非具象的恋愛実証論・牛尾編

 昼間の練習でへとへとに疲れた身体を引きずりながらではるものの、合宿中の数少ない楽しみである夕食を終えて以後の、就寝までという本当に短い自分の自由になる時間帯。
 如何せん成長期でもある健常なる高校生男児の食欲というモノは凄まじく、その大量と言うしか他にない料理を盛りつけていた皿も当然の事ながら大量、となるわけであり。
 十二支高校野球部一年、只今青春真っ盛りと顔にでかでかと書いて憚らない猿野天国はそれらの、自分たちが平らげた食事の片づけをせっせとこなしてくれているマネージャーの傍らにいた。
 疲れているくせに、自ら望んで手伝いを買って出た彼はかごに山盛りとなっている汚れた食器を抱えながら、あまり平坦とは言い難い細い道を進む。少し遅れて彼の後ろには、マネージャー達がやはり同じように食器を両手に抱えて歩いていた。
 そして、そんな薄暗い照明も乏しい中を黙って歩くのもそれなりに苦痛なものだからと、天国を綺麗に無視しながらマネージャー達は話題に事欠かないお喋りに熱中していた。
 野宿組の野営地点から、宿泊組の居る民宿までの僅かな距離。けれどずっしりと重く腕を痺れさせる食器が入ったかごを抱えている状態では、なかなか歩みも普段通りにはいかない。ましてや夜道、その上舗装されていない獣道を少し拡大したような道である。天国は後方で姦しく喋り続けている彼女たちに溜息を時折零しながら、足許を確かめて不注意に彼女たちが転んで仕舞わぬよう、落ちている大きめの石を蹴り飛ばした。
 そんな中で。
 もみじが不意に、
「あ、そうだ!」
 と一際甲高い声を上げた。隣を行く凪がどうしたの、と彼女に声をかけると、檜が横でぽつりと代わりに呟く。
「今日はキャプテンの誕生日なのかも……」
 語尾が夜闇の中へ融けて吸い込まれていく。がしゃん、と天国の両手の中で、かごに入った皿が数枚ぶつかり合って激しい音を立てた。
「テメ! 割ってねーだろうな!?」
 素早くもみじが反応して声を荒立てたが、足を止めてかごの中を見下ろした天国は一秒後、身体半分で振り返って首を横に振った。かろうじて、衝撃を受けてクラッシュ、という事にはならなかったらしい。凪がホッとした顔で息を吐く。
「大丈夫ですか?」
「あ、ヘーキっすよ。ちょっと段差があって蹴躓いただけっすから」
 なはは、と自分の失敗を誤魔化すようにして笑い、天国は抱えたままのかごを揺らした。かしゃんかしゃんと、皿が表面を擦り合わせて不協和音を起こす。もみじが嫌そうな顔をして天国を睨んだ。
「注意力散漫」
「なにをぉ!?」
「早く行かないと、民宿の人に迷惑がかかるかも……」
 へっ、と鼻を鳴らしながら嫌味を口にした彼女に、まさに食ってかかろうとした天国を制するように小さく、檜が反論の返しようがない台詞を呟いた。お互いに両手が塞がっているはずなのに喧嘩を始めそうな雰囲気になっていたふたりを見、どうしようと一瞬思考が止まってしまっていたらしい凪がまた、吸い込んだまま吐き出せないで居た息をふわりとその場に落とす。
 そのまま檜を見下ろすと、彼女もまた呆れたようにして吐息を零しもみじをせっついていた。早く行って、ゆっくり休みたいとの意思表示である。
 分かったよ、と檜の訴えに頷いたもみじは、まだ自分たちを振り返ったままでいる天国をまたひと睨みし、べーっと舌を出した。
 むっと来そうになった天国だけれど、下からやはり強い調子で檜にまで睨まれてしまい、これ以上逆らっても自分に不利な状況になるだけだと気付いて身体の向きを戻した。そして、段差があったはずの、だけれどそんなものはどこにも存在していない場所を越えて歩き出す。
 再び黙った天国の後ろでは、やはり会話を再開させたもみじがしきりに、今日誕生日だからと用意しておいたプレゼントを、主将に受け取って貰えたと繰り返している。笑顔でお礼を言って貰えたことが余程嬉しかったらしく、凪が良かったね、と言えば彼女は天国には見えないものの、満面の笑顔で頷いたようだった。
 そしてその凪もまた、ささやかながら用意して置いたプレゼントを今日の早いうちに、既に手渡していた事を告げる。檜も同様だった。
 天国の腕の中で、重たいばかりの食器が歩く振動に揺すぶられ、表面をぶつけ合って金高い音を零し続けている。しかしその音量はごく微細なものであり、どうしても聞こえてしまう彼女たちの笑い声を掻き消すほどのものにはなり得なかった。
 それこそ、先程の音くらいのボリュームでなければ、無理だろう。だけれど同じ事をやれば、確実にこの皿類は割れてしまうに違いない。全部とまではいかなくても、数枚は。そしてこれらは全部、宿からの借入品であり勿論割りでもしたら自費で弁償する必要がある。
 天国にそんな財布の余裕があるはずがなく、だからなるべく慎重に運び続けているのだけれど。
 一瞬の動揺だけは隠しようがなかったらしい。
 はぁ、とため息を零す。後ろの女子達の話題は、主将に送った品の中身に至っていた。なにを、どこで、どんな風に見つけて、悩んで、どうしてそれに決めたのか。
 本当に話題は尽きることを知らず、どんどん発展して行って一体どこからその話題が派生したのか分からなくなる。
 天国の目に、宿の窓から漏れる明るい光が映った。心持ち、進む速度が上がった。マネージャー達も気付いたようで、一旦話題を断ち切り早足で宿の裏手にある勝手口へと向かう。
 出入りしやすいように半開き状態で固定されていた勝手口の扉から中を覗き込むと、賄い途中だったらしい料理人がひとり、近付いてきた。
「ご苦労さん。大変だったろ」
 これだけを運ぶのは、と天国が抱えていたかごを引き取ったその青年は軽く笑っていた顔を引きつらせた。見た目とは予想外に、天国のかごが重かったからである。両足を広げて腰を落とし、なんとか落下だけは防いだ彼だけれど、歯を食いしばる様子からして相当の重量であるらしい。
 ようやく軽くなった肩を回していた天国の方が、大丈夫ですか、と問いかけてしまう。もしかしたら、自分で中まで運ぶべきだっただろうか、と。
 遅れて中に入ってきたマネージャーも、新たに寄ってきた人にかごを手渡す。そして最初の天国からかごを受け取った人が、後から来た人に追い抜かれていく様を見て、天国は溜息混じりに頭を掻いた。
「あの、オレ持っていきます」
 よたよたと千鳥足になってしまっている彼の背中を見ていると、折角自分が無事に運んできたものを呆気なくうち砕いてくれそうで不安が募る。土足でも立ち入れる造りになっているので、数歩進んでもう一度かごを引き受けるとその人は全身から汗を吹き流してふー、っと長く息を吐きだした。
「君、本当にこれをひとりで?」
「そうですよ」
 よいしょ、と軽い掛け声をひとつしただけで、軽々とかごを抱えてしまった天国に感心の声が周囲から沸き上がった。
「猿野さん……」
「凪さんは戻ってくれて良いですよ。オレは、これ運んでから戻りますんで」
 今日も野宿組の天国は、だからもう随分と長い間屋根の下で寝起きしていない。だから宿に無条件で部屋を与えられている彼女たちとは、ここでお別れ。もう少し一緒にいたかったけれど、自分が折角運んだ苦労を水泡に帰してしまう事態を見逃してしまうのも、悔しい気がしたので。
 どうせ明日になれば、また会える。
 笑顔を向けると、凪も戸惑い気味ながら笑顔を返してひとつ、頭を下げると去っていった。扉の向こう側から、もみじが早く行こう、と彼女を急かす事が聞こえた。
 凪が見えなくなるのを見送って、天国はまだ隣に立ったままでいる二十歳代の割烹着姿の青年に声をかけた。
「これ、どこに持っていけば良いんですか?」
「大量だしな、悪いけどあっちの流し台まで頼むよ」
 そう言って彼が指さしたのは広い厨房の、現在地とはほぼ反対側。一瞬言い出すんじゃなかったと後悔しそうになった天国だけれど、手伝ってくれた礼に飯でも食って行け、と今さっき夕食を終えたばかりの彼に告げる声があって。
 競走の激しさから夕食もあまり食べたとは言い難く、物足りなさを覚えていた天国はつい、張り切って大声で了解の返事をしてしまった。
 そして余り物で悪いんだけれど、と出された山盛りの米飯やおかずをそれこそ流し込む勢いで綺麗に片付ける。箸を置いて威勢良く両手を合わせ、ゴチソウサマのひと鳴きにまた厨房からは、おおーといったどよめきが湧き起こった。
「美味かったっす!」
「そりゃーそうだ。なんてったって、俺達が作ってるんだからなぁ」
 最も年かさの、厨房を取り仕切っている人物が豪快に笑い、つられて他の面々と天国も一緒になって笑った。口元の汚れを手の甲で拭い、出された水も一息に飲み干すとようやく満腹感が広がって、げっぷが出た。
「最後に、こいつも持ってけ」
 ほらよ、と放り投げられたものを放物点の最終地点でキャッチ。さすがは野球部、と囃し立てる声に苦笑して掴んだものを改めて見直した。
 コンビニなどでも市販されている、ミルクティーのパックだった。しかも賞味期限が今日までだ。
「日付が変わる前に飲み干せよ?」
 からかうような台詞に、天国は肩を竦める。しかし折角くれると言っているのだし、返す義理もないので有り難く受け取っておくことにした。野営地に戻る前に飲み干せるだろう、あの飢えきった連中に発見されたら奪い取られかねない。
「ありがとうございます」
 軽く一礼をすると、がんばれよという声があちこちからかけられた。
 普通ではない無謀とも言える合宿ではあるが、応援されると心地よいものであると感じた天国は、また礼を言って騒がしく明るい厨房を出た。
 途端に視界が闇に染まり、空気もどこか冷えて肌を突き刺してくる。我知らず身震いしてしまった天国は、早くみんなのところにもどろうと、来た獣道を探して視線を巡らせた。
 時間ももう遅く、宿の窓から溢れている光だけではなんとも足許が心許ない。張り出した木の根に引っ掛かって転ばぬように進み出そうとした天国だったけれど、不意に自分のものではない砂利の上を擦る足音が聞こえた気がしてその場で停止した。
 ゆっくりと振り返る。
 黒ばかりが支配する寂しい民宿の庭の片隅で、誰かの影が動いた。
 また音がする、強く何かを地面に擦りつける音だ。踏みつぶしている……ようにも聞こえる。天国は首を傾げたまま、なるべく大きな音を立てぬように注意深く、影に近付いてみた。
 もしかしたら別の宿泊客かもしれない。だから距離を残して、足を止める。
 だけれど先に、影が天国の存在に気付いて声を上げた。
「チェリオ君?」
「え? あ、キャプテン?」
 薄明かりの下では余程注意深く見なければ相手の顔など判断が付かない。それなのにあっさりと天国を見破った人物は、闇に目が慣れてくるとその陽の下では眩しいばかりの金髪を僅かに揺らして、首を捻った。
「こんな時間に、こんな場所でなにをしているんだい?」
「それは……こっちの台詞っすよ」
 まさか厨房で食事を奢って貰っていたとは言えず、天国は咄嗟に右手に持ったままだった紅茶も背中に隠した。そしてわざとらしく身を乗り出し、御門が立っている位置を見つめる。
 だが素早い動きで御門はサッと、それを隠してしまった。尤もこの暗がりでは、何がそこに転がっていたのかなど天国に分かるはずがないのだが。
 怪訝な顔をした彼に、御門はいつもの調子でやんわりと微笑む。
「早く休まないと、明日が辛くなるよ」
 日付が変われば合宿の最終日、である。疲れもピークに達しようとしている中での一日は、今まで以上にきついものになるだろう。屋根のある宿の一室へという誘いの言葉はさすがに出てこなかったが、それなりに気を配ってくれているらしい御門の言葉に、天国は曖昧ながら頷いて返した。
 けれども。
「あ」
 オヤスミナサイ、と御門に言いかけたところで天国ははっと、とある事を思い出して変な風に声をあげてしまった。裏返った声に、こちらも去ろうとしていた御門が眉根を寄せる。
「どうしたんだい?」
「キャプテン、今日誕生日だって!」
 食器を返却しに行く最中、もみじたちが盛んに口にしていた事を今頃になって思い出した。そしてその事実は、天国にとっては初耳の事だった。
 誰かの誕生日など、特に気にした覚えはない。親友である沢松の誕生日でさえ、実のところ記憶としては曖昧だったりする。さすがに自分自身や、親の誕生日まで忘れる事はしないものの。
「ああ……そうだけど」
 やや苦笑して肩を竦めた御門の態度に、天国は微かに顔を顰めた。あまり喜んでいる様子が見られず、しかし確かに誕生日もこんな合宿で、むさ苦しい男にばかり囲まれた中で過ごすようなら嬉しくもないか、と自分と立場を置き換えてみて至った結論につい頷いてしまった。
「誰かから、聞いた?」
 御門自身も自分から天国に誕生日の話題を振った覚えはない。だから当然、誰かから聞かされた事になる。柔和な笑みを崩さずに問いかけてくる御門に、天国は素直に頷いた。
「凪さん……マネージャに、聞いて」
「ああ」
 成る程ね、と得心がいった様子で御門は数回頷いた。脇に垂らしていただけの腕を胸の前で組み、一旦視線を足許に落とす。彼が見下ろした先には、踏み荒らされたように形を崩している土が散っていた。
「キャプテン……?」
「なんだい?」
「いえ、その……なんだか、あまり嬉しそうじゃないかな、って思って」
 言いにくくて視線を逸らし、しきりに頬を引っ掻きながら言った天国に、けれど御門は「そうかい?」と逆に問いかけてくる。頷いた天国に、彼は溜息を零した。
「どうだろうね。あまり年の事は考えていないけれど……今年が最後だということは、改めて認識させられたよ」
 最後、という部分でぴくりと天国は反応した。
 御門は三年生である。そして、彼が高校生活で許された期間はあと一年しかない。重ねて言うとしたら、天国が彼と一緒の学生生活を送ることが出来る期間も、残り一年を切っているという事だ。
 そう考えると途端に、天国は気持ちが沈む想いに駆られた。
 何故だろう、そう考えると凄く寂しくて哀しい気持ちにさせられる。まだ知りあって一ヶ月も経過していないというのに、もう随分と長い間一緒に野球をプレイしてきていた気持ちになっていたらしい。
 つい手に力が籠もって、握りしめていた紅茶のパックが非難めいた振動を微かに起こした。
「あ……」
 ほんの少し温くなってしまっている紅茶を、漸く思い出して天国はばつが悪そうな顔をした。御門が小首を傾げ、そんな彼を見下ろす。
「えっと……俺、今日キャプテンが誕生日だって聞いたから、マネージャーみたいになにも用意してなかったんですけ、ど……良かったらコレ!」
 なんだか自分でも、やっていて滑稽だと想ってしまう事だったけれど、天国は咄嗟に吐き出してしまった台詞に退くに退けなくなって、さっき人から貰ったばかりのパックの紅茶を御門に差し出した。握りしめていた分、少しだけ角がへこんでしまっていた。
 一方の唐突に予期していなかった天国の行動を受けた御門は、一瞬だけ目を見開いて驚きを表現したものの、即座に普段の冷静さを取り戻し苦笑を浮かべた。
「これは?」
 なにも用意してなかったと言いながら、では彼が自分に差し出しているものはいったい何?
 突き出された紅茶のパックを人差し指でつつきながらの言葉に、天国はばつが悪そうにもう一度視線を彷徨わせて結局、厨房で食事にありついていた事を素直に白状した。
 最後まで黙って天国の告白を聞いて、御門はふっ、と笑みを零す。怒られるかと覚悟していただけに、天国は恐る恐る彼を見上げ、笑っている事を確認してからホッと肩から力を抜いた。
「ちゃんと“ご馳走様”は言った?」
「言いました」
 小学生低学年の保護者みたいな事言わないで下さいと、必要以上に人を年下扱いする御門にふんっ、と鼻を鳴らした天国をまた彼は笑う。
「ありがとう。これは、じゃあ受け取っておこうかな」
 天国の手から紅茶を受け取り、己の胸元に収めて表面に印刷されている文字へひととおり目を通したあとで。
 御門は再び、天国を見た。
「ところで、チェリオ君」
 未だに根に持っているのですか、と聞きたくなるそのあだ名で呼ばれて天国も彼を見上げた。
 夜の深い闇の中で、御門の金色をした髪だけが異質に浮き上がって見えた。まるでこの世のものではない錯覚を覚えそうになり、天国は慌てて頭の中で否定する。
 ただ、どうしても消せなかった感想が、ひとつだけ。
 男の人を相手に、変だとは思ったけれど。
 今の御門は、綺麗だと思う。いや、普段の御門も充分凄い人なのだけれど。
「なんすか?」
 見つめられたまま問いかけられたから、見つめ返しながら尋ね返す。にっこりと微笑まれ、知らぬうちに頬が赤く染まった。
「“おめでとう”は、言ってくれないのかい?」
 すっと顔を寄せて言われ、咄嗟に天国は反応が出来なかった。間近に迫った綺麗な顔と澄んだ瞳に魅入られたように、ボーっとしてしまう。我に返るまで、五秒ほど必要だった。
「へ? え、あ……まだ言ってませんでしたっけ!?」
 情けなくも心臓がばくばくと音を立てて拍動を速めている。無意味に動き回る両手を律して、天国は吐いた空気をそのまま吸い込んだ。喉の奥で一度溜め、さっきよりも一層赤くなってしまっている顔で、御門を見る。
 相も変わらず、表情の読みにくい笑顔。
「おめでとう……ございます」
「聞こえないよ」
「誕生日おめでとうございます!」
 夜の、それなりに遅い時間であるに関わらず、周囲への迷惑顧みない大声で天国は半ばやけっぱちになりながら、叫んだ。
 御門が笑う。ほんの少しだけ、嬉しそうに。そして同じくらい、楽しそうに。
 つられて天国も一緒になり、笑った。
「有難う、チェリオ君」
「だからその呼び方、やめてくださいよ~」
 まだ笑い止まぬまま言う御門に、その肩を軽く叩いて天国は唇を尖らせた。それから今は御門が持っている紅茶の賞味期限が今日までである事を、背伸びをして彼の耳元に告げる。
 思わぬところに感じた息に多少驚きはしたものの、御門は微かな光でかろうじて見える印刷面に、確かに自分の誕生日と同じ日付を発見して頷いた。パックの側面にセットされたストローを、素早く抜き去る。
「じゃあ、今のうちに飲んでしまわないとね」
 パック上部にある差込口へ、先の尖った方を突き刺して御門が言う。頷いて返した天国を見下ろして、頭の横でそれを振った。
「半分こにしようか」
 もともとこれは、天国が手伝いをしたご褒美として貰ったものであり。今は御門が天国から誕生日の贈り物として貰い受けたものになっているけれど、飲む権利は天国にも残されているだろう。笑みを絶やさない御門の言葉に、天国は瞬間的に返答し損ねて曖昧に笑うだけだった。
 その顔を見てどう判断したのだろう。御門はパックを持ち直し、ストローに口を付けてひとくち、薄い黄土色をした液体吸い込んだ。そしてふっ、と息を吐いて一緒に咥えていたストローを外す。
 天国が茫然と、それを見上げていた。
 頬を撫でられ、目を閉じると同時に暖かな吐息を間近で肌に直接感じた。
 触れあった場所から流れ込んでくる液体を舌の上で受け、喉へと流し込む。コクン、と小さく上下した喉仏に御門が薄くだが、くちづけの合間に笑ったようだった。
「美味しい?」
 一旦離れたものの、吐息が交差する距離を保ったまま問いかけた御門の声に、天国は更にどこかボーっとした頭で呟く。
「なんか……熱いっす」
 温くなっているだけの紅茶が、酷く熱い。喉が焼けるかと思った。
 天国の返答に、御門は意外そうに、けれど楽しそうにしながら目を細める。
「それだけ?」
「え、と……」
 必死にことばを探そうとする手前で、御門は再び天国へと口付けた。今度は紅茶無しに、直に触れてその柔らかさに目を閉じた。
 身体の力が抜けそうになるのを堪えながら、天国もまた彷徨わせていた瞳を結局闇に閉じ込める。
 その直前に見つけてしまった、踏み潰された可愛らしいラッピングの箱の事など、次の瞬間最早頭の中になど残っていなかった。

02年4月22日脱稿