Fortune

 最近どうも、仲間達が冷たい気がする。
 リビングのソファでくつろぎながら、ユーリはそんなことを考えていた。
 忙しそうに室内を掃除して回っているアッシュも、何故かユーリの方を見ようとしない。いつもならユーリの視線に気付くと振り返って愛想笑いくらいは浮かべてくるのに。
 おかしい。
 自然と眉根に皺が寄って、顔が不機嫌になる。
 アッシュだけではない、普段からユーリに様々に悪戯を掛けてくるスマイルまでもが、このところ不気味なほどに静かだった。こちらから声を掛けても、どこかよそよそしく離れていってしまう。
 なにか嫌われるような事をしただろうか、それもdeuilメンバー全員に対して。
 ここ最近の自分の行動を振り返ってみるが、多少意見の衝突があったとは言えそれはこれまで何度も繰り返してきた事と同レベルであって、こんな風に変にユーリが孤立するような程度のものではなかったはず。思い当たる節がなくて益々不機嫌を表に出していると、不穏な空気を感じ取ったのか、アッシュが掃除機を片手にこそこそと部屋を出て行ってしまった。
 文字通りひとり取り残されてしまい、今更居場所を変えるのも面倒なのでユーリは力を抜いてソファに深く身体を沈めた。憂鬱な面もちで天井を見上げるが、それも持ち上げた右手を顔の上に落とすことで視界を遮ってしまう。
「もうじきなのだがな……」
 呟いた声は覆いにした右手に跳ね返って響かなかった。

 その頃、スマイルはずっと悩んでいた。アッシュも他の仲間達も同様に悩んでいたのだが、スマイルの悩み様は端から見ていると可笑しいのではないか、と思うくらいに彼は悩んでいた。
 今日もまた、悩みながら歩いていた所為で電信柱と正面衝突を繰り返すこと、幾数回。そろそろぶつけすぎておでこにたんこぶが出来てもおかしくなさそうだ。
 そして、また。
 ごんっ。
 見るからに痛そうな音を立ててスマイルは店頭に立てられていた看板に頭から突っ込んだ。一緒に歩いていたアッシュが、またかという顔で数歩先から振り返る。
「大丈夫ッスか~?」
「…………いった~い!」
 反応が、遅い。
 ぶつけてから二秒ほど経過してからの悲鳴に、アッシュは肩を落として溜息をついた。額を押さえて看板から離れたスマイルが、涙目で痛みを堪えながら彼の方に近付いていくが、通りがかりの見物人はクスクスと口元に手をやって笑っている。正直、一緒に歩いていると恥ずかしい。
「歩いてる時ぐらい、歩くのに集中したらどうスか?」
 こうも何度も頭をぶつけていては、考えている事も途中で忘れてしまわないだろうか。余計なお節介とはいえ忠告を口にしたアッシュに、スマイルも曖昧に笑って頷くが様子は上の空でアッシュの言葉など殆ど聞こえていないに違いない。この一週間ずっとこの調子で、ひとりで出歩かせるのは不安だからとなるべくアッシュが付き添うようになっているのだが。
 これでは城に置いてきた方がまだマシだったかも知れない。
 買い物袋を両手に抱え直してアッシュはそっと息を吐く。スマイルもそれなりに両手に荷物を抱きしめているが、中身は洗剤だったり石鹸だったりと多少ぶつけても問題ない生活雑貨ばかり。あちらの袋を彼に持たせて正解だったと、心の中で呟いた。
「ほーらー、もうじきスから」
 このまではまた別の障害物にぶつかっていきそうな勢いのスマイルの腕を半ば強引に掴み、アッシュは家路を急ぐことにした。夕暮れは間近に迫っている、早めに城に帰り着いて夕食の支度を始めてしまいたかった。
 体格的にも体力的にも勝っているアッシュに引っ張られる形で、スマイルも道を急ぐ。その間も彼の頭の中は、いよいよ明日にまで迫ってしまったユーリの誕生日プレゼントを何にするかでいっぱい。
 アッシュは得意の料理の腕を揮ってご馳走を作ると言うし、音楽業界の仲間達もそれ相応のプレゼントを用意してくるだろう。そんな大勢の人たちからのプレゼントとひとつも重なることなく、なおかつ誰よりもユーリが喜んでくれそうな贈り物は一体なんだろう。
 それが、ここ数日スマイルがずっと悩み続けている内容だった。
 いっそユーリ本人に何が欲しいのか聞いてしまえば楽なのだろうが、今回は彼を驚かせる為に当日までパーティーの内容は秘密、とみんなで口裏を合わせているから迂闊に聞き出すことは出来ない。
 全員が全員、ユーリの誕生日に関しては口を紡ぎ隠そうとするから、逆にユーリは周りからひとり浮いてしまった感覚に陥ってしまっている事は誰もが気付いていた。だがだからと言って今彼に秘密を知られるわけにもいかないので、心苦しさを覚えつつも無視を決め込んでいる。
 すべては、明日という一日の為だけに。
 ご馳走の献立はもう決まっているらしく、買い物もいつもより量が多いアッシュは気が楽そうだ。自分にも彼のような音楽以外の特技がひとつくらいあれば良かったのに、とスマイルはどうしても思ってしまう。
「心がこもっていれば、ユーリはなんだって喜んで受け取ってくれるッスよ」
 未だ贈り物が決まらないスマイルを推し量って、アッシュは振り返り努めて明るい口調で言う。
「そうかもしれないけどねぇ……」
 いくつか候補はあった、だがどれもありきたりすぎたし、何時でも手に入るようなものばかりだった。アクセサリー、宝石、洋服、時計、その他諸々。
 雑誌やテレビ、色々な人にアドバイスを仰いだりもしたけれどどれもイマイチしっくり来なくて、結局買わずに来てしまった。
 タイムリミットはあと一日。明日の夜はもうパーティーが始まってしまうから、それまでに決めてしまわなければならない。だが、今になっても何が一番良いのか思いつかない。
「スマイルは考えすぎッス。一度、別のことを考えて羽を伸ばしてみたらどうッスか?」
 捜し物は捜している時には見付からなくて、諦めて捜すのを止めたときに見付かる、という話を例に出してアッシュは笑った。そうかもしれない、とスマイルも頷く。
 あまり時間は無いけれど、試してみても良いかも知れないと。
「明日、街の中をうろうろしながらもう一度ゆっくり考え直してみる」
「それが良いッス」
 にこりと笑い合うと、心が少し軽くなったような気がした。
「あ、そっち半分持つよ」
 よく見ればアッシュの方が荷物は大きくて重そうだ。スマイルがぼうっとしていたから今まで気付かなかったが、アッシュも随分とスマイルに気を遣ってくれていたらしい。
「じゃあお願いするッス」
 三つあったスーパーの袋のうち、一番中身の軽いものをスマイルに手渡し、アッシュは荷物を抱え直した。
 顔を上げると、目の前の空に夕焼けが綺麗に広がっていた。

 
 次の日。
 スマイルは朝食を誰よりも早く平らげると「行ってきます」の言葉もなく城を出て街へ向かった。そして人通りが徐々に増えていく大通りを眺めながらぼんやりと、プレゼントをなににしようか考える。
 アッシュはああ言っていたが、実際考えるのを止めようとすればするほど、スマイルの頭の中はユーリのことでいっぱいになってしまう。
 ユーリならきっと、どんなにつまらないものでも喜んで受け取ってくれるだろう。だがそれでは不満なのだ。もっと、一番彼が喜んでくれそうな……他の誰にも見せたことのないような笑顔を見せて欲しくて、我が侭と知りながらそう願ってしまう。
 誰にも負けないこの世でたったひとつの贈り物を君に。贅沢な願いはそう簡単に叶えられるはずがなく、当日になっても未だ良い答えは見えてこない。
 ガードレールに凭れ掛かり、溜息をついて彼は視線を上空に向けた。青空の中を、小さく飛行機が飛び越えていくのが見える。
 世界はこんなにも小さいのに、人の心は広すぎて掴み所がない。ねえ、どうすれば君は笑ってくれるのかな。
 問いかけたい言葉を呑み込んで、視線を戻したスマイルはもう一度盛大に溜息をついた。そして立ち上がり伸びをする。
 もうじき昼飯時だ、コンビニ帰りらしいOLやスーツ姿の人が目立ち始めたオフィス街を離れ、彼はショッピング街へと足を向けることにした。
 人混みは一気に増す、酔いそうな程の人の多さに軽い眩暈を覚えつつ、ユーリの為、と自己暗示をかけてスマイルは店のひとつひとつを覗き込みながらピンと来るものがないかと歩き続けた。
 洋服。ユーリはブランドを固定しているし、ステージ衣装は専属のデザイナーに依託しているからパス。
 アクセサリー。既にユーリは沢山持っているし、プレゼントの中身は実はコレが一番多い。どれが誰の贈ってくれたものか把握出来ていないことも多くて、使い道にも困ったりする事が多かったりするので論外。
 食べ物。アッシュの料理に勝てるものって、ある?
 宝石。魔力が込めやすい石は相性があるので、ユーリが自分で選んだものでないと結構危険。問題外。
「どうしよっか……」
 溜息しか出てこなくて、人波を避け路地の奥まったところに身を寄せたスマイルは心底困った顔で呟いた。昼を過ぎても、ナイスアイデアは一向に浮かんでくる気配がない。
 このままでは本当にプレゼントが間に合わないかも知れない。それだけは避けたいのに、その可能性が歩み寄ってくる足音を背後に感じて、冷や汗が流れる。
 きっとプレゼントが無くてもユーリは怒らない、そのかわり、悲しむだろう。君にあげたいのは笑顔なのに、それが出来ない自分が不甲斐なくて悔しい。
「ねぇ、ユーリ。君は、なにが欲しい?」
 ここにいない人に向かって問いかける、勿論返事などない。
 分かっていても問わずには居られなかった、答えが知りたくて。
 おめでとうの言葉だけでも君は笑ってくれるかもしれない、喜んでくれるだろう。でも、形が欲しい。ちゃんと後になってからでも思い出せるような、はっきりとした形のあるものを贈りたい。
 証拠を求めているなんて、そんなものが無いと安心できないのは自分の方だ。
 ちゃんと伝えられたよ、と自分に言えるようなものを自分が欲している。
 コンクリートの壁に背を預けて、目を閉じて少し黙り込む。深呼吸を繰り返してみて、狭い路地の天井から見える空をしばらく眺めていると、不意に音楽な耳に流れ込んできた。
 それは少し古めかしい感じのするリズムを刻んだ、恋の歌だった。
 哀しいほどの片思い、伝えることの叶わない想いならいらない、どうか受け止めてください――精一杯の勇気を、この四つ葉のクローバーに託します、貴方に。
 時折通り過ぎていく乗用車の排気音に邪魔されながらも、断片的に途切れながら聞こえてきた歌詞は切ない片思いを胸に秘めた少女を謳っていた。もうずいぶん前に、それほど流行もせずに消えていった歌手の唄だろう、ラジオのDJが告げた名前に聞き覚えは無かった。タイトルも聞こえなかった。
 だのに妙に心の中に残る歌詞。
 ああ、そうか。そういうものなんだっけ、恋をするって。
 今更に自分が胸に抱えていた感情の名前を思い出して、スマイルは苦笑いを浮かべた。壁から背中を離し、雑踏の中に紛れる。向かう先は、もう決まった。
「間に合うよね、絶対」
 誓うように力強く呟き、彼は少し足を速めて先を急いだ。

 パーティーは随分と華やかなものになっていた。
 ユーリが出かけている一瞬の隙に、押し寄せた全員でリビングを飾り付け、アッシュが用意した料理を並べて。プレゼントはファンから届けられたものも合わせると本当に山積み状態で、中になにが入っているか調べるのだけでも時間と労力が必要になりそうな程だった。
 お祭り好きの面々が揃ったこともあって、しかも場所がユーリの城とあって、ご近所迷惑を気にすることなくみんながみんな、大騒ぎ。唄え、踊れ、騒げ、食え飲め一発芸やらなんやらかんやら。喧々囂々、好きなだけ騒ぎ周り、未成年者が門限を気にして帰っていったあとも、時間を気にする必要のない大人達は静まるどころか益々ヒートアップ。
 本日の主役、ユーリさえ忘れ去ったような勢いでどんちゃん騒ぎの大宴会は続いている。
 いつもなら、誰よりも大騒ぎをして輪の中に飛び込んでいく存在が欠けている事は、誰も口に出さなかった。
 なによりユーリ自身が、その事を酷く気にしていたから。
 みんな、スマイルが誰よりもユーリへの贈り物に悩んでいたことを知っている。アッシュが準備時間の間に、彼が朝から出かけている事は教えられていた。
 ユーリはこの秘密にされていたパーティーにとても驚いて、喜んでくれた。ひとりひとりからプレゼントを受け取っては礼を言い、笑顔で答えてくれていた。
 けれど、その笑顔もどこか少し、寂しげだった。
 たったひとりの存在が其処に居ないだけで。
「何処まで行ったんだろーねー」
「案外、その辺で遊びほうけて忘れてたりして」
「まっさかー。アイツに限ってそんなこと無いって」
 残り少ないアッシュの手料理を口に運びながら、みんな好き好きに勝手なことを言い合っている。ユーリが傍を通るときには声を潜めて別の会話に切り替える気遣いくらいは見せるけれど、時計の針が夜十時を回ってもスマイルが帰って来る気配がないと知ると、段々と彼を責めるような言葉が増え始めた。
 みんな、ユーリが好きだから。
 そのうち酔いつぶれた人間から順に脱落していって、騒ぎも次第に静かになっていく。リビングは食い散らかされて皿がテーブルを埋め尽くし、その下に酒瓶を抱きしめた泥酔者が転がっているという始末。それも一つや二つだけではなく、傍目から見ていると非常に見苦しい状態であった。
「明日の朝は大変そうだ」
 寝こけている人々の中にアッシュの姿もあって、お人好しの性格から勧められた酒を断り切れなかったのだろう、赤ら顔で幸せそうに眠っている。
 庭に面した一面のガラス窓に片手を添え、薄明かりにした室内を眺め回しつつユーリは苦笑を浮かべた。本当なら、もしかしたらあの中に自分も混じっていたのかも知れないと思うと、複雑な気持ちを抱いてしまう。
 今日は、自分のために皆が集まってくれてこんな風に祝ってくれたのに、肝心の自分が楽しむことが出来なかった。
 それが非常に申し訳なくて、彼は瞳を伏せると窓硝子に額を押しつけた。
 時計は間もなく、日付が変わる時刻を指し示そうとしている。それなのに彼はまだ帰らない。
 今日はまだ一度も姿を見ていない。朝目覚めたときにはもう、彼は出かけた後だった。
 たったひとことだけで良いのに。本当は言葉さえもいらなくて、傍にいてくれるだけで充分すぎるのに。
 プレゼントなんていらないから、早く、帰ってきて。
 固く目を閉じて切に祈る。もう時間はないのに、誕生日の奇跡をガラにもなく願ってしまっている自分が嫌いになりそうだった。
「スマイル……っ」
 コン、と。
 硬質の音が小さく腕に響いた。
 コンコン。今度は立て続けに。
 目を開け、顔を上げる。窓の向こうに、暗い闇の中に、スマイルが立って硝子を叩いていた。
 目が合うと、彼は少し困ったような顔をして頬を引っ掻く。そして左手の動きだけで、窓を開けてくれとユーリの頼むのだ。右手は何故か、背中の後ろに隠されたままで。
「スマイル、貴様今まで何処でなにを!」
 今頃になって帰ってくるなんて、遅すぎる。
 さっきまでのしおらしさも忘れて、怒鳴りながら窓の鍵を外したユーリは、けれど庭に出ようとした瞬間それを塞ぐ形で突き出されたスマイルの右手に、目を見開いた。
 ゆっくりと、出した足を庭に下ろす。ストン、と今まで下に見えていたスマイルの顔が身長差の所為で今度は上になった。
「遅くなっちゃったけど、お誕生日おめでとう、ユーリ」
 薄明かりの中で、泥をあちこちにつけたスマイルが笑った。
 彼の差し出した右手の中には、緑色の鮮やかな四つ葉のクローバー。幸せを呼ぶと伝説で伝えられる、クローバーがこぢんまりと大切そうに握られている。
「お前、まさかずっとこれを捜して……」
「簡単に見付かると思ったんだけど、なかなかなくってさ。こんな時間になっちゃった」
 そろりと手を差し出し、スマイルの手を両手で包み込んでユーリは俯いた。
 言葉が出てこない、こんな時どんな顔をしてなにを言えばいいのか思い出せない。
「お前、実はバカだろう」
 顔を上げて笑いながら言おうとしたユーリだったが、嬉しくて涙がこぼれそうで、それを懸命に堪えるからまた顔が変になってしまって、困る。
 本当に、どんな顔をすべきなのか分からない。
「スマイル」
 ぐいっ、と半ば強引に手の甲で涙を拭い、ユーリは無理に笑った。照れ臭さが入り交じった、泣き笑いの表情にスマイルの静かに微笑みを返す。
「クローバーの花言葉を、知っているか?」
 自分の涙を拭った手で、今度はスマイルの頬に付いた泥を払ってやりながらユーリは問いかけた。スマイルが「知らない」と首を振ると、口元を少しだけ綻ばせる。
「勉強しておけ」
 そして、贈られたクローバーを見つめて、彼にしか聞こえない声で告げるのだ。
「返事は、…………もうとっくに、想っている」
 一瞬間があって、ユーリが息を呑み込み決意して言ったのだと言うことが見て取れた。ただスマイルにとっては、少し意味不明で首を傾げなければならなかったけれど。
 でも、分からなくても、ユーリが喜んでくれたのだとは知れた。
 だから嬉しい。
「誕生日おめでとう、ユーリ」
 もう一度、祝福の言葉を最愛の人に贈る。照れたようにユーリは微笑んで、「ありがとう」と口にした。
 そして少しだけ背伸びをして、御礼のキスをスマイルへ。
 そっと抱き寄せるとそれ以上の力で抱きしめ返されて、スマイルの胸に身体を預けながらユーリは幸せそうに目を閉じた。
 

『クローバーの花言葉~?』
 後日、スマイルは一番知っていそうな相手という事でキャンディに尋ねに行っている。
『え~っとねぇ、たしか~……』
 しばらく悩んでから、彼女はこう言った。
『そうそう、「私を想ってください」だったかな?』
 この答えを聞いて、スマイルは一瞬赤面したとか、しなかったとか。