夕焼け小焼けの赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
一面のススキヶ原にお前を見つけた。
草むらの中に埋もれるようにして、その中に一本だけ忘れ去られたように立っている小さな棒に向きあっている。その顔はとても真剣そうで、見つけた時に思わず呼びかけようとした声を呑み込んでしまった程だ。
だけれど、声は抑えられても進み続ける足が掻き分けるススキの音は止めることが出来なかった。
「あ」
短いお前の声が耳に届く。その手前を、ひとつの細長い何かが飛び去っていった。
追いかけるように上向いた視界の片隅を、透明な細い羽を震わせて小さな何かが空を駆け上っていくのが見えた。だがやがてそれも、赤く色が染まった夕暮れ時の雲間に紛れて見えなくなってしまう。
「ソル」
先に、お前が俺を呼んだ。視線を戻すと苦笑いを浮かべたお前の顔が目に映る。
「なにしてたんだ」
だから反応に困っている様子のお前に今度は俺が問いかけた。苦笑いが益々深くなる、照れたように片手で後頭部を引っ掻いてお前は「そうだね」と相槌を打つ。
それから徐に、お前は俺の顔の前に利き腕の人差し指を突きつけてきた。
思わず後ろに半歩下がる。そんな俺を無視して、お前は突きつけた指をくるくると、俺の顔の前で渦巻きを描き出した。ぐるぐる、くるくる。
俺は反応に困ってしまう、こいつは本当に、時々意味不明な事をやらかすから。これもその一環だろうと呆れかえった俺は、力の抜けた表情でその手を押し返した。
「なにやってるんだよ」
「ソルが聞いてきた事」
「はぁ?」
間抜けな声を出してしまった俺は、やはり同じくらい間抜けな顔をしてお前を見上げた。その表情は笑っている、穏やかでそして、どこか人を食ったような顔だ。
「蜻蛉が居たんだ、さっきまでそこに」
そう言ってお前は俺に押しのけられた手でそのままさっきの、地面に突き立てられている棒の一本を指さした。すると、俺の気配に驚いて飛び去ったのはトンボだったのか、と俺は赤い空を見上げて思う。そんな意識が向こうを向いてしまった俺の前で、お前はまた指で空中に渦巻きを書き始めた。
今度こそ怪訝な顔をして尋ねる、何をしているのか、と。
「僕が居た国ではね、ソル。こんな風に蜻蛉の目の前で渦を描けば蜻蛉は目を回すって言われているんだ」
偶々蜻蛉を見かけて思い出して、実践してみたんだと彼は軽い調子で笑った。内情を聞いて更に俺は呆れかえる、言い返す気にもなれなかった。ただバカだ、と思いながら自分の前髪を掻き上げる。
「そんなはずないだろ」
「僕もそう思ったんだけれどね。何事もチャレンジしてみるべきかな、と」
「……で、どうしてさっきからトンボじゃなくて俺の前で指を回してるわけ?」
「いや、だからチャレンジ精神?」
「……トウヤ、殴られたいのか?」
にっこりと、対外的な商売用の笑顔を浮かべて俺はお前を見返す。お前も、表面だけの乾いた笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。……なんか、むかつく。
「俺、帰るから。お前はそうやって、ずっと落ちもしないトンボでも追いかけてろ」
「つれないなぁ、ソル」
「殴って良いか?」
「それは困る」
夕暮れの空、蜻蛉の群は穏やかに空を駆けめぐっていくばかり。