小休止5

 コトン、と彼は片手に抱いていたマグカップをテーブルに置いた。
 少し温くなってしまっていたコーヒーの苦みが彼の口の中いっぱいに広がり、いつも以上に目立つ匂いのきつさも合わさって彼の眉目には深い皺が刻まれてしまっている。
 ややして、彼は大きな溜息をついて膝の上に広げていた分厚い専門書を閉じる。少々かび臭い紙面がぶつかり合って起きた風が彼の鼻先を掠め、二度目の溜息にかき消された。
「まったく……」 
 やれやれ、と彼は呟いて本をマグカップの脇に置く。そして背もたれに手を置き自分が座っていた椅子を引くと立ち上がった。その爪先に、中途半端に開かれて床の上に落ちてしまっている本の角が当たり、彼の苦笑を誘う。
「こんなところで寝るんじゃない」
 危うく蹴り飛ばすところだった、これもまたそれなりの紙数を持っている召喚術の専門書を拾い上げる。そして埃を軽く手で払い退け、閉じて片手に持ち直すと、その親指ひと関節分はありそうな背表紙の角でコツン、と机の脚に凭れ掛かって眠り込めている存在の頭を叩いた。
「起きるんだ」
 けれどそれは僅かに身じろいだだけで、口元をむにゃむにゃと動かすのみに留まる。すっかり夢の世界の住人になってしまっている弟弟子に、彼は三度目の溜息を長々と零した。
 一緒に勉強したい、と言い出したのは向こうの方だったのに、たった二時間も持ち堪えられなかった。最初の頃はまだ真剣に本と向き合い、分からない箇所を示して積極的に質問をしてきていたのだが。
 気が付けばうつらうつらとし始め、舟を漕ぎだしてはカクン、と首が落ちそうになって慌てて目を覚まし首を振っていた。しかし今やそれも無駄な足掻きだったらしく、完全に気持ちよさげに眠り込んでしまっている。
「マグナ」
 何度か肩を揺すってみたけれど、反応は芳しくない。四度目の溜息は、マグナの前に膝を折った時点で零された。
「こんなところで眠ったら風邪を引く」
「…………ZZZ…………」
 ぺちぺちと数回頬を叩いてみても、効果はなかった。今度こそやれやれと肩を竦め、彼は眼鏡を正すと両腕を伸ばし何時横倒しに床に寝転がるかも分からない、不安定な姿勢で眠っているマグナを抱きかかえた。
 出会った頃に比べれば身長も伸びて随分と大きくなったけれど、まだかろうじて抱き上げる事が出来るマグナをしっかりと両腕に抱えて、彼はゆっくりと立ち上がる。
「まったく……」
 そして慎重に彼を、部屋に据え付けられているひとり用のベッドへと運ぶ。綺麗にシーツも伸ばされて整えられたベッドにマグナを下ろし、疲れてしまった腕を揉みほぐす。そして彼もまた、そのベッドサイドに腰を下ろした。
「マグナ」
「……ZZZ……」
「狸寝入りは構わないが、今日出した問題は明日までにちゃんと回答を提出するんだぞ」
「………………………」
「出来なかった時はどうなるか、分かっているな?」
「………………………ケチ」
「うん? 眠っているんじゃなかったのか?」
「…………ZZZ…………」
 片手を伸ばし、さっきまで自分が読んでいた本とマグカップを引き寄せ、ネスティは栞を挟んであったページを開く。
 そのうちにまた整った寝息が後ろから聞こえだしてネスティは小さく微笑むと、マグナの身体にそっと毛布を掛けてやった。