忘れ得ぬ日々

 変だね。
 ここに来る前は、君がいない毎日が日常だったのに。
 もう、今じゃ君がいない日の方が日常でないような気がするよ。
 不思議だね。
 君は、いつの間にかこんなにも俺の中で大きくなっていた。
 君のいない日常なんて考えられない。
 考えたくもなかった。
 でも、駄目だった。
 やっぱり俺達は一緒にはいられなかった。
 いつか、君のいない日々が俺の日常に戻るのだろう。そして君といたあの日々は、遠い記憶の中でひっそりと忘れ去られていくのだろうか。
 この日常のせわしさの中で、君だけが俺の心を癒してくれているのに。
 君を忘れてしまう日がやがて訪れるのだろうか。
 嫌だ。
 忘れたくなんてない。
 取り戻したい、君といた日常を。
 それは、我が儘なのだろうか――――?

 ハヤトがリィンバウムから、懐かしい故郷の町に帰ってきて、そろそろ二週間が経過しようとしていた。
 あの日、まるで何事もなかったかのように夕暮れの公園にひとりぼっちで佇んでいた自分が、遠い過去のようにさえ、思えてきている。
 リィンバウムでの日々が、現実ではなくて自分の心で描き出した空想の世界であるかのように、日常はせわしなく彼を追い立て、追いつめていく。
 朝ベッドの中で目覚めたときに見上げる天井が、薄いクリーム色の壁紙と淡く白い光を放つ電灯に飾られていることに、彼はしつこいくらいにため息をついてしまう。これがもし、薄汚れた木目のくっきりと映る孤児院の天井で、室内を照らすのも人工物ではない炎の小さな光であったならと、何度願ったことか。
 だが実際の光景はありふれたマンションの一室でしかなく、カーテンを引き開ければその先に広がるのは、コンクリートに埋もれた灰色の世界だ。
 そう。ここがハヤトの生まれ、生きてきた場所。
 あれほどに帰りたいと思っていた場所なはずなのに、今となっては、この彩に欠けた世界はひどく味気なく彼の瞳には映る。
 自分は知ってしまったのだ。ここではない、本当に素晴らしい世界を。
「俺……間違えたのかな」
 何を、とは今更のことで、後悔なんてしないとあれほどに誓ったのに、思い出せば涙が自然と溢れてきてハヤトは握りしめた拳でそれを乱暴に拭った。
 涙もろくなっているのは、きっと起きたばかりで涙腺が緩んでいる所為だと決めつけて、彼は半開きだったカーテンを一気に端まで引いた。明るい朝の光が窓から室内にこぼれ落ちるが、それすらもあの場所に比べたら色褪せているような感じがする。
「みんな、元気でいるだろうか……」
 ぽつりと朝日に向けてそう呟き、ハヤトは着ていたパジャマのボタンに指をかけた。
 ベッド脇の目覚まし時計は、今ようやくセットしておいた時間を指し示して軽い音を立て始める。それを苦笑しながらストップさせ、それからしばらく、時計を抱えたまま思考を停止させる。
「……やめよ……」
 いつからか、目覚ましよりも早く起きるようになっていた。日が昇り、家族が起き出すよりも先にハヤトはベッドの中で目を覚ます。決して夜が早いとか、そういうことではない。むしろ睡眠時間は以前に比べると格段短くなっているはずだ。こちらでは一秒も進んでいなかった時間も、リィンバウムで過ごした時間は確かにハヤトの中に残っている。その間、無論勉強なんてしているはずもなく、おかげでクラスメイトにとって昨日習ったことも彼にとっては数ヶ月前に教わったことになってしまっていた。
 つまり、完璧に忘れてしまっているのだ。
 遅れてしまった(ちょっと違うか?)分を取り戻すためにも、ハヤトはクラブ活動の合間を縫って教科書に向かうようになった。向こうにいた間に色々あったから、学力は落ちたが体力だけは倍近くに増していて、それほど疲れなくなったのが幸いした。
 夜は眠くなるのを必死に堪えながら勉強に励み、放課後はクラブ活動に汗を流す。テレビなんて、そういえばまとまった時間に見た記憶がない。ラジオも聴かなくなった。周囲に音が溢れていることに対して、嫌悪にも似た感情を抱くようになったのも異世界から帰還した後だった。
 深夜でもバイクや車が走り回る音がする。リビングに行けば無意味に電源が入ったまま放置されたテレビ画面が、乱雑な色彩と雑音とも取れるわめき声を上げている。
 この世界がこんなにも住みづらく、息苦しい場所だったとは思いもしなかった。
 耳障りな音が多すぎる。消すことの出来ない騒音に眉根を顰め、彼は脱いだパジャマを小さく丸めると部屋を出た。
「おはよう」
 台所にまず向かい、そこで朝食の仕度を始めたばかりの母に挨拶をすると、そのまま脇を抜けて洗面所へ足を運ぶ。洗濯籠に乱暴にまだ自分の体温が残るパジャマを突っ込むと、蛇口をひねって顔を洗った。
 すっきりしない気分を払拭したくて、勢い良く流れ出した水に手をさしのべてその痛みに顔をしかめる。
 そうだ。今こうして何気なく使っている水道も、ほんの数十年前までは一般家庭に存在しない代物だった。井戸や川から水を運んできて、それを瓶に溜めて、少しずつ使っていた。リプレはいつも水を貴重なものと認識した上で、大事に使っていたではないか。
「そう……だよな」
 ため息混じりの声をこぼし、ハヤトは濡れた顔を上げて蛇口をきつく閉めた。
 資源は無限ではない。自分たちがいかにどれほどの犠牲の上に今の生活を築き上げたのかを、きちんと知っておかなければいけないのだ。でなければいつか取り返しのつかない事態が引き起こされる。
 それは無論、ハヤトが体験したような「魔王召喚による世界の再構築」なんていう、夢物語にしか聞こえない非現実的なことではなくて。
 もっと深刻でひとりの人間の力だけではとても対抗しきれないほどの、大きすぎる脅威なのだろう。言ってしまうなら地球規模の……いや、それはもう始まってしまったことだ。
 ずっと昔から、叫ばれてきたはずだ。このままではいつか地球は駄目になってしまうと。それなのに、今生きている人々の大半が、自分たちの今がどんな犠牲の上に成立しているのかを知らない。知ろうともしない。今が良ければそれでいい、自分たちさけ良ければ……そうやって問題解決を先延ばしにして、どんどん事態は深刻になって行く。
「戻れないのかな……」
 過ぎてしまった時間を戻すことは出来ない。どう足掻いても、祈っても。
 時間だけが人々に均等に与えられている。遅くも、早くもならず、無慈悲に時間は過ぎて行くばかりで。
「戻れたらいいのにな」
 あの頃に。
 俯いたハヤトの頬から。
 ぽたり、と。
 水道から流れ出たのとは重みの違う水滴が数粒、シンクを伝って消えていった。

 学校へ続く坂道を上りながら、ハヤトは空を見上げた。
 そこには、かつてなら澄み渡る青空となんの疑問も持たずに思っていた空間がある。だが、違う。違った。
 これは青空などではない。人の目には映らないだけで、空はスモッグに覆われて黒く濁っており、下界に有害な紫外線もたくさん降り注いでいる。恵みをもたらす太陽光も、一歩違えば、人を殺す兵器にもなりうるのだ。
 息苦しい。
 気持ちが悪い。
 アスファルトに照り返す陽光はさほどきついものではないはずなのに、ハヤトの額には脂汗が浮かんでいる。急な斜面でもないのに、息が乱れている。心臓の鼓動がやたらと耳に痛い。
「吐きそう……」
 まだ坂道は半分程度残っており、視線を落としてアスファルトを見つめた後彼は思い切って前方を見やった。
 まだ朝も早い時間帯で、通行人の影はまばらだ。ペンキの剥げかかったガードレールに片手を預け、がっくりとその場に膝をついたハヤトは肩で息をしながら、高校の正門までの距離を思い出していた。
 おおよそでしかないが、恐らく、あと300メートルはあるだろう。そこから更に、部室まで行って着替え、体育館の鍵を取りに警備員室へ一度出向かなければいけない。そのあと、バスケ部の朝練が始まりチャイムと同時に一限目の授業が開始される。
 今日一日のスケジュールをざっと並び立てて、ハヤトは吐き気以上にめまいを覚えた。ふらふらする。
「熱……あるのかどうかもわかんねぇ……」
 自分の手で額に触れてみたものの、自分では平熱かそれ以上かを計ることが出来ないことを思い出して止める。ただこの立ち眩みか貧血か、とにかく体調不良は尋常ではないことだけは、朧気な意識の中でも判断できる。
「保健室、開いて……ないよなぁ……」
 ここまで来てしまった以上、学校に行く方が家に帰るよりもずっと近い。
 腕にはめたデジタルウォッチを見る。秒ごとに点滅を繰り返す液晶には、午前七時半ばを指し示している。朝練開始まで、あと十数分だ。今だったら、部室に気の早い後輩がひとりくらい来ているかもしれない。そうしたら、そいつに頼んで鍵を取ってきてもらって、自分は部室で休んでいればいい。
 しばらくじっとしていたら、きっと体調も戻るはずだ。それでも駄目だったら、保健室に駆け込めばいい。あと一時間の辛抱だ。
「寝不足かな……」
 体力には自信もあるし、そんなに疲れが溜まっているという自覚もない。なのにこの、気分の悪さ。こみ上げる吐き気を懸命に堪え、ハヤトは両膝を叱咤して立ち上がるとおぼつかない足取りで歩き出した。
 ほんの、そう、ほんの数百メートルの距離が果てしなく遠くに感じる。瓶の歩みにも似たのろのろペースで坂道を上りきり、鉄門が閉じられたままの正門にようやくたどり着いたときにはもう、朝練開始まであと二分しか残っていなかった。
「つ、疲れた……」
 鍵のかかっていない通用門の方を通り、ハヤトはグラウンドの脇を進む。体育館の裏手に回ると、バスケ部の仲間が数人、クラブ室の前でたむろしていた。
「先輩、どうしたんですか!?」
「顔、真っ青ですよ」
 ハヤトの姿を認め、彼らは一斉に声を荒立てた。耳障りにしか聞こえない、けれどハヤトのことを心配してくれての言葉の群れに、彼は力無く微笑んで片手を上げた。
「いや、途中で、さ……」
 気分が悪くなったけど、近くに電話もないし学校に来る方が早かったから、と手短に説明して彼は後輩をかき分けて部室に入った。
 ロッカーが並ぶ狭い部室の真ん中に置かれた数人掛けの椅子に腰を落ち着け、重いため息を吐き出す。全身から一気に力が抜けて、うなだれているようにしか見えないだろう。
「大丈夫ですか? 新堂先輩」
「悪い……あんまり大丈夫じゃない……」
 近づいてきた後輩にそれだけを言うと、ハヤトは汗で額に張り付いていた前髪を掻き上げた。
「熱、あるんじゃないのか?」
 同学年のチームメイトが、騒ぎを聞きつけて戻ってきてくれた。
「元気だけが取り柄みたいなお前が、珍しい。こういうのを、鬼の霍乱て言うのかな」
「からかうなよ」
 まだ部室に残っていた後輩達を体育館の方へ向かわせ、先にランニングとストレッチを済ませてくるように指示を出したのは、バスケ部の副キャプテンを務めている男だった。
「先生には俺から言っておいてやるから、お前はしばらくここでじっとしてろ。あとちょっとしたら、保健の先生もくるだろうから、さ。無理すんな、やすんどけ」
「そうする……」
 もはや顔を上げる気力もなく、頭を抱え込んでいたハヤトは息を吐き出すついでに答えてパイプ椅子の上に横になった。副キャプテンの彼は見かねて、椅子の上に乱雑に積まれていた雑誌やユニフォームを片付けてくれた。
「サンキュ」
「そう思うなら、さっさとその体調不良をどうにかしてくれ。家、帰るか?」
「やめとく。母さん、仕事で家今誰もいないから……」
「そっか。じゃ、俺行くけど、本当にひとりで大丈夫か?」
 なおも心配そうに声をかけてきてくれる彼にひらひらと手を振って行かせ、ハヤトは瞼を閉じた。ゆっくりと意識が沈んでいく。
 奇妙な胸騒ぎと、ホッとするような雰囲気と、安らげる空気と息が詰まりそうなくらいの重苦しい感覚とが入り交じる。
 何故、どうして今自分はここにいるのだろう。
 何故、自分は帰ってくることを選んだのだろう。
 何故、帰ってきてしまったのだろう。
 何故、しないと誓ったはずの後悔がこんなにも胸を押しつぶそうとしているのだろう。
 何故……答は出ない。
「帰りたい……」
 誰もいなくなった部室、汗くささの残るハヤトの城だった場所。でも、違う。もうここは彼の居場所にはならない。
 嫌いじゃない、好きだった。この空間は誰にも譲れない自分と仲間が共有できる限りない小さな世界だった。それは多分、今も変わらない気持ちの上にある。だけど今のハヤトには、ここ以上に大事で、大好きな場所が出来てしまった。
 なれ合いだけじゃない、本当の意味で己を共有できる空間を、一度手に入れてしまったから。
 確かにこの世界は居心地も良く、住みやすい世界ではあるかもしれないが。
 それだけ、なのだ。住み易いという以上の利点を、ハヤトはどうしてもここで見出すことが出来なかった。
 いつしか浅い眠りに入っていたハヤトは、薄暗い夢の中で今となっては懐かしい限りの友人達の姿を見た。

 チャイムが鳴る。あわただしく廊下を走る生徒の波にもまれながら、ハヤトも自分の教室へ向かっていた。
「平気か? 保健室で休んでいてもいいんだぞ?」
「熱もないのに行っても、門前払いを食うだけだって」
「だけどさー」
 傍らには、クラスが同じバスケ部員が付き合ってくれている。朝練が終わったときにはハヤトはまだ眠っていて、揺すり起こされた彼はまだ幾分顔色が悪かったが少しは気分がマシになったらしく、保健室へ行くことを頑なに拒んだ。
 どうしてだか、ハヤトは今日は教室へ行き、授業を受けなければならないような気がしていた。
 虫の知らせ、とでもいうのだろうか。それが良い方に傾くか悪い方に転がろうとしているのかはまだ分からないけれど、とにかく胸の奥で何かが、教室へ行くことを彼に強要している。
「まだ顔色、良くないぜ?」
「平気だってば。吐き気もおさまったし、熱だってないんだから」
 階段を登り、教室の扉を開く。ちょうど前の扉からはホームルーム担任が入ってくるところで、入口付近で友人と離れハヤトは教室中央にある自分の席に向かった。鞄を机の横にあるフックに引っかけ、椅子に座る。
 吐き気は、ない。だがかわりに頭痛がした。
「知恵熱……は違うよな」
 熱はないのだから、と呟いて一限目の教科書と筆記用具を鞄と机の引き出しから取り出す。ざわめきの残る教室は空気も籠もっていて、窓の閉じられた空間はあまり過ごしやすい空間とは言えなかった。
「気分を切り替えろ……」
 深呼吸を繰り返し、必死に頭痛を押しとどめようとするが上手く行かない。そうこうしているうちに授業は開始された。
 教科担当が黒板にチョークでいくつかの数式を書き込み、教壇に手を置いて説明を口にしている。だがハヤトの耳にはそういった音は一切入って来ず、モノクロの景色が朧に歪んだ視界に流れ込んで来るばかりだ。ノートを広げたものの、シャープペンシルを握る力も出ない。
 時計のデジタルを見るだけでも気分が悪くなるので、時間の経過も分からない。
 やがて教室にざわめきが戻って、ハヤトはそれでようやく、一限目が無事に終了したことを知る。
「新堂、大丈夫か?」
「保健室、行った方が良くない?」
 クラスの男子も女子も、ハヤトの様子がおかしいことに気付いて声をかけてきてくれた。だがそれらに曖昧な返事を繰り返すだけで、彼はやはり椅子から立ち上がる気配はなかった。
「ほら、綾も何か言ってあげたら?」
「でも、新堂君が自分で大丈夫だって言ってるわけだし……」
「アレが大丈夫な姿に見えるわけ?」
 クラスメイトの女子がなにやら騒いでいる。ぼうっとする頭で考えながら、しかしそちらに視線を巡らすのも億劫でハヤトは机についた肘で頭を押さえた。
「頼む、少し静かに……」
 くぐもった声で呟こうとした瞬間、二限目の始業を知らせるチャイムがけたたましく鳴り響く。クラスメイトはわらわらと自分の席に戻り、ハヤトもようやく解放されたことに安堵の息をつく。
「新堂、どうした。顔色が悪いぞ」
 教壇に立った教諭も、視線の先にあるハヤトのうずくまる姿に気付き声をかけてくる。
「いえ、平気です」
 これにはさすがに顔を上げない訳にも行かず、なるべく繕った笑顔でハヤトは答えた。
「そうか。ならいいが……我慢できなかったら無理せずに、保健室に行くんだぞ」
「はい」
 素直に頷き返し、ハヤトは教科書を広げる。
 その時、ふっと鼻についた外気の匂い。澱んできた空気が流れ出した気配に、反射的に顔を風上に向けていた。
 それまで閉められていた窓がひとつだけ、遠慮がちに開けられていた。カーテンが揺れ動く、その窓の横に座っている少女の姿に、ハヤトは心の中で感謝の言葉を告げた。
 ――ありがとう、樋口。
 生徒会に籍を置く彼女の、言葉でない優しさは正直に嬉しいと思う。ほんの少しだけ軽くなった気分で、気を取り直しハヤトはシャープペンシルを握った。
 それから後は、緩やかに巡る新鮮な空気のおかげもあって気分の悪化はなく、むしろ快調に向かっていた。顔色も良くなり、汗も引いた。ノートを取る余裕も生まれ、無事に午前の授業がすべて終わろうとしていた。
 だが、ふと気になった。
 どこからか流れてきている、花の香り。
「……?」
 教室内には花瓶なんていう気に利いたものはなく、花が飾られていることもない。グラウンドの木々も桜の季節はとうの昔に過ぎて(それ以前に、桜はあまり香らない)いるし、他に目立って豊かな芳香を放つ植木もなかったはずだ。
 それなのに、確かに芳るこの、懐かしい花の匂いは。
 フラッシュバックする、リィンバウムでの日々。そうだ、これは確かに、あの世界のアルク川沿いに咲き誇っていたアルサックの花の香り。
 ――俺、夢でも見ているのか……?
 教室で教鞭を執る先生の声も遠くなる。香り付きの夢とはまた珍しい……なんていう感情はなく、ハヤトは瞬きを繰り返した後、髪を掻き上げた。
「なわけないのに……」
 だが、次々と浮かんでくる仲間達の顔が消えてくれない。目を閉じればはっきりと見える、苦楽を共にした友の姿。不意にこみ上げてきた涙をこらえ、ハヤトは息をつく。
「俺、頑張ってるか……?」
 みんなに誇れるくらいに、頑張っているかな?
 でも、時々挫けそうになるよ。まだ、頑張りが足りないのかな。まだ、頑張れるかな?
「会いたい……」
 突然だった別れの時に交わした約束を、思い出す。
 いつかまた会えると、きっと会えるからと。守れるかどうかも分からない約束を、思い出す。
「会いたいよ……」
 いつから、自分はこんなに弱くなったのだろう。君がいないだけで、俺はこんなにも弱い。泣き出してしまいそうだ。
 ――会いたい。君に、……君に会いたい!
 アルサックの花の芳香が強くなる。空気が奇妙な感じにねじれようとしていた。
 授業の終了と昼休み開始を知らせるチャイムが鳴り響こうとしている。時計の針が、その時間を指し示す。
 ハヤトは顔を上げた。

 そして、運命の時が訪れる――――