした。しかし、案の定門の脇に構えていた兵士に見咎められ、誰何の声を上げられる。
「私は……」
葦毛の馬の背から地面に降り立ち、彼はふたりの門番を交互に見る。まだ若い兵士で、血気盛んな年頃だ。ニキビ跡の残る顔立ちはまだ幼さがあり、彼らを戦場に送り出さねばならない現状を歯がゆく感じた。
「失礼ですが、どのようなご用件でしょうか」
丁寧な口調だが、慣れないためかどこか棒読みの具合がある。言葉の端はしに訛があって、この兵士がサウスウィンドゥの東に当たる地域の出身であることが読みとれた。
「私はサウスウィンドゥ市の代表として、この城の当主殿にお目通りを願いたく……あれは」
護衛の一人もつけず、馬一頭だけでやってきた彼を兵士達は不審の目で見つめている。サウスウィンドゥとここでは、急げば一日あればたどり着ける距離だ。しかし今は自他共に認める非常事態であり、何が起こるか分からない時でもある。たしかに迂闊だったかもしれないが、彼にだってこうしなければならない理由だってあったのだ。
「フリード?」
門の向こう側を何気なく通り過ぎていこうとしている眼鏡の男性の名前を呟き、彼はもう一度、今度はさっきよりもずっと大きな声で呼んでみた。
「フリード、フリード!!」
父の部下であった男が、門衛の前で大声を上げて手を振っている彼に気付き、目を見開く。一瞬呆気にとられて間抜けな顔になり、それからすぐにいつもの生真面目な表情を取り戻した。
「アルフレッド様!?」
驚きを隠さずにフリードは彼の名前を叫び、慌てて駆け出す。
「フリード、久しいな。元気そうでなによりだ」
「アルフレッド様こそ。ご無事とは伺っていましたが……」
「ああ。この通り、ピンピンしている」
何事か理解できていない兵士を置き去りに、嬉しそうなフリードが彼──アルフレッドを見てわずかに涙ぐむ。
「大の大人が、泣くことではないぞ」
「ですが……私は、グランマイヤー様をお守り出来なかったのです。あの時私がお側に控えていたなら!」
「……過ぎたことだ。それに、お前がいたとしても父の決意は変わらなかったはずだ。私でさえ、止めることは出来なかっただろう。最後の最後で、頑固だったな」
この時代には優しすぎた人だった、とアルフレッドは思う。たとえ自分が臆病者と死後までも誹られようとも、己一人の命で数百人の命を救えるのならば、と彼は喜んで命を差しだした事だろう。それは、ただ闇雲に闘いに突き進むことしかできない人間よりも遙かに、強さを必要とする事だったに違いない。
あの日、彼は偶然か運命か、サウスウィンドゥ市にいなかった。川を越え、山を越えたその先にあるティント市に用事があって出かけていた。その用事というものが、近々本格的になるであろうハイランドの攻撃を防ぐための増援を求める、といったものだったから悲しくもなる。結局、交渉が成立するしない以前の時点で、ハイランドはサウスウィンドゥを戦うことなく手に入れ、更にラストエデン軍によって撃退されてしまったのだが。
アルフレッド・グランマイヤー。それが彼の名前だった。
「トゥーリバーと繋がっている橋は全て落とされたと聞きましたが?」
「落ちていたよ、まだ。王国軍が撤退して、渡し船が出ていたからそれに乗って戻ってきた。本当はもっと早いうちに訪ねようと思っていたのだが、父が死んで政務が混乱していて、その収拾に当たっていたらこんな時期になってしまった」
連絡をいれようかとも思ったのだが、とアルフレッドはフリードを見て呟く。
フリ-ドに案内されて厩に馬を預け、彼らは城に入った。まだあちこちが改修工事中らしく、小気味の良い槌の音がそこかしこで鳴り響いている。
「ここの城主は、まだ子供だそうだな」
「セレン殿ですか?」
辺りを見回しながらアルフレッドが尋ね、フリードは立ち止まって振り返った。
「そういう名前だったかな」
「そうですよ」
ソロン・ジーの大軍を打ち破った英雄は、その右手に、かつての英雄ゲンカクと同じ輝く盾の紋章を宿す若干16才の少年だった。
流星の如く現れた救世の勇者に、ハイランドの横行にただうなだれるだけだった人々は希望の光を見いだしたという。
しかし、アルフレッドにはそれが信じられなかった。
英雄とか、勇者とか、そういうものに縋りたがるのは、いつの時代でも変わらない人間の浅ましさだ。現代に勇者と呼ばれている歴代の人の中で、真に勇者と呼べる者はその半分にも満たない。その多くは時代が作りだした妄想であり、人の弱さの象徴だ。
「お前に言うことではないのだろうが……私は、あまり良いことだとは思っていない。それは不幸な事だと、考えている」
新同盟軍の盟主は力を持っているかもしれないが、それが曲がった方向へいかないかを危惧している。そう付け足すように言うと、フリードは少しばかり曖昧な表情で首を振り、それから決意を秘めた瞳をアルフレッドに向けた。
「そうならないように支えるために、我々がいるのです」
グランマイヤーの元で働いていた頃とは違う、フリードの力強い眼に、アルフレッドはふっと息を吐いた。
「頼もしいな」
どことなく頼りないところがあったフリードが、今はたくましく見える。彼の変化が好ましいことなのは分かったが、その原因が戦争にあるのだとしたら、悲しい。
「それで、今日はいかようなご用件で?」
階段の前で立ち止まり、フリードが尋ねる。今頃思い出したのか、とアルフレッドはこのまま彼が気付かなければ自分はどこへ連れて行かれたのだろう、と不安になった。
「代表の方に目通り願えたら、と思ってきた。相談がある」
あらかじめ連絡もなにもやらずに突然やってきておいて、この要求がいかに自分勝手な申し出かは分かっているのだが、グランマイヤーの死によってサウスウィンドゥの市政は混乱の極み。更にフリードまでいなくなったとあっては、重要書類がどこにあるのかさえ把握できなくなっていた。
他にも逃げ出した市民が戻って来て、周辺の村々からの避難民も押し寄せて、一気に人口が増した。新同盟軍から送られてくる指令書の内容も、そのままそっくり受け入れることのできないものになってきている。
アルフレッドは何度か、レイクウィンドゥに親書を送っている。しかし返事はない。手紙では駄目だと思い知り、ならばいっそ直接会って話し合える機会を持ちたかった。絶対に断られない、図々しいと思われても代表者との会談の席を持つために、彼は予約もなく一人でやってきた。
それだけの覚悟があっての事だと、少しは物わかりのいい人ならば理解してもらえると踏んでの事だった。
「セレン殿は今、トゥーリバーに行っていて留守なんですよ」
「そうか」
「でも、大丈夫ですよ。シュウ殿がいらっしゃいますから」
フリードの言葉に落胆を見せるアルフレッドに、彼はすぐにフォローを入れた。
「シュウ?」
「軍師殿です」
「軍師……戦争屋か」
「…………ですが、シュウ殿がいらっしゃらなかったら、我々は今こうして生きていないでしょう」
戦争を商売道具にしている軍師に対し、アルフレッドはあからさまに不快感を示す。フリードの言うことも分かるが、心が追いつかない。
「シュウ殿、よろしいでしょうか?」
二階に上がり、重厚な扉をノックしてフリードはノブを回した。中は薄暗く、床にまで本や書類が散乱している。部屋の中央に置かれたテーブルの前に、一人の男性が座っていた。
長い黒髪、整った顔立ち。しかしどことなく冷たい印象を与える。顔を上げた男はフリードを見て入るように眼で合図した。
「失礼します」
几帳面に礼をし、フリードがまず中に入る。続いてアルフレッドが、床に散った紙を踏まないように注意しながら中に入り扉を閉めた。狭い。
「そちらは?」
読んでいた本にしおりを挟み、男──シュウはアルフレッドを見て聞いた。
「はい。サウスウィンドゥ市長グランマイヤー様のご長子であらせられます、アルフレッド様です」
死んでしまった人間をまだ市長の座に置いているのは、なにもサウスウィンドゥだけではない。グリンヒル市だって、現在も市長職は不在だ。かわりに代行が市政をとっている。アルフレッドもそれと同じ状態にあった。
「……そうか」
本を閉じテーブルに置いて、シュウは立ち上がった。ゆっくりとした歩調で歩み寄り、アルフレッドを値踏みするように見つめる。
「お初にお目にかかる。私はこのラストエデン軍軍師筆頭をやっているシュウと申します」
右手を差しだして握手を求めてくる。それに応じながらも、アルフレッドは居心地の悪さを感じていた。
「軍師……では戦争が終われば、政界にでも?」
だから、そう言う皮肉を言ってしまいたくなった。
「生憎と、人煩わしい世界には興味がありませんので。以前のように、一介の商人に戻りますよ」
「それは、残念です」
軍師なんかよりもずっと政治家に向いている、というのがアルフレッドのシュウに対する第一印象だった。そう、この人の腹の内を探り合う話し口や態度や、人を見下し自分の優位性を常に確保できる度胸と技術。これらは軍師と言うよりもずっと政治家に必要なものだ。もちろん、軍師にだって必要な要素なのだろうが。
「それで、そのサウスウィンドゥ市長代行殿が、このような城にいかようなご用件で?」
グランマイヤーの息子であるから、市長代行を任せられている、とでも言いたげな口調のシュウに、アルフレッドは胸の内でため息をついた。
「これを……ご存じでしょうか」
懐から取り出した手紙をシュウの前に差し出し、アルフレッドはフリードをちらりと見た。彼は退出する様子がない。ここにいるのが当然だと思っているのかもしれない。それともサウスウィンドゥの現状を聞く権利があるとでも思っているのだろうか。
アルフレッドから渡された手紙を広げ、そこに記されている文面を流し読みしていくシュウの顔に、やがて厳しい表情が加わる。
「3日ほど前、市庁舎に届けられました。ひどい冗談だ。悪ふざけもいいところだ」
吐き捨てるように言ったアルフレッド。シュウの顔も険しい。ただ文面を知らないフリードだけがおろおろし始める。
「あの、一体なにを……?」
「確かに、悪い冗談だと……言いたいですな」
テーブルに片手をつき、シュウがこめかみを押さえる。アルフレッドはその様を見て、それが芝居ではないことを実感した。
──知らなかった、ようだ。
ならばこの手紙は、シュウの名前を語った、まったく別の人間によって書かれたものに他ならない。いや、確かめに来る前からそのことは薄々感じていたのだ。しかしそうでない可能性も捨てきれなかった。
「読んでみろ」
まだおろおろしているフリードに手紙を突きつけ、シュウはため息をつく。こめかみを押さえて彼はフリードが読み終えるのを黙って待った。
「これは、シュウ殿、これは一体……?」
予想していた通りの反応を見せるフリード。彼は書状とシュウ、そしてこれを持ってきたアルフレッドを交互に見る。その視線は困惑に染まっていた。
「心当たりは無い、と?」
その一方でアルフレッドの態度はひどく冷静だ。今の彼の視界にはシュウしか入っていない。慌てふためくだけのフリードには、用がないとでも言いたげだ。
「申し訳ないが、これは私が書いたものではない。捺印もまったく別のものだしな。……心当たりがあるのは、そちらではないのかね?」
椅子に座り直し、腕を組んだシュウが試すようにアルフレッドを見上げる。視線を受け、アルフレッドは沈んだ表情で小さく頷いた。
「残念ながら、と言うしかありませんね。貴方が出したものでないとしたら、導き出される答えはひとつしか残らない」
そしてアルフレッドがため息と共に吐き出した名前の主は、それまで半ば呆然と話を聞いていたフリードを更に混乱させるのに十分すぎる人物だった。
「サウスウィンドゥ防衛軍総司令官……なるほど。そういうことか」
名を聞き、納得がいった様子でシュウが頷き返す。
サウスウィンドゥの軍事力は大きくはないが決して小さいわけでもない。軍の最高責任者はその時の市長に与えられているが、実際の指揮を執るのは市長より任命された司令官だ。司令官は市長の決定した大まかな目標を達成するために、軍を動かす。今回、彼らはグランマイヤーが戦いを放棄したために、戦うことなくハイランドの白狼軍の配下として吸収されてしまった。それは戦士として屈辱以外の何物でもなかっただろう。
だが、市長制を敷くサウスウィンドゥの軍は、規律で定められているままに市長の命令には絶対でなくてはならない。戦えと言われれば戦い、戦うなと命じられれば、絶対に敵に剣を向けてはならないのだ。
そして歴史が物語るように、戦争がひとたび始まってしまえば、勢力を持つのは平和的な解決を望む穏健派ではなく、軍事力で物を言おうとする強行派なのだ。
サウスウィンドゥ市はグランマイヤー亡き後、新たな市長を立ててはいない。すなわち、軍部を牽制し押さえつけられる人物がいないことになる。いくらグランマイヤーの息子であるといっても、アルフレッドはまだまだ若輩者の域を出ない存在でしかなく、軍部にとっての脅威とはなりえなかった。
「率直に聞きます。貴方は、サウスウィンドゥをどうされるおつもりか」
現在サウスウィンドゥ市は独立を保ったままであるものの、ラストエデン軍の存在はすでに視界から取り除くことの出来ない存在になっている。新同盟軍の旗を掲げる以上、両者の関係を早い内に確固たる物に定義付けしておく必要がある。それが無かったから、あのような勝手極まりない内容の書状が届くのだ。
「軍の存在はこの戦況にあっては外すことの出来ないものであることは認める。だが軍はあくまでも人民を守るためにあるのであって、軍あっての民衆では決してあり得ないのだという認識が足りなさすぎる」
軍部に提供される食糧の大幅増量と、人員補給。資金提供の増額までも要求項目に入っていた。それら全てを叶えようとしたら、税率が現行の二倍以上に膨れ上がってしまう。そんなことをすれば、どうなるか。下手をすれば暴動に発展しかねない。
「私たちは、ラストエデン軍が白狼軍との交戦の際にハイランドから離反したサウスウィンドゥの軍は、既にラストエデン軍に吸収されているのだと判断していました。現実に、市を守るために戻ってきた一部の隊を除いた兵員は今もこの、ノース……レイクウィンドゥ城に残っているではありませんか」
だから、アルフレッドは書状の内容を読んだとき、これが本当にシュウの書いたものであるのかそうでないのか、判断に窮したのだ。
「私の中では、サウスウィンドゥ軍はサウスウィンドゥ市の判断の下、当軍に参加しているものだととらえている。こちらに軍の指揮官達が残っているのは、サウスウィンドゥにいるよりも此処にいる方が各地の状況をより早く手に入れられるからだと、私はそう、聞いているが」
「私の知る限りでは、そのような話はこちらには届いていません。だから私は、それを確かめたくてここに出向いたのです」
「つまり、軍部が独自の判断で動いていると?」
「いいい、一体何のために、そんな事を!?」
フリードが横から話に割って入って来た。彼の頭の上にはいくつものクエスチョンマークが飛び交っている。
「いいか、司令部の連中は私の名で市に対して増税の要求を出す。市がそれを受け入れれば、増やされた分だけ自分たちの取り分が増えるだろう。サウスウィンドゥの軍は我々の傘下に入っていると、市の方は勝手に思いこんでいるのだからな」
「何故シュウ殿の名で出されなくてはならないのです。おかしいではありませんか」
「言っただろう、フリード。サウスウィンドゥ市側は軍部が、すでにラストエデン軍に組み込まれていると思いこんでいた、ということを。ラストエデン軍宛に送られてきた兵糧は、だが実際は我々の手に届く前にサウスウィンドゥ軍によって隠される。もちろん、私たちは我々に対してサウスウィンドゥが食糧を送ってきたということを知らないのだから、誰かに気付かれる心配もない。市は混乱が収まりきっていないから、無事に届けられているかどうかの確認もろくに出来ないと、踏んでの事だろうが……」
そこまで言い、シュウは一旦言葉を切った。フリードは話の半分ほどを何とか理解できた程度らしく、まだいくらか頭の上にはてなマークが浮かんで見えた。
「奴の目的はなんだと思う」
誰の、とは聞かないシュウに、アルフレッドは首を振る。
「分かっているのだろう。それを認めない限り、軍は増長するだけだぞ」
厳しい言葉に、アルフレッドは視線を足下に落とした。それを見てますますフリードが慌てふためく。いい加減、見苦しく感じられた。
「いい、構うな。シュウ殿の言う通りなのだから……」
まるで虐められているようなアルフレッドをなだめようとするフリードを押しとどめ、彼は前髪を掻き上げた。
「ええ、そうです。私は知っています。サウスウィンドゥ軍司令部が何を狙っているのか。彼らは、……父が戦いを避けたことを、恐れをなしての事だと散々に批評していた。父がどんな思いで白狼軍との戦いを回避したか、何故無血開城を許したのか。父は巻き込みたくなかったんだ、町が戦場になれば市民に犠牲者が出る。家を失い、路頭に迷う人々が出る。戦争をしていい事なんて何もない、だから父は……」
拳を握りしめ、今までずっと胸の内に秘めてきた本音を吐きだしたアルフレッドは、だが途中で自分が何を言っているのかに気付き、口をふさぐ。
「…………貴方に、言うことではなかった……」
自ら民衆の先頭を切って戦いに出向いているシュウとラストエデン軍を前にして、戦争批判をするなんて、矛盾している。
「我々とて、望んで戦場に立っているわけではない」
重い口を開き、シュウが呟く。
「だが、誰かがやらなければいけないことだ。自分を守るために、大切なものを守るために。人は時として戦わなければならない。それが今なのだと、私は考えている」
「知っています……」
だがそれは自分の行為を正当化するための逃げの口上だと、アルフレッドは心のどこかで思っていた。
シュウの言うことは分かる。しかしそれと同じくらいに、その考え方は間違っているのだと思えるのだ。
「それで、君は私に何を望むのかね?」
テーブルを指で叩き、シュウがアルフレッドを見上げる。その瞳の冷たさにアルフレッドは一瞬息を呑んだ。
「…………それは…………」
言おうと思っていた言葉が出てこない。シュウの視線に気圧されて、アルフレッドはつい、一歩引き下がってしまった。だが彼を思いとどまらせたのは、亡き父が愛したサウスウィンドゥの市民の笑顔だった。
戦時下に入り、民の表情からは日毎に笑顔が消えていく。暗く沈んだ表情で昼間でも家の中に引きこもってしまっている人々を、何とか昔のように明るい空の下に戻してやりたい。だが戦う力を持たないアルフレッドは、彼らを守ってやることさえ出来ない。
軍隊が必要なのだ、守るためには。だが、守るために別の誰かを傷つけていいはずがないから。
だから、自分に出来る戦いを、彼は選ぶ。剣を握り戦場で血を流すだけが戦いではないのだと。
「私は……サウスウィンドゥをこれ以上戦乱に巻き込みたくはない。もちろん、それがいかに難しいかは分かっています。ですが、私は皆を守りたい。あなた方とは違うやり方で!」
力を持つ者が力のない者を守る。それは当然のことだろうか。この世の中で、本当に力のある人間なんて存在するのか? 人間は弱い。弱いから強くなれる。己の弱さを補ってくれる仲間がいるから、人はどこまでも進んでいける。不可能が不可能でなくなるのだ。
「ですから、当然ながらこの手紙は受け取ることが出来ません。そして、サウスウィンドゥ市に対して造反の疑い有る司令部もこれ以上我々の手元に置いておくこともできません。私はサウスウィンドゥ市の代表として、サウスウィンドゥ軍を正式に、ラストエデン軍の一部隊に加えていただき判断を任せたく思います」
腕を組み直したシュウが小さく唸る。
「ラストエデン軍は、ゴミ捨て場ではないぞ」
「無論、見返りは出しましょう。ですが、不当な請求は止していただきたい。我々にも日々の生活というものがある。援助は惜しみませんが、サウスウィンドゥ市がラストエデン軍に吸収されるのだけは願い下げですから」
「……考えておこう」
政治的野心を持っている人間を押しつけておいて、それはないだろうというのがシュウの本音だったが、それを口にするのは彼のプライドが許さない。結局はアルフレッドのいいようになってしまった、というわけだ。
「ご理解いただき、感謝の言葉もありません」
言いながらアルフレッドは笑っている。シュウは面白くなくて、もう一度彼を睨み上げた。しかしもう慣れてしまったのか度胸が据わったのか、彼はまったく堪えた様子なく、さっぱりした顔をしている。
「あの、それでは……」
話に完全に置いて行かれていたフリードが腰を低くして聞く。
「サウスウィンドゥ軍の司令部は、ラストエデン軍の中に組み込まれるのですか?」
「そういう事になるな。不本意ながら、仕方あるまい。どの道、いつかは決着をつけなくてはならない事だったのだしな。だが、簡単に納得はしてもらえないやもしれん」
嫌味をまじえたシュウの言葉に、アルフレッドは笑うのをやめてシュウをまっすぐに見返す。
「それが軍師殿の役目でしょう。生憎と私は戦いや軍人に関しては素人以下でしかありませんから」
完全にシュウに押しつけてしまえ、という気持ちがありありのアルフレッド。思わずシュウは歯ぎしりした。自分と同年代の男に言い負かされるのは好きではない。だが軍師としての才能には溢れていても、シュウは政治家としての言葉の駆け引きはまだまだだった。売り言葉に買い言葉は、商人として生活していたときからしてはならないことの五箇条に数えられていたというのに。
「シュウ殿が話の分かる方で、本当によかったですよ」
ふふふ、と笑いをこぼしながら言うアルフレッドを、歯ぎしりしながらシュウは見上げた。
「君こそ、父君以上の市長になれるだろう」
「それはどうも」
皮肉をさらりと受け流し、アルフレッドはお辞儀をする。いつもらしくない、やられっぱなしのシュウを、フリードはちょっぴり憐れむ眼で見つめていた。
──シュウ殿とアルフレッド様は、タイプ的によく似ておられるから……。
そういう問題ではないのだが、フリードにはそれくらいしか言えなかった。
「それではよろしくお願いいたします。私にも何かと公務がありますので、今日のところはこれで。また後日正式な通達を持って伺わせていただきますので、その時にお会いしましょう」
トドメを刺さんばかりの満面の笑みを浮かべるアルフレッドは、完全に己の勝利を確信していた。ついでに、この確信が揺らがない内に退散を決め込んでしまう。彼はシュウが時間を置けばすぐに復活してしまうだろうことを、すでに予測済だった。
「それでは~~」
楽しそうだ、アルフレッド。
そそくさとアルフレッドが立ち去り、扉が閉じられるのを待ってからシュウは思い切りばん!とテーブルい拳を叩きつけた。
「屈辱!!」
シリアスモードでテーブルを睨み下ろすシュウを、フリードは一抹の不安を持って見守る。だがすぐに、触らぬ神にたたり無し、と彼もアルフレッド同様にそそくさとシュウの部屋から退散した。
「おのれ、この恨みいつか晴らしてやる……!」
ぎりぎりとテーブルを引っ掻きながら、シュウは不気味な笑い声を立ててちょうど前を通りかかったアップルに気味悪がられてしまった。
数日後。
約束通りにレイクウィンドゥ城を今度は公式訪問したアルフレッドは、だがシュウの部屋でまた何故かにらめっこをするハメに陥っていた。
「シュウ殿?これはどういうおつもりですかな?」
ぴらぴらと先ほど会議場で渡された一枚の書類を揺らし、こめかみに怒りマークを浮かべながらもなおかつ笑顔なアルフレッドが尋ねる。
「見ての通り、ですよ。サウスウィンドゥ市に対する予算編成の要望書です。この程度の字も読めないと?それはお気の毒に。なんでしたら今代読して差し上げようか?」
「結構です!」
にやり、とシュウが嫌な笑みを浮かべアルフレッドの神経を逆なでする。
「あなた方は、我々サウスウィンドゥを食料庫か何かだと勘違いなさっているのでは!?」
「援助を約束して下さったのはそちらでしょう。私は正当な請求をしたまでのこと」
「これのどこが正当なのですか!!」
テーブルが割れるのでは、と思わせるくらいに強く卓を殴りつけアルフレッドが吠える。シュウが示した食糧支援額は、かつてサウスウィンドゥ市が軍に対して供給していた額のその約2倍だったからだ。
「こちらは命を張っているのだ、当然の権利でしょう」
「あなた方が戦場でのたれ死ぬよりも先に、サウスウィンドゥの市民が飢えて餓死しますよ、これでは!」
「これだけは譲れませんな。サウスウィンドゥは農耕で栄えている一帯なのだから、倉庫をあさればこれくらいは出せるでしょう」
「我々が出し惜しみしているとでも!?」
今にもとっくみあいの喧嘩になりそうな険悪な雰囲気で睨みあうふたり。それをまたしてもおろおろと見守るだけのフリード。そのさらに向こうでは彼の妻ヨシノが、何を勘違いしたか、
「あらあら。お二人はとっても仲良しでいらっしゃるのですね」
とにっこり。
「大体君は文句が多すぎる。たまには苦労を味わってみてはどうかね」
「それとこれとは話がまったく別問題でしょう。それに私だって苦労のひとつやふたつ、背負って生きています。周りが格下ばかりの貴方には、到底想像もできないような苦労がね!」
「格下!?私を侮辱するならまだしも、兵達を侮辱するのは聞き捨てならん!」
もしここでふたりの間に流れる効果音を言葉で表現するならば、『ズゴゴゴゴゴゴゴゴ!』であろうか。
「あ、あ、ふたりとも、やめて下さいよぅ」
ひどく弱腰なフリードが一応止めにはいるが、彼の声なんてシュウにもアルフレッドにも届くわけがない。
「貴方とは一度はっきりと決着をつけておく必要が有りそうですね」
「それは良かった。私もちょうどそう考えていたところなのだよ」
ふっふっふ……という怪しい笑い声がふたりの口からこぼれてきて、辺りが一気に黒く歪んだ世界へと変貌する。
「あああ、早く帰ってきて下さい、セレン殿……」
きっとこのハブとマングースの戦いを止められるのは、あの少年だけだとフリードは涙した。
戦いが正義だと誰が決めた
逃げることが罪だと誰が決めた
血を流し涙を流し傷を負い心をえぐられ
それでも戦う意味が何処にあるのだ
忘れてはならない 人は常に己と闘っている事を
戦場に生きるだけが全てではない
残された者達も君のあずかり知らぬ場所で闘っている
それは ヒトの闘い──